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西谷測量株式会社(倉吉市八屋)

 昭和52年2月の創刊時から連載されていた、山陰の事業所を紹介する『事業所めぐり』をnoteで順次紹介。今回は昭和52年7月5日号より、西谷測量株式会社をご紹介します。
※地名、会社名など各種名称、役員、事業内容・方針、広告内容等記載内容は掲載当時のものです。


【事業所めぐり30】西谷測量株式会社(倉吉市八屋)


高度成長期のちょうど始まる前、昭和33年3月に西谷測量所としてスタート。鳥大を卒業後、10年間の教員生活を送ったという西谷曻社長だが、技術畑出身らしいその誠実な人柄で、堅実に現在の地歩を固めてきた。

まず、同測量所開設の4年後には、資本金100万円で株式会社に法人化。41年には、早くも岡山県に営業所を設ける。仕事量に限界のある県内事情を打開するためと同時に、山陰と山陽との測量技術の交流を目的とした県外進出だった。

翌年には資本金500万円に増資、続いて44年と46年に相次いで本社屋を新築。現在では、資本金3500万円、従業員102人を抱える中国地方でも指折りの測量業者に成長した。

業界のリーダーとして、鳥取県土地家屋調査士会会長、県測量業協議会会長も兼ねる同社長は、業界の抱える問題点について「この業界は、15、6人の規模のところが多いんですが、このたび、全国に先がけて県内23業社が団結し、協議会を法人化しようと働きかけているんです。団結することによって、お互いの技術向上を図ったり、情報交換を活発にしたりして、閉鎖的な経営姿勢に陥らず、オープンな姿勢でお互いを切磋琢磨(せっさたくま) して行く方向を持ちたいと考えております」。

とかく「地域モンロー主義」に陥りがらな県内経済人の現実を指摘、業界の体質の強化に意欲を示す。

しかし、順調な発展を遂げてきた同社も、49年をピークに次第に現状維持型の経営に移行。仕事量の減少傾向に対応しているが「こういった時代においては、県内で限られた仕事を奪い合っていても発展は望めません。これまで未開拓だった新分野を積極的に開発、不断の技術革新によって会社の独自性を打ち出して行くという姿勢が現在、必要とされていると思います」と、技術人らしい答え。

測量技術者50人、設計技術者10人を擁する同社は地形測量、道路・河川測量設計から上質調査、造園に至るまで、建設コンサルタントとしての業務内容は幅広い。また毎年、学校を出た若い人たちが同社で技術をみがいた後、県内各所で、自立しているケースも多いらしく「西谷学校」として、同社は若い技術者養成にも一役買っている。ともあれ、不振著しい建設業とともに厳しい情勢下に置かれている同業界だが「確かに仕事量は減ってきている。しかし、新技術の開発などによって、会社独自のの仕事を見出して行くという姿勢を持てば、この不況にも対応できるはず」と、業界リーダーとしての同社長の経党理念には一貫したものがある。(昭和52年7月5日号)


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