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【尾松亮】「廃炉の最終形は地元で決める」の危険性|廃炉の流儀 連載48

 繰り返し本連載で指摘してきたことだが、福島第一原発の廃炉完了要件を定めた法律は存在しない。東京電力はHPで次のように説明する。

 《「廃炉」の最終的な姿について、いつまでに、どのような状態にしていくかについては、地元の方々をはじめとする関係者の皆さまや国、関係機関等と相談させて頂きながら、検討を進めていくことになると考えています》(東京電力「もっと知りたい廃炉のこと」)

 地元などの関係者と相談しながら「どこまでで作業をやめるのか」落とし所を探るというのだ。つまり東電や政府が「地元」と認めた関係者が「もうここまででよい」と言えば作業を終了し、柏崎刈羽の再稼働に予算と人員を振り向けることができる。

 事故を起こした当事者が「地元が決めること」と言い訳して、後始末をどこまでやるのかも約束しない。そんなことが許されるだろうか?

 原発という核の負の遺産を、その電気を使ってすらいない後世に残さず、クリーンアップした土地と環境を国土に返す。その後始末の徹底を事業者と国に義務づけるルールが必要だ。「地元」と認められた一部関係者との協議次第、その人間関係で「廃炉の定義」が変わるようでは法治国家ではない。本来国会で議論し、法律で定める問題だ。

 2020年末の時点では、大熊・双葉両町長が明確に「更地化」、「原状復帰」を求めていた。吉田淳大熊町長は「事故が起きた発電所であっても最後は更地に戻して終わりにしてほしい」、伊澤史朗双葉町長は「元の姿になっているのをイメージしている」と述べた(20年12月2日付南日本新聞)。

 しかし、その時点から3年弱経過した昨年3月の取材で、伊澤氏の発言が奇妙に変わっている。2022年夏に始まった「1F地域塾」で原発を遺構として残すよう求める声も出ていることについて、伊澤氏は「私は単純に、廃炉イコール更地でしょと思っていたが、事故の記憶を後世に伝えることはすごく大切。慎重に進めていく必要があるよな、と思い直した」と述べた。「廃炉断念」、「遺構」案を含む対話についても「すごく良い取り組みだ。意見が違うからと否定せず、議論はどんどんするべきだ」と述べている。(2023年3月4日付朝日新聞、傍線は筆者)

 この伊澤氏の発言に対しては、以下を問いたい。

 ・通常原発の廃炉では放射線管理区域が解除できる程度のクリーンアップが求められる。「廃炉イコール更地」というあなたの3年前の考えは、それほど「単純」だろうか?

 ・事故原発の将来的な原状復帰を諦めること以外に「事故の教訓を後世に伝える」方法のアイデアはないのか?

 ・対話のなかで加害者に都合の良い提案が紛れ込んでいたら、立地自治体の長として、その「違う意見」は否定すべきでないのか?

 地元首長の意見は3年弱でこうも変わってしまうのだ。

 これまでも「地元」、「県民」など、勝手なまとめ方で住民の民意を反映しない政策が推進されてきた。「いやこれが〈県民〉の意見なのだ」、「県民でもないおまえは黙れ」というのなら、本誌が繰り返し提案しているように廃炉完了の定義を求める県民投票をすべきなのだ。

おまつ・りょう 1978年生まれ。東大大学院人文社会系研究科修士課程修了。文科省長期留学生派遣制度でモスクワ大大学院留学。その後は通信社、シンクタンクでロシア・CIS地域、北東アジアのエネルギー問題を中心に経済調査・政策提言に従事。震災後は子ども被災者支援法の政府WGに参加。現在、「廃炉制度研究会」主催。


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