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株式会社備中屋本店(米子市東福原)

昭和52年2月の創刊時から連載されていた、山陰の事業所を紹介する『事業所めぐり』をnoteで順次紹介。今回は昭和52年8月5日号より、株式会社備中屋本店の記事をご紹介します。
※地名、会社名など各種名称、役員、事業内容・方針、広告内容等記載内容は掲載当時のものです。


【事業所めぐり36】株式会社備中屋本店(米子市東福原)


戦前は故郷•岡山で警察官をしていたという上森社長。戦後の統制経済下、原材料のイグサが個人的な関係で入手できたことから、米子へ転居して畳の卸し売りから商売を始めた。その後、「備中屋」の屋号のもとに本格的な畳の製造にも乗り出し、現在の地歩を築いた。

続いて戦後の混乱がまだくすぶる昭和26年頃には、早くもインテリア部門に着目、他社に先がけて床材・クロス関係を中心にして進出したことが、今日の安定経営の基礎に結びついたと思われる。インテリア部門はその後も順調に発展、現在では県内でも珍しい内装整備設計士をかかえ、「技術を売る店」として顧客の信用も厚い。

一方、根強い愛好者があるとはいえ住宅様式の洋風化に伴い、年々減少の一途をたどる畳の需要。「ウチは民需一本だから、この不況は余計に厳しい」という上森社長だが、誠実な人柄を反映してか堅実経営一本でやってきただけに、ここにきて慌てふためくというそぶりは見えない。むしろ、乱売合戦にみられる最近の商道徳の荒廃ぶりに反発、「昨日1000円で売っていたものを、今日は500円で売っているというように価格に信用がおけない。これでは、消費者の信頼を失くしてしまいます」。全日本化学畳協会理事長、山陰畳組合連絡協議会会長なども務める同社長、「ウチは値段に合った商品を売るということに徹しています」と自信ありげ。

畳の横ばい状況に比べ、インテリア部門は順調に売り上げを伸ばし、現在では同社総売り上げの80%近くを占める。低迷にあえぐ畳業界だが、同社では昨年も前年比20%と売り上げを伸ばし、今年度の目標も10億円と好調である。

また、同社長は(協)やよいデパートの副理事長として、梅林理事長に苦言を呈することの出来る唯一の人物としても有名である。同デパートの「消費者環境部長」という珍しい肩書を持つ同社長だが、仕事の内容について質問すると「消費者の立場になって、商品構成や店の環境を良くすることが私の任務です」と、われわれ消費者には力強い言葉。この「お客本位」という同社長の信念は、従業員57人の社風にも如実に現れている。

その典型的なものに、全社員が加入する「備中屋善意クラブ」がある。既に30年も続けているというこの奉仕団体、「職場を通じて社会に奉仕し、善意ある人格の形成を心がける」というスローガンのもと、全員が社会の模範となるようがんばっている。(昭和52年8月5日号)



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