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退魔の誠①

滅亡王国シリーズの中盤あたりの話なので、いつか漫画で読めるならその方がいいよ、という方はお待ちください。ネタバレです。
別に気にしないよ!て方はどうぞ。小説未満に近い。







「今日も喪服ですか」

おおよそ出発の準備を整えた私は、我が主の埃っぽい自室に足を踏み入れた。主は珍しく鏡の前に立ってクラバットを整えている。
「うん?」おそらく聞こえていない。
「そういや見合いの写真まで喪服でしたね。結婚すると自我が死ぬと思ってるタイプですか」
赤毛の主はいつも通りの空虚な笑顔で振り向いた。
「クィモラン!もっと大きな声で話してよ!全く何度言わせるの!」
相変わらず主は身振りがオーバーアクションで声も仰々しい。
「失礼。戦争で肺をやられているもので」
「奇遇だね、僕は耳だ!だが、君は自分で治したんだろう!?」
「後遺症は残るから後遺症なんです。代表こそ口話がお上手なんでしょ?」
「もう代表じゃない!もー!同じ事を言わせないで!」
もう「代表」ではなくなった主は、鏡に向き直り、いつも必ずはねる右側の前髪を梳り出した。
「これから隣国に飛ばされる王子様、そこはつむじが近くにあるから、どうやったってはねるんですよ」
「クィモラン、なんか~~~~~~固めるやつあったでしょ!?」
宙でろくろを回している。ワックスという言葉が出てこないらしい。
「私は持ってませんよ。貴方がもう箱に入れたんじゃないですか?」
「君の美点ではあるんだが、大概の従者は主の荷物の準備もするし、内容も把握してると思うんだよ。君という人間が実に省エネだというのは分かってるから別にいいんだけど」
「別にいいならいいじゃないですか。早く行きますよ。髪は諦めて。どうせ道中で乱れる」
納得がいっていないらしい溜息を深く吐きながら主がこちらに歩いてきたので、私は両手を広げて目を瞑り、指を人差し指から順番に畳みながら各部屋を地中に埋め、最後に王子の自室を畳んで埋めた。
「ちょちょちょちょちょちょちょちょい!」王子が走って私に飛びついた。
「それやる時は!僕が!外に出てからって!これも!何度も言った!!!」
「大丈夫です。一緒に埋めたりしません」
「分かってる!君が腕の良い魔法使いだというのは十分もう分かってる!ただ少しは僕のペースに合わせて欲しいという懇願だよ!!!!!!」
「もう予定の時間を過ぎてます。行きますよ」
「こんなに話を聞かない従者は生まれて初めてだ~」
主はいつも通り子どもっぽく不平不満をぶつくさ言いながら、私が地中から引き出して展開した馬車に乗り込んだ。「馬車」といっても馬はいない。もう随分昔に滅びた動物だ。今は大きな箱の下に機械の脚が4足付いた奇怪な装甲車だ。
主が白いクッションの間に無事収まったので、馬車に脳内で指示を出し発車させた。

「王国では魔術機器って呼ぶんでしょう?これ」
主は目の前で脚を組んで座り、最小限の動作でカモミールティーの入ったカップを口に運んでいる。そこまで揺れはしないとはいえ、器用なバランス感覚だなと感心した。体幹がしっかりしている。
「そうですね。魔術ではなく技術のはずですが、王国ではそういう事になっていますね」
「魔術師というのが中枢にいるんでしょ?君みたいな魔法使いではないんだよね?」
「違いますね。王国では魔法が禁じられてますから。魔法は魔女だけが使えるもの、と定義しているようです」
私は両足を開いてバランスを取りながらそんなに好きではない妙な匂いのお茶を飲んだ。クソぬるい。だが、主は猫舌なのでぬるくないと飲めないのだ。ぬるい茶を優雅にすすりながら主は窓の外を暇そうに眺めている。
「で~、魔術師というのは?」
「貴方だって私の資料を読んでいないじゃないですか・・・・・・」
「だって字が汚かった」
「私は外国人です。今のは出生国を離れて外国語で働く外国人に対する差別発言にあたります」
「そうか!ごめん!でも残念ながら読めなくて寝ちゃった。PCか何かで打ち込んでPDFで送ってくれれば読めたのに」
「私はあの板苦手なんです」
「板って!王国出身のくせに」
「レイシストめ。お前も元を辿れば」
「あー!またお前って言ったお前って言った!ばーかばーか」
王国に走っている列車一両分の広さはある大きな箱の中の小さなテーブルとソファで暫くいつものくだらない軽口を叩き合い、いつの間にか「魔術師とは何か」を私は説明しそびれた。
もっと前に聞いてくれれば知ってる限りの説明をしたし、急いで手書きで資料にして渡す必要もなかったし、こんな馬鹿みたいなやり取りもしないで済んだのに。例の魔女については共和国でもよく知られているようだったから、例の魔術師についても当然知られているものと私は思っていたが、昨日になって違うと発覚したのだ。主が王国で恥をかかないように書き慣れない異国の言葉で急いで書いたというのに、全くこの人は。

