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有限会社米吾(米子市弥生町)

 昭和52年2月の創刊時から連載されていた、山陰の事業所を紹介する『事業所めぐり』をnoteで順次紹介。今回は昭和52年3月15日号より、有限会社米吾を紹介します。
※地名、会社名など各種名称、役員、広告内容等記載内容は掲載当時のものです。


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【事業所めぐり8】有限会社米吾(米子市弥生町)


“山陰の商都”・米子市のなかでも、同社の歴史はひときわ古い。現社長は内田家14代目。祖先は代々、米屋、旅館を経営していた。

現在の社名「米吾」は、“米屋の吾平さん”と親まれていた当時の主(あるじ)の名前に由来している。

明治30年ごろ、山陰線の建設のため同旅館に宿泊した、当時の建設隊長が「開通したら、駅弁を始めたらいい」とアドバイス。これを受けて同35年に、駅弁の製造・販売に着手した。以米“駅弁の老舗”として70余年、駅弁は同社業務の主軸となっている。

昭和24年、㈲米吾として法人に改組。仕出し弁当、折り詰めなど品目の拡大を図った。同38年、駅前の広場拡張工事が開始されたのに伴い、42年の4月、現在地に米吾ピル(地上6階、地下1階)を新築。喫茶、和洋レストラン、総合結婚式場、大小宴会場などを完備した。

さらに45年11月には、同市奈喜良に駅弁、洋式オードブル、会席料理などの仕出し·製造工場として“米吾仕出センター”を建設。一般家庭はもちろん、列車内、各結婚式場など販売網を広げていった。

堅調に業績を伸ばしてきた同社だが、日本経済が安定成長期に入った昨今、決して楽観はできない。オイルショック後の景気の落ち込みはもちろんだが、わけても山陽新幹線の開通に伴い山陰地方ヘ来る観光・旅行客がぐんと減り始めた。

このため、例年15~20%の伸びを見せていた売上実績が、一昨年から約10%に低下。一昨年、昨年とも年商約10億円となっている。

同社ではこのような斜陽化現象に対応。市内のボーリング場やゴルフ場にレストランを設ける一方、貸ビルの経営、県外有名デパートヘ出張販売するなど、多角経営に乗り出した。

また原材料のコスト軽滅を図るため、これまで地元卸業者から仕入れていた品物を大阪などの魚市場、商社から安く買い入れるよう検討を進めている。(昭和52年3月15日号)

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