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(浅井茂利著作集)従業員重視経営、ステークホルダー重視経営への流れ

株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1648(2020年3月25日)掲載
金属労協政策企画局主査 浅井茂利

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 2019年8月、米国の経営者の団体であるビジネス・ラウンドテーブルは、「企業の目的に関する声明」を発表、2020年1月のダボス会議でも、「ダボス・マニフェスト2020」が指針として示され、株主利益第一主義の経営から、従業員重視経営、ステークホルダー重視経営への転換が打ち出されました。
 グローバル企業では、従業員重視経営、ステークホルダー重視経営が大きな流れとなっているように見受けられますが、残念ながら日本企業では、そうした方向性が見られないように思われます。
 企業のデフレマインドがいまだに払拭されていないことも影響しているのでしょうが、2020年の経団連『経営労働政策特別委員会報告』でも見られるように、経営側は依然として総額人件費抑制・人件費の変動費化の呪縛にとらわれています。ICT分野などで優位性を失ってきた日本企業は、ここでもまた、周回遅れの対応となりそうです。

従業員重視経営への転換

 本誌2019年11月25日号でもご紹介しましたが、2019年8月、米国の主要な経営者の団体であるビジネス・ラウンドテーブルは、アフラック、アクセンチュア、アメックス、アマゾン、アップル、ボーイング、キャタピラー、コカ・コーラ、デル、エクソン、フォード、GM、IBM、JPモルガン、ファイザー、ウォルマートといった、製造業だけでなく金融関係を含めた米国を代表する企業、およびバイエル、BP、シーメンスといった英国やドイツ系企業の米国法人も含め、181社のトップがサインして、「企業の目的に関する声明」を発表しました。
 顧客への価値の提供、従業員への投資、サプライヤーとの公正かつ倫理的な取引、コミュニティーへの支援、株主への長期的な価値の創出という5項目を掲げ、企業、地域社会、そして国の将来の成功のために、すべての人々に価値を提供することを約束しています。
 従業員への投資については、
*公正な報酬を支払い、重要な給付を提供することから始まる。
*急速に変化する世界に対し、新しいスキルの開発に役立つ教育訓練によるサポートも含まれる。
*多様性と包括性、尊厳と尊敬を育む。
ことを掲げています。
 また、2020年1月に開催されたダボス会議では、「ダボス・マニフェスト2020」が指針として示されました。1971年に始まったダボス会議は、もともと「企業は顧客、従業員、地域社会そして株主などあらゆる利害関係者の役に立つ存在であるべきだ」とする創設者クラウス・シュワブ氏の理念を展開する目的で創設されており、それが1973年の「ダボス・マニフェスト」としてとりまとめられていたそうですが、「2020」では、さらに公平な課税、反汚職、役員報酬、人権の尊重など、現代的な課題が付け加えられており、ビジネス・ラウンドテーブルと同様、顧客、従業員、サプライヤー、地域社会、株主に対する企業行動についてコミットされています。
 従業員については、
*企業は従業員を尊厳と敬意を持って扱う。
*多様性を尊重し、労働条件と従業員の幸福の継続的な改善に努めていく。
*急速な変化の世界で、企業は継続的なスキルアップとスキルの再構築を通じて継続的なエンプロイアビリティーを促進する。
ことを掲げています。そして、世界の状況を改善するために、官民連携や市民社会との協力を通じて、企業が持つ能力とリソースを活用する、としています。

社会主義からの圧力に対する対抗軸としての株主利益第一主義

 こうした動きは、株主利益第一主義経営から、従業員重視経営、ステークホルダー重視経営への転換を促すものとみなされています。
 そもそも株主利益第一主義は、社会主義革命やケインズ革命に対する反革命(フリードマン革命)を主導した米国の経済学者、ミルトン・フリードマンが、
*企業の社会的責任は唯一無二であり、詐欺や不正手段を用いず、開かれた自由な競争に従う限りにおいて、企業の利潤を増大させることをめざして資源を使用し、事業活動に従事することである。
*法人企業の役員が株主のためにできる限りの利益をあげるということ以外の社会的責任を引き受けることほど、自由社会の基盤そのものを徹底的に掘り崩すおそれのある風潮はほとんどない。
と主張したのが最初と言われています。
 これは、1962年出版の『資本主義と自由』ですでに記載されていることですが、1960年代から70年代にかけては、キューバ危機(1962年)、「プラハの春」の弾圧(1968年)、そしてアフガニスタンへの侵攻(1979年)といった具合に、ソ連そして社会主義が、自由社会ひいては市場経済に脅威を与えることとなっていました。
 ソ連や社会主義からの圧力が高まる中で、自由社会、市場経済の側でも、社会主義に融和的な傾向が強まりました。ヨーロッパでは基幹産業が国有化され、イギリスでは炭鉱スト(1973年)によって政権が崩壊しました。

