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部長のぼっち歴

こんばんは、部長です。
本日は、自己紹介がてら、私のぼっち歴について語っていこうと思います。ガチぼっちになると、周囲から「あいつぼっちなんだな笑」と思われないか怖くなったり、辛い時に相談する相手もいないので、かなりストレスを抱えることになります。部長もその1人で、熱を出すくらい辛い目にあったので、今回はその話をしていこうと思います。ぼっちっちー!!


低学年の頃は、ぼっちでも気にしてなかった

 大学1、2年生の低学年の頃、部長はもちろんのこと友人があまり居なかったのですが、特に悩んではいませんでした。1年生の時はそもそも対面授業が1回もなかったので、周りの視線を気にしなくて良かったですし、2年生になると、夏に夏季集中講義のゼミを受けたら、そこで一緒に行動できる友達を1人作れたからです。それに、3年生になればゼミ配属があるので、流石にそこで友人が何人かできるだろうと思っていましたしね。
 けど、3年生に上がった時に予想外の悲劇が起きてしまい、部長は友達0のガチぼっちになってしまったのです。


3年生に上がると、唯一の友人に捨てられ、頼みのゼミも大ハズレを引く

 予想外の悲劇というのは、夏のゼミで作った友人に捨てられたことと、ゼミ配属がウェイ系ゼミだったことです。
 まずは友人に捨てられた話をしましょうか。彼とは2年生向けの夏季集中講義のゼミで知り合い、お互いぼっちだったり、大人しい雰囲気なのもあり、仲良くなりました。その後は2年生後期までは一緒の授業を受けたり、学食に行ってご飯を一緒に食べたりしていました。けれど3年生になると、彼は、同じ高校出身の友人の1年生と行動を共にするようになり、学食に誘っても「後輩の友達と食べるから」と断られてしまいました。何度か遊びに誘っても、「バイトがあるから」「地元の友達と遊ぶから」と毎回断られ、仕舞いには授業も一緒に受けていたはずが、相席してくれなくなりました。たった1人の友人も居なくなってしまい、あの時は本当に精神が辛くなりましたね。一緒に遊んだり、愚痴を聞いてくれたりする人がいないのは、思った以上に苦しかったです。

3年生の5月になれば全く相手してくれなくなりました。

 次にゼミの話をします。3年生になったらゼミで友達を作ろうと意気込んでいましたが、まさかのウェイ系のゼミに入ってしまいました。当時はコロナ禍だったので事前にゼミ見学会がなく、よりにもよってウェイなゼミを引いてしまいました。当然、ウェイ系さんは1人でゼミに入るわけがなく、友人と一緒に入っていました。そのため、初回の授業から既にグループができていて、授業が終わったらぼっちの私は懇談もせずに、1人で帰るハメになりました(一応、もう1人だけぼっちがいましたが、グループワークをブッチするなど、ダメ人間を極めておられる方で、あまり気が合わなかった…笑)。しかも、ゼミではオシャレな人が多く、とあるウェイ系女子に「服がダサい」と皆の前で間接的に言われ、非常に不快な気分になりました。
 かくして、部長は友人0が確定してしまいました。たった1人の友人に捨てられ、ゼミも大ハズレを引き、本当に人脈の運のない大学生活でした。3年生から友人を作るのは非常に難易度が高いため、部長はガチぼっちのまま卒業することが確定しました。

何の思い出の無いまま卒業は嫌すぎる。

1、2年生はコロナ禍で友人作りが非常に難しく、対面授業が再開し出した3年生になればガチぼっちになってしまい、何も楽しい学生生活を送らないまま、卒業になってしまうわけです。そう考えると辛くて辛くて、仕舞いにはストレス性の熱を出しました。この熱を治めるには、3年生だけど友人作りのために行動するしかありません。


3年生から友人作りに奮闘する

 何も行動しないままでは、友人0で卒業するのが確定します。部長は当時はものすごく引っ込み思案な人間でしたが、ぼっちのまま卒業するのが嫌なら、今までの自分から抜け出し、大胆な行動に出るしか選択肢はありませんでした。そこで、もっと大人しいゼミに転籍して友人を作ろうと思い、ゼミ変更面接を受けることにしました。また、3年生の高学年だけどサークル見学に行くことにしました。しかし、残念ながらどちらも上手くは行きませんでした。

