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(浅井茂利著作集)在宅勤務の論点整理(2)

株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1655(2020年10月25日)掲載
金属労協政策企画局主査 浅井茂利

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 前回も触れたとおり、新型肺炎の感染拡大の下で緊急避難的に採用された在宅勤務については、今後、
*在宅勤務で対応可能な部門や職種では、在宅勤務を基本とし、定期的な報告や、必要に応じて出勤する。
*どのような部門・職種においても、私傷病の療養や育児・介護など個人の必要に応じて、在宅勤務を広く活用できるようにする。
という2つのパターンで活用が進むのだろうと思います。
 後者については、ワーク・ライフ・バランスや男女共同参画の観点からも、大いに前進が図られるべきだと思いますが、前者については、すでに新型肺炎の終息後も在宅勤務を基本とする方針を打ち出し、オフィススペースを削減している企業もあるようですが、十分慎重な判断が行われるべきだと思います。
 在宅勤務を経験し、「在宅勤務で十分やれるじゃないか」という印象を持った方は少なくないと思います。事務系の職場などでは、単に日々の作業をこなしていくだけならば、在宅勤務で十分な場合も多いでしょう。しかしながら重要なのは、作業がこなせるかどうかではなく、在宅勤務を基本とする働き方を広く導入した企業と、出勤を基本として在宅勤務を採り入れた企業とで、3年、5年を経たのちに、競争力の差がどのように出てくるかということです。在宅勤務を基本とする働き方を続けていて、職場の現場力、ひいては企業の競争力を維持し続けることができるのかどうかは、はなはだ疑問です。
 メーカーの場合、商品の性能や品質が企業の競争力にとって決定的に重要であるように思われますが、現実には、性能や品質が優れているからといって、必ずしも売れるわけではありません。企業が競争力を維持・強化し、持続的な発展を遂げていくためには、研究開発部門や製造部門、営業部門だけでなく、間接部門も含めたすべての職場で、「現場力」を高めていくことが不可欠です。そして多くの職場において、現場力の源泉は、職場全体のチームワークにあると思います。
 具体的には、
*職場で形成され、共有され、蓄積され、さらにブラッシュアップされていく知恵や工夫、ノウハウ
*職場の従業員一人ひとりが得意とするさまざまなスキルを発揮し合い、影響し合い、サポートし合う力
だと思います。
 在宅勤務を基本とする働き方で、こうした現場力を維持・強化することは、なかなか困難なのではないか、いわゆるメンバーシップ型雇用システムや、その特徴のひとつである職能給制度の観点から、こうしだ点について、検討してみたいと思います。

