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(浅井茂利著作集)ILO未批准2条約問題で新たな動き

株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1627(2018年6月25日)掲載
金属労協政策企画局主査 浅井茂利

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 本欄でもたびたび取り上げていますがILO(国際労働機関)の基本8条約中2条約について、日本が未批准となっている問題ですが、ここにきて、新たな展開が見られるように思われます。2条約はいずれも、ILO加盟187カ国中175カ国が批准しているものであり、日本が未批准となっているのは、大変恥ずかしいことといわざるをえません。もう十分遅すぎるわけですが、せめて来年2019年のILO創設100周年までには、何としても批准すべきだと思います。

末批准2条約の問題とは

 まず最初に、ILO基本8条約中、日本未批准2条約の問題について、簡単にご紹介したいと思います。
 ILOでは、労働者の最も基本的な権利を「中核的労働基準」と呼んでいます。
*結社の自由・団体交渉権
*強制労働の禁止
*児童労働の廃止
*差別の排除
の4項目ですが、これらは8つの基本条約、すなわち、
*結社の自由及び団結権保護条約(第87号)
*団結権及び団体交渉権条約(第98号)
*強制労働条約(第29号)
*強制労働廃止条約(第105号)
*最低年齢条約(第138号)
*最悪の形態の児童労働条約(第182号)
*同一報酬条約(第100号)
*差別待遇(雇用及び職業)条約(第111号)
において、規定されています。
 中核的労働基準に関しては、1998年の「労働における基本的原則及び権利に関するILO宣言」において、基本8条約を批准していない場合においても、まさにILOの加盟国であるという事実そのものにより、「尊重し、促進し、かつ実現する義務を負う」ことになっています。現実には、「ILO宣言」は、「政治的文書」とみなされていますが、それでも、すべての基本条約の批准に至っていない加盟国に対しては、ILO宣言に従って行った努力について、「各国の法律及び慣行におけるあらゆる変化に関する情報」について、「年次フォローアップ」として報告することが求められています。
 日本は、基本8条約のうち6つを批准していますが、強制労働に関する105号、および差別に関する111号については、末批准となっています。
 105号は、
*政治的な圧制もしくは教育の手段、または政治的な見解もしくは既存の政治的・社会的もしくは経済的制度に思想的に反対する見解を抱き、もしくは発表することに対する制裁
*経済的発展の目的のために、労働力を動員し利用する方法
*労働規律の手段
*ストライキに参加したことに対する制裁
*人種的・社会的・国民的または宗教的差別待遇の手段
としてのすべての種類の強制労働を廃止し、これを利用しないことを約束するものです。
 また111号は、雇用と職業の面で、「人種、皮膚の色、性、宗教、政治的見解、国民的出身、社会的出身などに基づいて行われるすべての差別、除外または優先で、雇用や職業における機会または待遇の均等を破ったり害したりする結果となる」どのような差別待遇も行われてはならないことを規定するものです。ただし、特別の条件を必要とする特定の業務についての差別・除外または優先は、差別待遇とはみなされません。また、国の安全を害する活動について正当に嫌疑を受けている者やこの活動に従事している者に対して行われる措置も、差別待遇とはみなされません。
 批准国は、差別待遇廃止のため必要な政策をとり、この政策を促進していく上で労使団体の協力を求め、反差別待遇の法律を制定し、教育計画を進め、この政策と一致しない法令の条項を廃止し、政令・慣行を改正しなければなりません。
 105号、111号の両条約とも、ILO加盟187カ国中175カ国が批准しています。

105号は公務員に対する懲役が問題

 次に105号、111号について、なぜ日本が批准できないとされているのか、整理したいと思います。
 まず105号ですが、これは従来から、公務員の「同盟罷業、怠業その他の争議行為」について、「企て、又はその遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおっ」た者について、懲役が適用されることが問題とされていました。
厚生労働省では、これも含めて81項目の法令が105号に抵触する可能性があるとしていましたが、最近の整理では、やはり問題点はこれに絞られているようです。
 「刑事施設に拘置して所定の作業を行わせる」懲役が問題なわけですから、「刑事施設に拘置する」だけの禁固にすれば、差し支えないわけです。もちろん、スト指導者を刑事罰に処すること自体の是非ということが本質的な問題としてありますが、105号に対しては、とりあえずそれで対応できるわけです。
 この間題に対する厚労省の考え方は、刑罰全体のバランスから見て、ILO条約の批准だけを理由に、懲役を禁固に改正することは難しい、ということのようですが、筆者はこれに対して異論があります。
 まずひとつは、スト指導者が懲役の対象となっている現在のほうが、むしろ刑罰全体のバランスから見て、おかしいのではないか、ということです。
刑法では、自由刑(拘禁による自由の剥奪を内容とする刑罰)として、懲役、禁固、拘留の3種類を定めていますが、懲役と禁固の区別は、「政治犯のような非破廉恥的な動機に基づく犯人に特別な処遇を与えるという名誉拘禁の思想に由来するもの」とされています。ですので、殺人や窃盗などの破廉恥犯は懲役、政治犯や過失犯など非破廉恥犯は禁固となるわけです。
 公務員ストの指導者は、破廉恥犯とは言えないので、懲役の対象とされているのが、そもそもおかしいと言えるのではないでしょうか。
 公務員ストの指導者に対する罰則は、刑法ではなくて、国家公務員法、地方公務員法に記載されているのですが、このふたつの法律では、刑法に定めがある場合を除き、自由刑は懲役しか存在しません。国家公務員法、地方公務員法は、刑法との関係でバランスを欠いており、憲法第14条の法の下の平等の観点からしても、問題があるように思われます。
 第二には、ILO条約批准を理由とする法改正は難しいという、発想自体がおかしいということです。「すべての人々の人権を実現し、ジェンダー平等とすべての女性と女児の能力強化を達成することを目指す」国連のSDGs(持続可能な開発目標)に対して、わが国も取り組みを強化していますが、そうした中では、 ILOの中核的労働基準の確立は、最優先で取り組まれなければなりません。
 刑法の改正であれば、さまざまな手順が必要だろうと思われますが、素人考えからすると、国家公務員法、地方公務員法の改正であれば、政府の決断次第と思うのですが、どうでしょうか。