当時の部長
「面接や、1人でサークル見学するのはかなり辛いが、ぼっちで卒業するのはもっと辛い!行動するしかない!」

 まずはゼミ変更面接の話をしましょうか。ゼミを変更するのは特別な理由がないとできず、また、面接を受けて通過しなければなりません。「ウェイ系ゼミの雰囲気が合わず、友人を作れないから」という理由で面接が通るはずもありませんから、私は嘘の変更理由をでっち上げました。それが、「興味分野と違ったから、別のゼミに行きたい」というものです。しかし、いざ面接を受けてみると呆気なくボロが出て、面接官から「その理由では変更は厳しいと思います。結果は明日メールにてお伝えしますが、期待しないで下さい」と言われ、案の定、お祈りメールが来ました。面接後はあまりにも気分が沈み、大学のベンチでだらーんと寝そべっていたら、面接官が通りかかり、会釈をされ、その時は私はだらけたポーズを取ってたのですごく気まずかったです…笑。

人生初のお祈りメールです。
嘘はすぐ見抜かれることを思い知りました。
結果にあまりにも絶望してしまい、教務部に何度か不平を申し上げたら(みっともない人間でごめんなさい)、大学の精神科医の方を紹介されました。

 次にサークルの見学です。ゼミ変更面接に失敗したため、転ゼミして友人を作るという路線が消えたので、今度はサークル見学に行くことにしました。時期がもう5月半ばだったので新歓はやっておらず、そんな中で3年生が1人で見学に行くのは吐きそうなほど緊張しましたが、頑張るしかありません。まずは、当時新設された某サークルに行ってみました。新設ということで、グループがまだ出来ておらず、行きやすいと思ったからです。実際、「3年生だけど初めてサークル見学に来ました!」って人もごく僅かに居て、多少は入りやすそうだと思い、入部しました。けど、あまりにもコミュ障すぎて、結局誰1人友人ができませんでした。
 その後、もう6つくらいのサークルに1人で凸し、最終的には3年生でも快く受け入れてくれそうなサークルを1つ探し当て、そこに入ることにしました。けど、やっぱりなんかダメでした。上部の会話をするような仲の人は作れましたが、遊びに行ったりできるような深い友人はできず、孤立感を感じてすぐ辞めてしまいました。やっぱり、3年生から真の友人を作るのは無理があるなと思い知り、けっこう絶望しました。


ストレス性発熱が半年間も長引く

 以上のように、友人作りのために頑張って行動したのですが、成果に結びつくことはありませんでした。ゼミの変更面接ではバッサリ落とされ、サークル入るのは3年生からではだいぶキツかったです。サークルでは、高学年はすでにグループができているので、1年生と仲良くなるしかありませんが、1年生に私の学年を伝えると、急によそよそしくなって関係を切られてしまいました。

部長は弟がいるので年下に抵抗はありませんが、1年生側は流石に仲良くしたいとは思ってくれないものです。

 ストレスを抱えている中、頑張って友人作りに行動したのに成果が出ず、しかも、もう3年生なので就活も意識しなければなりませんでした。社会は甘くないので、友人の1人すら作れないコミュ障ぼっちではブラック企業行きは確定でしょう。友人ができずに卒業は確定だし、ブラック企業行きもほぼ確定だし、お先真っ暗の人生に絶望し、ストレス性の熱が半年間も長引いてしまいました。
 そんな中、失敗続きでも諦めずにサークル見学に行っていたのですが、今の当サークルの副部長から「一緒にサークル見学に行かないか」と連絡を貰い、初対面同士で色々回ることになりました。そして、今では共に当サークルを設立するに至りました。

紫アイコンが部長です。
脱ぼっちまでの道のりはかなり険しかったです。


まとめ

 いかがでしたでしょうか。根暗な3年生が頑張って友人作りに行動してみた!というお話でした。実はこの記事ですが、当会にも高学年ぼっちさんがたまに体験に来ますが、そうした人に何か参考になればと思い、執筆することにしました。2年生ならまだ必修の授業がいくつかあり、自分から能動的に動かなくても友人を作るチャンスがありますが、3年生以降になるとかなり厳しくなります。それ故、高学年ぼっちが友人が欲しいと思うなら、自分から動かなければなりません。その一例として、私の話を参考にして頂けたらと思います。どうか、後悔のない大学生活を。

P.S.
今年4月に、部員を連れて、半分度胸試しにサークル新歓を回ってみたのですが、たまにサークルによっては学籍番号を書かされることがありました。4年生なので学年がバレてダルかったですね…。でも記入用紙を見てみると、色んな学生が学籍番号を書いているのが分かったのですが、「J21XXXX」(=3年生)と書いてる人がいました。昔の私のように、高学年から行動してる人っているもんですね。

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