在宅勤務を基本とした場合、ジョブ型雇用システムが必須となる

 現在、日本企業の多くで「メンバーシップ型雇用システム」が採用されています。労働政策研究・研修機構労働政策研究所の濱口桂一郎所長の著書『日本の雇用と労働法』によれば、メンバーシップ型とは、
*職務の定めのない雇用契約
*長期雇用慣行(採用における新規学卒者定期採用制と退職における定年制)
*定期昇給制による年功賃金制度
*ホワイトカラー労働者とブルーカラー労働者を包含した企業別組合
*メンバーシップ型の「陰画」としての非正規労働者
が特徴とされています。これらの特徴は、1990年代後半以降、相当変化してきていますが、それでも本質的には維持されていると言えるでしょう。
 濱口氏は、「長期雇用慣行、年功賃金制度及び企業別組合は、すべてこの職務の定めのない雇用契約という本質からそのコロラリー(論理的帰結)として導き出されます」と指摘していますが、筆者は、むしろ企業別組合という仕組みが、職務の定めのない雇用契約、長期雇用慣行、年功賃金制度の土壌となっているのではないかと考えています。ただし、企業別組合が強固に存在するから、メンバーシップ型雇用システムも存続し続ける、と考えるのは間違いで、労使関係の変化や在宅勤務のような環境変化によって、職務の定めのない雇用契約、長期雇用慣行、年功賃金制度といった仕組みは、簡単に崩壊すると思います。
 メンバーシップ型雇用システムの下における能力開発について、濱口氏は、
*その職務については未経験で熟練していない者をつけることになるので、企業内教育訓練が重要。
*企業内教育訓練も、実際に職務につかせて作業をさせながら技能を習得するOJTが一般的。
と指摘しています。経団連も、メンバーシップ型の特徴のひとつとして、「職務を限定せず社内で様々な仕事を担当させながら成長を促す人材育成プロセス」を挙げています。(2020年版経営労働政策特別委員会報告)
 OJTとは結局、先輩が後輩を指導する、背中を見せる、まねをさせることによって、実務作業はもちろんのこと、職場で形成され、共有され、蓄積され、さらにブラッシュアップされていく知恵や工夫、ノウハウを習得していく、ということですから、在宅勤務を基本とする働き方の場合には、なかなか困難なのではないかと思います。
 日本生産性本部の「第2回働く人の意識に関する調査」(2020年7月実施)によればテレワークにおける「労務管理上の課題」として、20~30代で「上司・先輩から十分な指導を受けられない」との意見が多く見られた、とのことですし、労働政策研究・研修機構の「生産性の高いテレワーク実現に向けた方策提言」(2020年7月)でも、「人材育成への懸念を課題と挙げる企業も多い」と指摘されています。
 OJTが機能しにくいのであれば能力開発は、企業が従業員に対しOff-JTを実施するか、従業員個人が自己啓発を行う以外に方法はありません。OJTであれば教育訓練費用は賃金の中に吸収されてしまいますが、Off-JTや自己啓発の場合には、企業や従業員本人に明確な費用負担が発生します。
 そうした場合、「職務の定めのない雇用契約」で、「職務を限定せず社内で様々な仕事を担当」させることは、企業や従業員にとって著しく資金効率、そして時間効率が悪いということになります。在宅勤務を基本とする働き方を採用する場合には、たとえ採用の時点では「職務の定めのない雇用契約」であったとしても、初期の教育訓練を修了したのちは、すみやかに「職務を限定する」必要が出てきます。メンバーシップ型ではなく、ジョブ型雇用システムを採用せざるをえない、ということになるのではないでしょうか。
 ただし、ジョブ型の定義については、あまり明確となっていないようです。経団連の経労委報告でも、「職務(ジョブ)・役割を遂行できる能力や資格のある人材を社外からの獲得あるいは社内での公募により対応する欧米型」の雇用システム、もしくは「当該業務等の遂行に必要な知識や能力を有する社員を配置・異動して活躍してもらう専門業務型・プロフェッショナル型に近い雇用区分」、「メンバーシップ型社員に多く導入されている職能給」に対して、「ジョブ型社員には職務給や仕事給、役割給の適用を検討する」といった説明がなされている程度です。
 なお、クリエイターやICT系技術者などいわば職人的な技術・技能を発揮する専門職では、現在でもジョブ型になっている場合があります。こうした職種は、現場力の源泉がもっぱら個人の才能や研鑚による部分が大きいと思われますし、チームワークも、異なる職種、異なる職場の人々とのチームワークがより重要です。そうした点で、在宅勤務を基本とする働き方で対応が可能であるし、むしろ創造力や効率を高めることになるかもしれません。