「結局、こっちの顔は戻らなかったなぁ」
主は自分の顔の右半分を覆っている仮面を触った。

約半年前の、この主がSD教会の代表だった時の演説の際に、暴漢に酸を浴びせられたらしい。現在の共和国の医療では再生に限界が有り、「生得魔法」である治癒を操れる人間も共和国にはいなかった。
私がSD教会の配した「駅」を通って共和国に入国するまでは。
私は王国からの得体の知れない移民から、一気にSD教会の代表の側近にされ、毎日毎日その主の顔を徐々に以前の美しさまで戻す事となったのだ。
一ヶ月前まで代表だったこの主は、共和国が王国だった時代の王族の者で、13番目の王子に当たるという話だ。10代半ばから20代の後半は軍属として国防に携わり、装甲車ごと地雷で吹き飛ばされてからは、国教と言っても過言ではないSD教会の理事として、一昨年からは代表として、本当に思っているのやら思っていないのやらよく真意は掴めないものの一先ず害は無い演説を各地で繰り返していた。数多くの犯罪と同じように被害者の「落ち度」は責められるべきものではないものの、その真意の掴めなさや、元軍人である事や、元王族である事や、もしかしたら多少癇に障る笑顔が最後の引き金となったのか、とにかく顔の大部分に酸を浴びたようだった。その時共和国にいなかった私には詳細が分からないし、本人からも説明が無いから私から聞く事はしていないが。
物体を移動させたり変形させたりする魔法は、共和国では学校で習う事が可能らしいが、人体の再生等は「生得魔法」という領域のものらしく、後天的に身に付ける事が現時点で不可能との事だった。
私は半年かそれより前までは王国の兵士として過ごしており、自分の傷を周囲に気付かれぬようこっそり治すのが常だったので、そこまで稀有な力だとは思っていなかった。それよりもまず、王国では魔法を操る人間は有無を言わさず悉く処刑される為、気付かれぬよう細心の注意を払って生きてきたので、そちらの偽装能力の方が私の長所だと心得ていた。
「駅」を辿る旅に出てから同行者の傷を秘密裏に治していたのがSD教会の人間に見つかり、あれよあれよとこの目の前の、年の割には落ち着きの無いそれなりの権力者の世話係にされてしまった。
給料は驚く程良いので全く文句は無かったものの、何の因果かこの主に付き添ってまた王国に再入国する事になるとは全く悪い冗談のようである。
「ああ、そうだ。悪い冗談といえば」

私は主の後頭部に両手をまわし、仮面を支えるベルトを許可無く取った。
「ちょい!」
「今まで騙していてすみませんでしたね」
酷いケロイド状で眼球も濁っている右半分の顔を左手で覆い、目を閉じて、見合いの写真で見た、そこそこ美しい顔の主を思い浮かべた。
「鏡を見てください。記憶と違えば調整します」
私はポケットから自分の手鏡を取り出して、主の顔の前に開いた。主の表情は手鏡に隠れて見えないが、酷く驚いているのは分かった。
「一日で治しちゃったら一日分しか給料貰えないと思って、さぼってただけなんですよ」
流石に怒られると思った。この人は元軍人で元王族である割には他者から与えられる理不尽に殆ど真剣に怒らない。私からしたら想像もつかない程「寛容」だ。だが、これは流石に怒るだろう。「もー!」等という子どもの愚痴のようなものではなく、これは真剣に怒っていい事だ。

「君は本当に素晴らしい魔法使いなんだね」
主はいつもより小さな声でただ静かに笑っただけだった。
私は少し呆れてしまった。この人はどうやったら怒る事が出来るのだろう。

「怒ればいいのに。怒れば良かったんですよ。私にも。教会にも。議会にも。あの忌まわしき王国にも。婚姻の儀、なんて、いつの時代の儀礼ですか?もう共和国はあの王国よりもずっと豊かで・・・・・・私のような得体の知れない移民を、貴方のような素晴らしい経歴の権力者の側にぽんと置いて毎月多額の給料を与える程の、少し軽率な程の柔軟性がある。それなのに未だに属国なのですか?貴方は未だに国の王族なんですか?婿に行けと言われれば、はい喜んで!と、何の文句も垂れずに、従者1人だけを連れて、誰の見送りも無しに・・・・・・何故、腹が立たないんだ。私は貴方みたいにただ優しいだけ、従順なだけの人間が大嫌いだ」
私はいつの間にか泣いていた。私は怒るといつも泣いてしまう。

