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汚染ゼロを目指す条約の知恵②|【尾松亮】廃炉の流儀 連載37

 英国北西部セラフィールドでは、1994年に使用済燃料からプルトニウムとウランを分離するソープ再処理工場が運転を開始し、海洋汚染の深刻化を懸念する周辺国からの非難が高まった。セラフィールドには64年に運転開始したマグノックス再処理工場もあり、以前から再処理過程で生じる液体放射性廃棄物による海洋汚染は問題であった。94年にソープ再処理工場の運転開始以降、特に放射性物質テクネチウム(Tc)99の海洋汚染が増加した。これが、隣接するアイルランドを中心とした沿岸諸国の反対を引き起こした。

 当時のアイルランド政府の文書は、明確に「セラフィールド核施設はアイルランド住民の健康と安全にとって深刻かつ継続的な脅威である」と指摘している。この時、アイルランド政府や環境団体からの批判に対して、英国側は真剣に取り合う姿勢を見せていない。当時存在する国際条約では、英国に海洋汚染削減を義務付けるための効力は不十分であった。

 「アイルランド政府は『海洋汚染防止に関するパリ委員会』(PARCOM)を通じて繰り返し、セラフィールドにおける再処理に関して、特にソープ再処理工場による放射性廃棄物の海洋放出増加についての懸念を訴えてきた。しかし英国政府は、パリ委員会による勧告は法的効力を持たないと主張している」と当時の新聞は伝えている(95年1月18日、IRISH TIMES)。

 その後、セラフィールド起源の海洋汚染は北欧諸国にも広がっていることが発覚する。97年12月20日英紙ガーディアン記事によれば、セラフィールドから約500マイル離れたノルウェー沿岸で、検出される放射性物質の量が8倍に増加した。貝類などの水産資源のTc99による汚染が懸念され、北欧諸国からもセラフィールドにおける再処理を停止するよう求める声が高まった。

 当時、セラフィールドの運営企業BNFLは積極的な対策を講じる必要性を認めなかった。「セラフィールド付近に住み、大量に水産物を消費する人々への影響は最大でも40マイクロシーベルトで、8時間のフライトで受ける被曝と同じ程度にすぎない」と同社は述べている。しかし、汚染源である企業が「汚染による健康影響は小さい」と主張したところで、国際的な理解を得ることはできなかった。海洋汚染の原因を作っている側が一方的に影響評価を提示し周辺国を説得しようとしても対立が深まるばかりであることは、この事例からも明らかである。

 この問題を受けて、97年には北東大西洋沿岸諸国15カ国の閣僚会議が行われた。英国のミハイル・ミーチャー環境大臣(当時)は「英国は核廃棄物と化学物質の海洋放出をできる限り早く終了する」と述べている。だが、「できる限り早く」とはいつまでなのか確実な約束はなかった。

 この状況で、海洋汚染低減に向けた法的効力ある合意を確立し、その実現に向けた国際ルール作りを後押ししたのが98年に発効したOSPAR条約(「北東大西洋の海洋環境の保護を目的としたオスロとパリ委員会での条約」)である。オスロ条約(欧州投棄規制条約1972)とパリ条約(陸上起因海洋汚染防止条約1974)に基づき、74年に設置されたオスパール委員会の活動がこのOSPAR条約の基礎となっている。

おまつ・りょう 1978年生まれ。東大大学院人文社会系研究科修士課程修了。文科省長期留学生派遣制度でモスクワ大大学院留学。その後は通信社、シンクタンクでロシア・CIS地域、北東アジアのエネルギー問題を中心に経済調査・政策提言に従事。震災後は子ども被災者支援法の政府WGに参加。現在、「廃炉制度研究会」主催。

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