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【熟年離婚】〈男の言い分57〉

籍が入っていれば最後まで安泰、と思っちゃ困るよ。夫婦喧嘩にも〝ルール〟ってもんがあるの。


 
W氏、71歳。自営業。昨年、6歳下の妻と離婚。

 実は、俺は再婚です。初めの女房は、42歳の時、12歳の娘を残して突然、亡くなった。

 俺ね、高校卒業して、地元の板金会社に勤めたんです。だけど、いつか独立したくて―27歳の時、中古の軽トラック1台買って、屑鉄集めをやった。それを売った金を一生懸命貯めていた。

 初めの女房は、勤め先で知り合って結婚したんだが、いつか独立したいっていう、俺の夢をわかってくれて、一緒に屑鉄集めをしてくれた。娘が生まれると、赤ん坊をおぶって、一生懸命、手伝ってくれた。今思えば、本当にありがたかった。

 二人で頑張って、俺が31歳の時、ようやく自分の板金工場―従業員2人のちっぽけな会社だが―を立ち上げることが出来たの。

 女房は、子育てしながら、事務と、従業員の世話―昼飯の賄いもやってたからね―会社の雑用をこなしていたんだが―無理がたたったんだろうねぇ。頭が割れそうに痛い、と急にうずくまって―救急車を呼んだが、間に合わなかった。

 あんまり突然の別れで、俺も娘も悲しむ暇もなかった。ただぼんやりしていたよ。

 ひとは信じないかもしれないが、女房の四十九日が過ぎた頃、朝早く台所に行ったら―俺、娘の弁当作ってやってたからね―なんと、女房が流し台に向かっていたんだ。

 俺の“幻覚”ってやつだろうが、あいつ、残して来た娘が心配であの世に行きかねているんだな、と思ったよ。声をかけたら、すっと消えっちまった。俺の夢だったんだろうな。

再 婚

 仕事しながら、男手一つで女の子を育て上げるのは難しすぎる。俺の実家の母親に預けようかとも思ったが、それでは両方、大変だ。―そんなことで、女房の一周忌が過ぎて半年して、親戚の世話で再婚した。

 二番目の女房―なんていうと変な言い方だが、前の女房と同じ年で、性格もさばさばと明るくて―助かったのは、娘がなついてくれたこと。ただし、「お母さん」でなくて、「おばちゃん」と言っていたが、彼女はそれも一向に気にしなかった。

 会社の切り盛りもしっかりやるし、お客さんにも評判がいい。前の女房の仏壇にも毎朝、線香をあげて、命日には娘を連れて墓参り―と、まぁ、良くできた“後妻”だったね。

 だけどね、誰にも“欠点”てのがあるの。彼女は気が強い。四十過ぎまで独身で働いて来たぐらいだから、気が強くなければやって来れないよ。やきもちも凄い。俺が携帯で女性と話していると―特に何ともないつきあいなのに―今の人、誰? 何の用?とうるさい。ま、適当にやり過ごしていたよ。
 そのうち、娘は専門学校を卒業して、東京に就職した、俺ら夫婦だけの暮らしになった。

 白状するが、俺、50歳頃、浮気してたの。男って、仕事が軌道に乗って来た頃に、浮気するんだよ。相手は、その頃行きつけだったバーのホステスでね、20代半ばだった。偶然、郷里が同じで気が合ってね、なんだかんだ、2年ぐらいつきあった。そんなの、女房はとっくにわかっててね。それでも、何も言わなかった。―内心、悔しかっただろうな。自分は真っ黒になって働いているのに、片方は、香水つけて、きれいに化粧して―自分の夫にちやほやされて―そんな悲しい思いが、病気を呼んだのかも―と、今、申し訳ない気持ちだよ。後から悔やむから“後悔”って言うんだな。

荷物合戦

 2年前、俺の留守中に、会社に突然、五十がらみの女が訪ねて来たそうだ。きものを着て、髪を結って、なかなかきれいな人だった、と従業員は言う。まずいことに対応したのは女房だった。あとは〝戦争〟よ。その女は菓子折りと名刺を置いて行った。見ると、昔の“彼女”―何とかっていうバーの名刺の裏に、今度、自分の店を開いたからよろしく、というメモがあった。


 その夜から、こっちは大もめだよ。「浮気してたんだ!」「裏切られた」と、女房の大暴れだ。俺が「昔のこと」と言っても、聞く耳無し。女が暴れると面倒だね。

 俺、ガキの頃、喧嘩っ早くて、親や先生を困らせたが、何十年もしてついに、手が出っちまった。ぎゃあぎゃあわめく女房に、往復ビンタしたんだよ。

 その後は、「私、出て行くから」と―。俺が詫びても聞く耳無し。もともと丸顔の女房が、ビンタで腫れて、いっそう丸くなった顔で、よそゆきに着替えて、大きなバッグ一つで出て行った。

 ま、4、5日で帰って来るだろうと思っていたら、1週間、10日経っても音沙汰無し。女房の実家や親戚に、恥を忍んで聞いてみても、わからない。

 ひと月も経った頃、東京の娘から「おばちゃん、うちに来てるよ」と。
 娘は独身で、1DKの安アパート暮らしだから、女房にとっては、格好の“避難所”だったんだろうよ。

 それが、2カ月たっても、戻って来ない。俺もアタマに来てね、女房の箪笥の中の物を、ダンボール三つ、送ってやった。そうやって4カ月過ぎた頃、女房から荷物がそっくり、送り返されて来た。

 俺、頭に来たから、今度はその荷物に、女房の茶わんとか皿も入れて送り返した。そしたらまた、送り返して来たんだ。お互い、それを無言でやってた。 荷物合戦だよ。運送会社は、いくら仕事とはいえ、迷惑だったろうなぁ。

決 着

 そうこうするうち、突然、娘がやって来た。「おばちゃんがずっといるけど、私ひとりでさえ狭い部屋なのに、困っている。その上、荷物が来て部屋いっぱいだから、貸トランク借りて。もう勘弁して」って言う。

 そう、その通りだ。だけど、こっちが気に入らないのは、本人から何も言って来ないこと。何で娘が来る? 頭に来て、メールで離婚を言ってやった。この時は、半分本気。しかし、あっちは何も言って来ない。

 それからまた2カ月経っても、返事無し。こっちは堪忍袋の緒が切れて、離婚届を送ってやった。

 そしたら、また娘が来た。「おばちゃん、もう一度、家に戻らせてほしいって」。

 これで決まりだ。離婚だよ。もう一回、やり直したいんだったら、自分が来い、だよ。自分も悪かった、申し訳なかった、とわびろよ。そうだろ? そうすれば、俺だって謝るよ、俺も悪かった、とな。

 結婚なんて、籍さえ入っていれば最後まで安泰、と思っちゃ困るよ。夫婦喧嘩にもルールってもんがあるの。

 70過ぎて離婚なんて、と娘も周りも大大反対の嵐だったが、俺にも、男の“プライド”ってのがあるの。

 女房は「やり直したい」って、泣いて電話をよこしたが、もう、俺の気持ちが戻らない。彼女がこれから先、困らない程度に金は渡した。人生、最後の選択っていうのがあるとすれば、離婚かな。

 あと何年生きられるかわからないが、亡くなった女房の分まで、毎日大事に生きていかないとな。

(橋本 比呂)

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