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石田紙器株式会社(倉吉市福庭)

【事業所めぐり38】石田紙器株式会社(倉吉市福庭)


昭和52年2月の創刊時から連載されていた、山陰の事業所を紹介する『事業所めぐり』をnoteで順次紹介。今回は昭和52年8月15日号より、石田紙器株式会社の記事をご紹介します。
※地名、会社名など各種名称、役員、事業内容・方針、広告内容等記載内容は掲載当時のものです。

印刷から製函まで、全工程の設備をそなえた県内ではただ―つの包装ばこの総合製造メーカーである。創業は昭和26年。現会長の石田数男氏の個人経営で、料理・菓子箱の製造を始める。

当時は、家内労働、手作り作業による細々としたものだった。その後「機械箱」の生産に着手。山陰で初めてトムソン自動打ち抜き機を導入するなど、量産体制を固めた。

昭和38年に有限会社を設立。40年には、工場拡張のため、倉吉市福庭の現在地に進出。同時に、印刷部門を新設し、総合製函業への第一歩を踏み出した。

昭和44年、株式会社に改組し、48年のオイルショック後は、この業界でも、県外大手企業の進出が顕著となり、商品競争が激化。企業間競争を勝ち抜くためにも、よりよい包装資材の提供が可能な、デザイン企画から製函の最終段階まで一貫して行えるメーカーをめざして、業務内容の拡充に努力。その間、設備過剰による苦難の時期を経験したが、それを乗り越えて、現在に至っている。

現在、納入先は、菓子包装関係が60%、あとの40%は弱電ケース・一般包装,パンフレット・チラシ関係となっている。今年度の年商目標も20%アップの6億円を見込んでおり、業績の伸びも順調な様子。

これからの包装業について、石田社長は「依頼されたものを、ただ単に作るだけでなく、顧客にアピールする商品を自力開発して、メーカーの側から提供していく姿勢が必要」とし、今後は、企画・開発・営業部門の充実に重点を置く構えを見せる。さらに「デザイン、カラー美術印刷から、各種パッケージ加工、製函に至るまでのすべての業務が可能な”総合包装センター“―――これがウチの最終的な目標です」と、同社長は将来のビジョン作りに意欲を燃やす。

また、スポーツ活動を通じて培われたチーム・プレー感覚が、職場のモラルにも営業することを重視して、同社では”スポーツのできる社員“を積極的に採用、そのためスポーツ活動が盛んなのも同社の特徴。同社の軟式野球チームは県内でも指折りの強さを誇っており、昨年は、県代表として北海道で開催された「準硬式野球全国大会」に参加している。

経験者と若い社員一心同体となり、業績的に見ても成長機運に乗った感のある同社。はつらつとして活気に満ちた企業活動を展開中。(昭和52年8月15日号)



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