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株式会社凮月堂(鳥取市本町)

【事業所めぐり43】株式会社凮月堂(鳥取市本町)


昭和52年2月の創刊時から連載されていた、山陰の事業所を紹介する『事業所めぐり』をnoteで順次紹介。今回は昭和52年9月15日号より、株式会社凮月堂の記事をご紹介します。
※地名、会社名など各種名称、役員、事業内容・方針、広告内容等記載内容は掲載当時のものです。



喫茶・レストラン業としては鳥取市内でも老舗の一つ。現在、市内には2~300店もの喫茶店があり、乱立化の傾向を見せているが、浦川信義社長が個人営業で「凮月堂」ののれんを揚げた昭和10年当時は、同業者は市内にわずか4店。正に”草分け“的存在といえる。
 
広島市内の洋染子店で修業をしていた同社長が同市吉方(一乃湯旅館の近く)で洋菓子の卸売り業として店開きしたのが25歳の時。若い経営者であったわけだ。13年、現在の富国生命ビルの辺りに移転、パン、洋菓子の製造販売と喫荼店を開業。現在の基礎が築かれた。23年に法人化すると共に現在地にさらに移転、鳥取大火災後の28年、再建と同時にレストランも開始、着実に地歩を固めてきた。
 
移転、災害などもあって前後7回にわたって新・改築を行ってきたが、いずれも内装の設計は同社長が担当。「入りやすい店作りに腐心」したということでその都度、業績拡大が図られてきた。現在、景気の底冷え状態が続いているが、飲食業での大幅な落ち込みは見られないようで順調な伸びを示している。
 
「サービス業に限らず企業というのは、その時代々々の消費者のし好に対応する商品構成を改正する柔軟性が必要」。そのため同社長は、お客の書き残していくアンケートの内容を直視。永年、”改正"の目安にしてきた。創業前後の苦労があるだけに、経営への研究心はそれだけ盛んなわけだ。例えば、卒業シーズン前の1、2月ごろテーブルマナーを学ぶため高校生が大挙して訪れる。これなどは社長自ら大阪のホテルで一週間みっちり勉強したことが基になっており、以来、20年間「テーブルマナーの凮月」の異名をとるほどに。
 
「消費者がなにを求めているかを素早く、しかも的確にキャッチすること、そして消費者に満足してもらうことを心掛ける、これがサービス業の第一義」と語る同社長の経営のモットーに沿ってこの6月に鳥取駅前のホテル太平一階に「ミラベル凮月」をオープンさせた。中位からハイレベルの洋風レストランが市内に少ないことに着目してのオープンだった。同社の支店第一号でもある。同店の場合、ホテルの宿泊客よりむしろ地元のニューファミリーを対象に、フランス、スペイン、ロシアといった本格的な欧風料理が主だが、駅前のゴールデンクロス的な好位置ということもあってオープン以来、人気は上々のようだ。(昭和52年9月15日号)



昭和52年9月15日号掲載時のレイアウト


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