「そうだね」
彼は両目とも緑に戻った瞳を斜め下に動かして、ただ僅かに頷いた。
「僕はずっと、認められようとしてきただけなんだよ、クィモラン。僕は生まれた瞬間から、もうこの世には必要無い存在だった。それでも周囲は取り繕って美しい美しいと言って僕を育ててくれたんだ。僕の取り柄は美しい事だけだった。でもそれは嫌だったから軍隊に入ったんだ。顔に一生の傷の一つでも付かないかと思って。運良く、運悪くかな?地雷で鼓膜を破かれただけだったけど。その後は・・・・・・何か信じられるものがあれば、僕は何とか生きられるかもしれないと思った。顔に傷を付けたかっただけで軍隊に入り、人を殺した僕が、もっと、より良い人間になれば、人が、いや、神のようなものが、僕を認めてくれるだろうと。でも結局そこでも利用されたのは、顔と、元王族の身分、無駄に培った舌回りの良さ・・・・・・結局同じだ。僕を、僕自身を見る人間に最近まで中々出会えなかった。大昔に会ったきりの幼馴染、それと君、あと例の姫君くらいだ。僕はこの傷を見せて嫌われようと思ったのに、あの子は自分の手袋を取って毒矢に貫かれた痛々しい傷跡を見せて『お互い大変だったね』と言った」
「待ってください。その傷は故意に自分で?暴漢はサクラだったんです?」
主はもう何処もひきつらなくなった笑顔で歯を見せた。
美しい笑顔だった。

「うん、故意のようなものだね。僕はずっと自分を偽って生きてきたんだよ。怒っていないんじゃない。ずっと怒ってるさ。生まれてこのかたずっと怒っているから、顔に笑顔を貼り付けて気付かれないように生きてきただけだよ。僕は・・・・・・僕は、あの王国を滅ぼしに行くんだ」
「え?」
「王国を滅ぼすんだ。あの、クソみたいな王を。もう計画は動き出してる。あの王国の王族は死ぬだろう。例の姫君だけを残して」
急に一体何を言い出したんだこの人は。
この人が「クソ」なんて言葉を使ったのは初めてだ。悪い冗談だろうか。
しかし、彼のいつもの笑顔は消え去って、ただ後ろめたそうに私から目を逸らし、斜め下を見ているばかりだ。

「魔法は二種類だ。範囲魔法と恣意魔法。共和国では主に範囲魔法が研究され、学校でも教えられている。物体をある場所からある場所へ移動させるのがメインで、変形は複雑なものは無理だ。鉄を曲げたり、氷をすぐに水にしたり、機械を使った方が早そうなもの。恣意魔法は、君が使っているものだ。生得魔法とも呼ばれてる。使用者の考え、主に想像力に頼る部分が大きいから、失敗も大きい。一歩間違うと危険だから中々研究進んでいないだけで、僕は後天的にも学習可能だと思っている」
「いきなり何です?魔法の授業?」
「うん、君は外国人だからね。時間が無いから次だ。いわゆる魔女の魔法は範囲魔法ではなく、恣意魔法だと考えられている。しかも魔女の想像力ではなく、対象者の想像力だ」
「対象者?」
「今回は、例の姫君だ。彼女がおそらく・・・・・・『家族』だと認識している者全てを殺すのが、いわゆる魔女の災厄だ。分かった?」
私は彼が喪服を着ている意味を悟った。

「彼女はたった一度、僕に会って、話をしただけで僕を『家族』だと言った。それはきっと嘘じゃないだろう。誠実な人間だという事は十分に分かったからね。僕も、あの数分で」
「・・・・・・私が来なければ良かったんだ」
「違う!彼女は僕の顔が全て、見合いの写真とは全くの別物でも、同じでも、僕を『家族』だと言っただろう。彼女と僕は似ていないが、不思議と、鏡のような存在だった。魔女の災厄の準備を自分でしておいて、僕だけがそれから逃れられると、顔を潰しただけで逃れられると考えた僕が馬鹿だった」
「馬鹿ですよ。貴方の魅力は、顔じゃないって、私でも分かる」
「・・・・・・そっか!そうか。良かった。ああ、本当はこれで良かったんだ。ありがとう、クィモラン。この数か月・・・・・・この一ヶ月が、一番楽しかったんだ」

私はずっと泣いていたのに、彼はちっとも泣かないままで、ただ少し自嘲気味に笑ってごぽりと血を吐き出した。クラバットが赤黒く染まり出す。

私は、貴方と一緒ならばあの地獄に戻ってもいいかと思ったんだと、一番大事な事を伝え忘れた。

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