在宅勤務を中心とする働き方では、職能給は採用できない

 次に、メンバーシップ型雇用システムの特徴のひとつである職能給制度の観点から、在宅勤務について、考えてみることにします。
 職能給は、言うまでもなく職務遂行能力を評価し、それを賃金に反映する仕組みです。顕在能力のみならず、潜在能力をも含めて評価する制度、と説明されることもありますが、厳密に言えば職能給はチームワークを基本とする職場において、チーム全体の成果を高めるために必要な、チームのメンバー一人ひとりが得意とするさまざまなスキルを評価する仕組みである、と言えるのではないかと思います。
 荻原勝氏(人材開発研究会代表)の著書『人事考課制度の決め方・運用の仕方』では、人事考課の項目として、
*勤務態度考課・・・規律性、協調性、積極性、責任制、報告・連絡・相談、改善意欲、信頼性、時間意識・時間活用、自己啓発、消費者志向性、安全意識
*職務遂行能力考課・・・知識・技術・技能、理解力・判断力・表現力、実行・行動力、計画力、折衝力・交渉力、外国語力、業務改善力、情報収集力、バランス感覚、トラブル対応力、クレーム対応力、気力・体力、ストレス耐性
*勤務成績考課・・・仕事の量(目標達成度)、仕事の迅速さ、仕事の質・正確さ
などを挙げています。
 大変わかりやすい整理ですが、筆者はここで「勤務態度考課」の項目とされているものについても、広義の「職務遂行能力」に入ると考えています。ですから本稿では、「勤務態度考課」に入っている項目を「基礎的な職務遂行能力」、「職務遂行能力考課」に入っている項目を「実務的な職務遂行能力」と仮に名付け、話を進めたいと思います。
 職能給は「能力主義」と言われますが、その本質は、実務的な職務遂行能力だけでなく、基礎的な職務遂行能力についても評価する、ということだと思います。このため、職能給制度における人事考課は主観に基づいた総合的で抽象的な評価、という誤解があることは否定できません。たしかに、基礎的な職務遂行能力は、営業成績のようにただちに数値で示されるものではありませんが、ある程度客観性をもって、具体的に評価することは可能だと思います。
 もし職場全体の現場力が、個人の能力を単純に足し合わせたものであるならば、そもそも能力を評価する必要はなく、単純に勤務成績を評価するだけで十分だと思います。しかしながら、チームワークを基本とする職場では、チームのメンバー一人ひとりが得意とするさまざまなスキル(基礎的な職務遂行能力、実務的な職務遂行能力)を発揮し合い、影響し合い、サポートし合うことによって、職場全体の現場力が相乗的に高まり、ひいては企業の競争力強化につながるのだと思います。こうした場合には、一人ひとりの勤務成績を評価するだけでは不十分で、メンバー一人ひとりが得意とするさまざまなスキルを評価していくことが不可欠となります。
 在宅勤務を基本とする働き方では、「メンバー一人ひとりが得意とするスキルを発揮し合い、影響し合い、サポートし合う」機会は限られたものとならざるを得ません。慶応義塾大学経済学部の大久保敏弘教授と総合研究開発機構が行った「第2回テレワークに関する就業者実態調査」(2020年6月実施)を見ても、「テレワークが進めば、組織・事業としての結束や一体感の維持が難しくなる」と思う者(とても+やや)は37%に達しており、そうは思わない者(同)の19%をはるかに上回っています。
 パーソル総合研究所の「第3回新型コロナウイルス対策によるテレワークへの影響に関する緊急調査」(2020年5~6月実施)でも、「テレワーク業務時の不安」は、「非対面のやりとりは、相手の気持ちがわかりにくく不安」「上司から公平・公正に評価してもらえるか不安」「上司や同僚から仕事をさぼっていると思われていないか不安」がトップ3となっており、とりわけ「上司から公平・公正に評価してもらえるか不安」については、4月時点の調査に比べてかなり増加する状況となっています。
 さまざまなスキルを発揮し合い、影響し合い、サポートし合う機会が限られ、従って、職場全体の現場力を相乗的に高めるということも困難になるのであれば、さまざまなスキルを評価する職能給制度は適切ではなく、職務の内容と勤務成績で賃金を決定する職務給を採用せざるをえません。どのような職種に対して出勤を基本とし、あるいは在宅勤務を基本とするのか、メンバーシップ型雇用システムを採用し、ジョブ型を採用するのかについては、現場力の維持・強化の観点に立って、それぞれ各企業で慎重に判断すべきことだと思います。ただし、ジョブ型雇用システムを導入するためのきっかけとして在宅勤務を拡大する、というようなやり方は本末転倒であり、避けるべきだと思います。

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