社会主義からの圧力の消滅で一方的な株主利益第一主義へ

 自由社会、市場経済が危機に瀕している中で、社会主義からの圧力に対抗し、フリードマンが利潤増大・株主利益第一主義を主張したとしても、その時点としては、むしろやむを得ないことであったと思います。
 しかしながら1980年前後には、英国ではサッチャー政権、米国ではレーガン政権、わが国では中曽根政権が成立し、自由社会、市場経済の側の反撃が始まりました。社会主義に対する人々の期待は幻滅に転じ、1989年のベルリンの壁崩壊により冷戦が終結、ソ連は消滅しました。中国では共産党独裁が続きましたが、経済では市場経済を掲げ、自由社会を脅かす存在とはみなされなくなりました。
 世界全体が市場経済化することにより、世界経済の成長力は高まり、とりわけ途上国、(社会主義経済からの)移行国の発展はめざましく、新興国として世界経済で大きな役割を担うようになるとともに、こうした国々における生活の向上・底上げも急速に進みました。
 しかしながら一方で、グローバル経済下での競争は熾烈なものとなり、東西冷戦の下で繁栄を謳歌してきた先進国では、新興国の追い上げを受けて衰退する産業も出てくることになりました。市場経済の下では、先進国は産業の高度化や産業構造の転換を進めることにより、雇用や生活水準の維持・向上を図るべきでしたが、社会主義の圧力が消滅していたにも関わらず、対抗軸であった株主利益第一主義が残ったため、企業行動はその方向に大きく傾き、もっぱらコスト削減の観点から国内の生産縮小・雇用削減、人件費抑制が進められました。
 日本でも旧日経連が1995年、正社員は一部の幹部社員のみ、技能職や一般職は非正規労働者にするという「新時代の日本的経営」報告書を発表したのをきっかけに、総額人件費の抑制・人件費の変動費化が進みました。
 株主利益第一主義は所得・資産の格差を極端に拡大させることになり、放置できない問題としてクローズアップされるようになりました。国際機関では、1998年の「ILO宣言」を皮切りに、2000年、2011年の「OECD多国籍企業行動指針」の改定、2011年の国連「ビジネスと人権に関する指導原則」、2015年の国連「持続可能な開発目標(SDGs)」など行き過ぎた株主利益第一主義を背景とした基本的人権や労働基本権の侵害を是正し、経済活動の持続可能性を確保しようとする取り組みが展開されました。

再び自由社会、市場経済の危機に

 このような企業の社会的責任重視の考え方は流行し、定着はしたものの、企業行動を抜本的に変えるまでには至らなかったと思います。しかしながら、英国のEU離脱や米国で社会主義者を標榜するサンダース上院議員への支持の高まり、ヨーロッパ各国に見られるポピュリズムの台頭は、再び自由社会、市場経済への脅威を思い出させることになりました。
 従業員重視経営、ステークホルダー重視経営への転換は本物なのか、懐疑的な見方もありますが、社会主義でも社会主義との融和でもなく、株主利益第一主義でもない道として打ち出されているとすれば、それは本物ということになるのではないでしょうか。

日本はまた周回遅れか

 世界的な企業行動の流れは、従業員重視経営、ステークホルダー重視経営の方向に大きく傾いていますが、日本では、まだそうした動きが見られないように思われます。
 『経労委報告』では、ギャラップ社の2017年の調査で「熱意あふれる社員」の割合が日本は6%と、調査対象139カ国中132位であったことについて、「日本ではポジティブな感情や態度を抑制することが社会的に望ましいとされることの影響が指摘されている。エンゲージメントの国際比較においては、各国の文化や慣行の影響を受ける可能性を踏まえた解釈が必要となる」と主張しています。表面的にアンケートをとると、日本の従業員の熱意は低いように見えるが、それは日本人が控えめだからだ、というわけです。
 また、国際比較調査グループISSP(日本はNHK放送文化研究所が加盟)の調査で、「経営者と従業員の関係が良い」と考える人が、男性が54%で31力国中30位、女性が60%で同じく28位となっていることについて、NHK放送文化研究所は、「日本では一般的に上司と部下の関係が、契約やルールに則って築かれるというよりは、主観や忠誠心といった心理的な側面に左右されやすい」「日本では連帯責任という文化が根強く残っているために、ひとりがミスをすると職場全体が後始末をしたり、罰を受けたりするために、互いに厳しく監視しあう企業風土がある」ため、と分析しています。
 しかしながら、個社によって大きく異なってはいますが、1990年代後半以降、日本企業では総じて従業員軽視の傾向が強まってきており、熱意の低さも経営者と従業員の関係の悪さも、説明の必要がないほど必然のことのように思われます。経団連やNHKの理屈づけは、きわめて不自然です。
 マスコミにおいても、「日米で企業の置かれた立場は異なる。米国は行き過ぎた株主重視の結果、揺り戻しが起きているのに対し、日本は過度な株主軽視が、企業の競争力低下を招いた」などという論評が見られますが、株主重視・従業員軽視と競争力低下が軌を一にしていることからすれば、見当違いと言わざるを得ません。
 経団連米国事務所は2019年11月、ビジネス・ラウンドテーブルから「企業の目的に関する声明」の説明を受けたとのことですが、「声明」の概要について、「企業は顧客への価値の提供、従業員の能力開発への取り組み、サプライヤーとの公平で倫理的な関係の構築、地域社会への貢献、そして最後に株主に対する長期的利益の提供を行うことを明示した」と紹介しています。  「声明」では、従業員への投資として、まず公正な報酬や給付を掲げているのに、あえてこれに触れていないことは、経団連というよりも、日本の経済界全体の意識の遅れを如実に示すものといわざるをえないでしょう。
 ICT分野などで優位性を失ってきた日本企業は、従業員重視経営、ステークホルダー重視経営という点でもまた、周回遅れの対応となるのでしょうか。

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