111号の批准問題はほぼ解決

 111号に関しては、従来より、募集・採用段階における差別禁止が、「性」による差別禁止のみに止まっていることが問題とされており、厚労省はこのほか27の項目の法令が111号に抵触する可能性があると説明してきました。しかしながら、最近では、
*111号2条では、「雇用又は職業についての機会及び待遇の均等を促進することを目的とする国家の方針を明らかにし、かつ、これに従うこと」を求めているが、法令の制定や教育計画の促進は、「より漸進的」に行うことができる。
*わが国では「人権教育・啓発に関する基本計画」(2002年3月閣議決定)に基づき、募集・採用段階での差別を除去するための必要な措置を講じてきている。
*従って、現行法上、募集・採用段階における差別禁止が「性」による差別禁止だけであったとしても、条約批准への障壁とはならない。
*ただし、「雇用又は職業についての機会及び待遇の均等を促進することを目的とする国家の方針」にそぐわない法令の廃止に関しては、直ちに対応する必要がある。
という説明に変化しています。
 従って111号が批准できるかどうかの焦点は、「国家の方針」である「人権教育・啓発に関する基本計画」にそぐわない法令があるかどうか、ということになるわけです。厚労省では、
*労働基準法や船員法における肉体的・生理的差異を考慮して就業・労働条件について「性」に基づく保護を設ける規定
*国家公務員法、地方公務員法、自衛隊法などにおいて、行政の中立的運営を確保する観点から公務員の政治的見解の表明の制限に関する制裁を設ける規定に関し、個別に検討していく必要があるとしています。
 しかしながら、「性」に関する点について、「基本計画」では、
*女性に対する偏見や差別意識を解消し、固定的な性別役割分担意識を払拭する。
*雇用における男女の均等な機会と待遇の確保
が謳われていますが、これが「性」に基づく保護を否定しているとは考えにくいのではないでしょうか。厚労省の調査によれば、男女間の肉体的・生理的な差異を考慮した区別は、111号を批准している諸外国にも存在しているようです。
 後者の公務員の政治的見解の表明の制限に関しては、厚労省の調査では、諸外国よりも厳しい傾向にあるようで、その点については、議論していく必要があります。111号の批准問題としては、「基本計画」にそぐわないかどうかがポイントとなるわけですが、「基本計画」において、とくにこの点を問題視している記載は見当たりません。むしろ「人権教育・啓発を担当する行政は、特定の団体等から不当な影響を受けることなく、主体性や中立性を確保することが厳に求められる。人権教育・啓発にかかわる活動の実施に当たっては、政治運動や社会運動との関係を明確に区別し、それらの運動そのものの教育・啓発であるということがないよう、充分に留意しなければならない」とされていますので、この問題についても、批准の障害とはならないのではないかと思います。111号の批准問題はほぼ解決しているように思われます。

ILO創設100周年までに批准を

 わが国の外国人技能実習制度については、強制労働となっている事例もあり、人身取引およびその他の労働者虐待の温床になりやすい、という海外からの評価もあります。制度の適正化をさらに進め、不正行為の摘発を強化していくことはもちろんですが、105号を批准することにより、強制労働に対して、日本が断固として闘う姿勢を見せることが非常に重要だと思います。
 また、戦前の徴用工問題がたびたび話題となっています。筆者は事実関係を承知しているわけではありませんが、105号の批准は、日本の主張に説得力をもたせるために、最低限必要な環境整備なのではないでしょうか。
 2019年には、ILOは創設100周年を迎えますが、それまでにはなんとしても105号、111号両条約の批准を済ませることが、日本の国際的信用を損なわないために不可欠だと思います。

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