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【熟年離婚】〈男の言い分58〉

妻が詐欺に引っかかる、私は商売廃業、それだけで痛い目に遭うのはたくさんなのにー


 S氏、66歳。元・自営業。1歳下の妻と、この4月に離婚。

 もうね、何から話していいか―メチャクチャ、いろいろあった。

 私は、元は、大手食品製造会社に勤めていて、商品開発を長く担当していたんです。仕事は面白かったが、新しく転任して来た、直属の上司とソリが合わなくて―悩んだ末、50歳で退職しました。妻は大反対でしたが、二人の息子も独立したし、自分の人生を新しくやり直すには、ギリギリだが、まだ気力も体力もある今だ!と考えたんです。

 私ね、若い頃から、「手打ちそば」の趣味の会に入っていて、仕事の休みというと、そば打ちに行っていたんです。かれこれ20年近くやってましたね。そのうち、腕も上がって、講師のプロの職人さんにも褒められるようになって―、と。

 退職金をつぎ込んで、商業ビルの一角に、カウンター8席だけの、小さな手打ちそばの店を開きました。「脱サラ」の蕎麦屋なんてうまくいくはずがない、という、妻はじめ、周りの反対や冷笑や、面白半分の注目の中で、頑張りました。

 3年目あたりから少しずつ常連のお客さんが増えて来て、開店の5時前からやって来るお客さん、「頼むから、昼、店を開けてくれ」という高齢のお客さんで賑わいました。

 若い頃、東京銀座の古いビアホールで、老紳士が一人静かに酒を楽しんでいる光景に感動した覚えがありますが、自分の店も、マナーの良い男達が、蕎麦とちょっとした小鉢のつまみで酒を楽しんでくれる―商売としての成功はともかく、店を開いてよかった、自分が選んだ道はこれで“正解”だった、と思いました。今思えば、あの頃が一番、幸せだったかなぁ。

コロナの打撃 妻の仕打ちの打撃


 ところが、コロナですよ。

 飲食店は大、大、打撃だったのはみんなわかったでしょう。営業時間を短縮して、カウンターと厨房をビニールのカーテンで仕切って、客席にもプラスチックの仕切り板を付けて―と頑張ったって、お客さん、来ませんよ。ひとりだけ来たお客さんでも、満席のお客さんでも、電気代、家賃は同じ。食材の仕入れの見当もつかない。運の悪いことに「陣中見舞いだ」と来てくれた、常連さんがコロナにかかっちゃって―私は“濃厚接触者”になって、2週間、休業しました。その間も、家賃は待ったなしですからね。

 一方、妻は、子供達が小学校に入った頃から、長年、パートで働いていました。結婚した時に買った中古住宅をいつか素敵にリフォームする、というのが彼女の夢で、せっせと貯金していましたね。

 その貯金を、なんとか店に貸してほしい、と私が頼んだら、「あんたが好きでやった店でしょう。私はあんなに反対したのに―自分で何とかしなさいよ」と―。お互い、好き合って結婚して、一緒に歩いて来たはずの妻が―とショックでした。

 コロナが少しずつ下火になっても、お客さんはチラホラ。資金も心も疲労困憊で、この1月に閉店しました。本当に残念でたまりません。


  「オレオレ詐欺」とか、銀行、役所、警察を語った詐欺があふれているでしょ。妻は、そのニュースを見る度、「なんであんなのに引っかかるのかね、バッカじゃない!」と笑っていました。ところが、妻は“見事に”引っかかったんです。

 今、思い出すのも嫌なんですが―昨年末、妻に電話が―隣街の建設会社に勤めている長男の、上司という男から、息子が取引先に支払いに行く途中、交通事故に遭って病院に救急搬送された。カバンに現金600万が入っているが、今、警察が、大破した車を調べていて、カバンを取り出せない。今日中に先方に支払わなければならない大事な金なので、立て替えてほしい。会社の者が受け取りに行く」と―動転した妻は、スーツ姿のその男に、現金600万を渡してしまった。

 私に、パニック状態の妻から電話があった時は、後の祭りですよ。息子の会社に連絡してみると、本人が出て、彼もびっくり仰天。

 すっかりうちしおれている妻の言うことには、とにかく息子が心配だった、仕事をつまずかせたくなかった、と。こういう詐欺に引っかかるのは、たいていもっと高齢の人が多いのに、友達とランチだ何だと出歩いているヤツが引っかかっちゃったんです。本当にあきれるほかない。

 「詐欺に引っかかるバカ」の妻に腹が立つのは別として―私が驚いたのは、とっさに600万もの現金を出せたこと。そんな大金、いくら長年のパートでも貯めこめる金額じゃないでしょ。

 “追及”してみると、まだ500万円の現金が残っている。併せて1100万円を妻は持っていたんです。

 その“白状”によると、15年ほど前、父親と母親が相次いで亡くなった時、3人姉妹で遺産を分けた、その金を持っていたと―。妻の実家は、関西の田舎町の農家ですが、近隣がどんどんニュータウンになって、農家がみんな田畑を売って金持ちになっている、と聞いてはいたけど、なにしろ、その実家は遠いので、私は葬式に顔を出しただけ。その後の「財産分け」には口を出しませんでした。

 遺産相続の話し合いから帰って来た妻は「お姉さんと旦那達が欲張って、みんなで大喧嘩だった。一人で行った私は、たった300万しかない」と嘆いていましたが、「妻の財産分けに夫が首を突っ込んで、醜い真似をしないでよかった」と―「その金は、妻のパート代の貯金に足して、リフォームの夢を叶えればよい」としていました。ところが―せっせとパートで貯めた金と遺産を合わせて、そんな大金が家の中に隠れていたんですね。
 
 私が、どうしても妻を許せない気持ちになったのは、詐欺にかかったバカさではないんです。コロナであんなに苦しみながら、店を頑張っていた私に、自分は大金を持っていながら、救いの手を差し伸べてくれなかった、その気持ちです。

 結婚して42年―後の人生も長い。その年月を仲良くやっていく気持ちが、もうどうしても湧いてこない。お互い、納得して離婚しました。

 妻にはそっくり家をやって―彼女には、へそくりも貯金もある、ランチ友達もいっぱいいる、せいせいと暮らせるでしょう。

 私は、というと、農家を廃業して空き家になっている叔父の家に住んでいます。玄関を入るとすぐ、二間続きの大きな座敷があるので、そこでまた、手打ちそば屋を開く準備をしているところです。桐、杉の屋敷林に囲まれた、田舎の蕎麦屋で、新規まき直しですよ。(橋本 比呂)


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