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【畠山理仁】選挙「妨害」を考える|選挙古今東西50

 ヤジの「種類」や「好悪」で対応を変えていいのか――。そんな難しい問題に私たちは直面している。

 そんなことを感じたのは、4月28日投開票の衆議院議員補欠選挙(東京都第15区)を見てきたからだ。

 この選挙には9人が立候補した。そのうち1陣営が他候補の街頭演説会場に押しかけ、「候補者に質問を投げかける」形で「選挙運動」を展開していた。演説内容をかき消すほどの大音量だった。

 「質問」の内容は、候補者がかつて雑誌に報じられた不倫の問題。そして、同候補者を応援する政治家の学歴詐称疑惑についてのものだ。候補者が「選挙運動」の形を取っているため、別陣営も警察もなかなか止めることはできない。「選挙の自由」「言論の自由」があるため、それらを止めると、逆に「選挙妨害をした」ことになってしまうからだ。

 2017年の東京都議会議員選挙の際、秋葉原の演説会で行われた「安倍晋三首相(当時)への大規模なヤジ」では、安倍氏の「こんな人たちに負けるわけにはいかない」という発言が大きくクローズアップされた。この都議選では、安倍氏が応援に入った自民党の候補は負けた。

 一方、札幌で起きた「ヤジ排除事件」は、『ヤジと民主主義』というドキュメンタリー映画にもなった。街頭演説会場で安倍氏に対して肉声で批判的なヤジを飛ばした市民らが、警察に排除された事件である。

 この映画を観た私は、警察権力によるヤジ排除は、極めて不当かつ危険で大きな問題があったと感じた。

 私はどんな演説でもきちんと聞きたい。それゆえに、演説の場を著しく乱す人に対しては怒りを覚える。聞かせろと思う。しかし、ヤジの「種類」や「好悪」で裁かれる社会は、極めて危険だとも強く思う。

 はっきり言えば、今回の東京15区補選で行われた「突撃行為」を私は評価しない。聞きたい演説を聞けないことへの怒りも覚える。「騒ぎを起こさなければ誰も自分たちの主張を聞かない」という候補者の意見にも賛同しない。たとえ世の中の多くの人が話を聞かなくても、私は全ての候補者の主張を聞いてきたからだ。相手の主張をかき消すような大音量は、公職の候補者としてふさわしくない。結果的に多くの陣営が演説会の事前告知をやめてしまい、有権者が演説を安心して聞けなくなった。

 だからといって、一時の感情に任せて、権力者の恣意的な判断で「言論の自由」を狭めることには強く反対する。私が最も恐れているのは、言論への圧力を「是」とする世論が盛り上がることだ。

 私たちはどうするべきなのか。いまの法律でできることはあるのか。それともないのか。法律や条例を新たに作るべきなのか。静かに演説を聞く方法は本当に編み出せないのか。正当な批判を社会の肥やしとする健全な民主主義のために、これからも多くの人が考えていかなければならない問題だ。

 とくに現職政治家のみなさんに問いたい。今回の「迷惑行為」に対応できない人たちに、本当に外交や交渉を任せていいのだろうか、と。


はたけやま・みちよし 1973年生まれ。愛知県出身。早稲田大在学中より週刊誌などで取材活動開始。選挙を中心に取材しており、『黙殺 報じられない〝無頼系独立候補〟たちの戦い』(2017年、集英社、2019年11月に文庫化)で第15回開高健ノンフィクション賞受賞。
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