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多領域に渡る技術者を束ね独自の価値を生み出す映像・音響サービス業(後編)

 働き方が多様化する中で、サラリーマン経験を生かしての起業が話題となっている。鳥取市出身の山根氏は大手企業で営業を経験し、その後創業経営者となった。考え方や心理はどう変化したのだろう。(前編はこちらから


ジャパンブロードキャストソリューションズ株式会社
代表取締役社長 山根浩二

聞き手:北村真吾/中小企業診断士

取材:2019年2月13日 掲載:旬刊政経レポート2019年3月15日号)



映像・音響機器とそれを制御するシステムを提供する会社を創業された山根社長。以前は何をされていましたか。

 48歳で起業する前は、パナソニックで営業マンをしていました。
 退職直前の私が取りまとめるチームの売上が42億5千万円。大きな案件も担当し、まさに絶頂期でした。周りの人に「なぜ辞めるのか」と言われたものです。
 それまで売ることばかりを考えていた私ですが、徐々に当時のパナソニックの柔軟性のなさに納得ができなくなってきたのです。お客さんが望むサービスを提供しようとすると、自社の機器だけではなく他社と共同でのシステム開発も必要になってきます。機器販売をメインとするパナソニックではそれが認められにくかったのです。実績は上げていたものの、今後もここで仕事を続けていくのは難しいと思うようになっていました。


営業マンとして実績を残された山根社長ですが、ご自身が経営者になってみてどうでしたか。

 人材と資金繰りの大切さが身にしみて分かりました。
 例えば人材についてです。パナソニックの時には、能力の劣る部下がいても、人事部に相談すれば新たな人材に入れ替えてもらえます。私が部下を選ぶ立場だったのです。しかし経営者となると、優秀な人材が集まる会社にせねばなりません。選ぶ立場から選ばれる立場に変わるのです。当社の将来を考えれば、今よりもっと技術職を増やし育てることが課題です。
 もう一つは資金繰りです。会社員として新事業をするならば資金は会社が出してくれますが、創業するとそうはいきません。
 もっともつらかったのは、事業拡大を狙い東京に進出した頃でした。事務所を借り、人を雇ったもののなかなか軌道に乗らず、前職の退職金も含め事業資金が底をつきました。借りられるお金はとにかく借り、私個人の貯金も使い、妻の両親にも一時的にお金を借りたこともあります。東京進出の判断が間違っていたのではないかとずいぶん考えたものでした。

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(山根社長のデスクに置かれたパナソニックの手帳。使い勝手がいいので今でも毎年愛用している。)

起業から10年。振り返っていかがでしょうか。

 うまくいかない時、思いどおりにいかない時、起業から10年たった今でも思うことがあります。
 パナソニックに残っていたらどうなっていたのだろう。辞める時に、友人、兄弟、上司、同僚、お客さん、もちろん妻にも反対されました。周りの猛反対を押し切っての起業は本当によかったのだろうか、と。
 でも、あれほど苦しかった東京支店の設立から6年。今や大阪本社より売上が大きくなってきました。
 起業を後悔しそうになった時には、「人生万事塞翁が馬」と自分に言い聞かせています。


これから起業しようとしている人にメッセージをお願いします。

 資金繰りで苦労した私は、そもそもサラリーマンが退職金を元手に創業するべきではないと思っています。でも、それでもやるというなら早くやるべきです。
 48歳で会社を始めた私も10年たって今や58歳。10年目の当社は発展段階であり、私は現状に満足していません。経営にまだまだ不安もあります。しかし、もう10年かけて何かを成し遂げるとしても、その時私は68歳になっています。新しい挑戦をするには歳がいきすぎでしょう。(おわり)


【企業情報】
ジャパンブロードキャストソリューションズ株式会社

代表取締役:山根浩二
事業内容:映像・音響サービス業
所在地:大阪市中央区今橋1-6-19
従業員数:25人
資本金:1000万円


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