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(浅井茂利著作集)賃金の国際比較とジョブ型雇用、そして従業員エンゲージメントの関係

株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1661(2021年4月25日)掲載
金属労協政策企画局主査 浅井茂利

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 国際的に見たわが国の賃金水準の低さが、にわかにクローズアップされています。2013年11月25日号の本欄でも触れているように、わが国の賃金水準は、主要先進国の中で最低、先進国でも中位というところだと思います。何年か前まで、わが国の賃金水準は世界トップレベル、などと言われていた認識が改まるのは、大変結構なことですが、一方で、
*賃金水準が低いのは生産性が低いためであり、賃金を引き上げるためには、生産性向上が必要である。
*ジョブ型雇用に転換しないと、賃金を引き上げることはできない。
などという、フェイクニュースに近い主張がマスコミなどで散見され、低賃金という認識が、賃金引き上げへのエネルギーとならず、逆に一層の人件費抑制を招きかねないことが懸念されます。

OECDの統計による年間賃金比較

 いま注目されているのは、OECDによる全産業・フルタイム換算の年間賃金比較で、OECD加盟国のうち、2019年のデータのとれる35カ国の比較では、日本は38,617ドル、第24位ということになっています。米国が65,836ドル(4位)、ドイツ53,638ドル(11位)、カナダ53,198ドル(12位)、英国47,226ドル(14位)、フランス46,481ドル(16位)、イタリア39,189ドル(22位)などとなっており、まさに日本は主要先進国の中で最低、先進国全体では「中の下」ということになります。ちなみに、韓国は42,285ドル(19位)、スロベニアは40,220ドル(20位)、スペインは38,758ドル(23位)ですから、日本はこれらの国に追い抜かれていることになります。
 この国際比較で留意すべき点としては、
*各国間の物価水準がイコールになる理論的な為替レートである購買力平価でドル換算している。
*パートタイム労働者については、フルタイムに換算して計算している。
ことがあります。
 前者は、日本については現在の為替相場と購買力平価があまり変わらないので、大きな影響はないと思いますが、為替相場で比較して物価水準が高い国では、購買力平価で換算した賃金水準は低い傾向が出ることになります。スウェーデンが15位に止まっているのも、そうした影響が一部あると思います。パートタイム労働者が含まれているなら日本の賃金水準が低く出てもしょうがない、と感じるようであればその感覚は大変危険です。パートタイム労働者の賃金もフルタイム換算しているわけですから、仮にパートタイム労働者の賃金が含まれていることによって日本の賃金水準が低く出ているのであれば、それは「同一価値労働同一賃金」ができていないことを示しているわけであり、放置することは許されません。

製造業の人件費水準はどうなっているのか

 賃金水準の国際比較を行う場合、働く者の生計費の原資としての賃金を比較する場合と、企業のコストとしての人件費を比較する場合とがあります。年間賃金を購買力平価で換算したOECDの賃金比較は、生計費の原資としての賃金比較です。
 働く者にとっては、支払われた賃金でどれだけのものが購入できるかに意味があるので、それでいいのですが、企業としては、コストとしての人件費の側面も重要ですので、金属労協では、製造業の労働時間あたり人件費(雇用者報酬)を為替相場で換算し、国際比較を行っています。
 OECD全体ではなく、14カ国の比較にすぎませんが、日本の製造業の労働時間あたり人件費は、2018年で2,875円となっており、やはり主要先進国の中で最低、デンマーク(5,647円)、ノルウェー(5,588円)の半分、ドイツ(5,O12円)、フランス(4,848円)、米国(4,597円)などの6割程度の水準に止まっています。全産業の年間賃金の国際比較と比べると、米国とはあ
まり変わりませんが、ドイツやフランスについては、製造業の人件費のほうが日本の低賃金の度合いが大きい、ということが言えます。

生産性が低いから賃金が低いのか

 金属労協は一貫して、国際的に見た日本の賃金水準の低さを主張してきました。最近では、経団連の中西会長もつねづね指摘されています。今回のように、そうした認識が一般化したことは、大変結構なことだと思います。た
だし、日本の賃金水準が低いのは生産性が低いためであり、賃金を引き上げるためには、生産性を向上させなければならない、などというフェイクニュースに近い主張がマスコミなどで散見されるのは、きわめて問題だと思います。
 OECDのデータから、製造業の付加価値生産性(労働時間あたり名目GDP)の国際比較をしてみると、たしかに日本の生産性は主要先進国の中でもっとも低いということになります。しかしながら、労働時間あたり人件費を見ると、生産性が低い以上に人件費が低い状況にあり、このため労働分配率は最低となっています。生産性が低いから賃金が低いという理屈が成り立たないのは明白で、むしろ賃金が低いから生産性が低いという因果関係になっている可能性が高いのではないかと思います。
 個別企業で見ても、フィリップス(蘭)、シーメンス、ブラウン(独)、スウォッチ(スイス)、エリクソン、SKF(スウェーデン)といった海外ものづくりグローバル企業では、売上高人件費比率が連結で30%にも達している一方で、高い利益率を挙げており、まさに高賃金・高利益の収益構造となっています。これに対して日本企業では、売上高人件費比率は単体で15%ぐらいにすぎません。日本企業も、高賃金・高利益のビジネスモデルに転換していかなければ、第4次産業革命とカーボンニュートラルで戯烈な競争を繰り広げているグローバル市場において、主導権を握っていくことなど到底不可能と言わざるを得ないでしょう。

ジョブ型でないと賃金引き上げはできないのか

 日本の低賃金に関するもうひとつのフェイクは、賃金を引き上げるためには、これまでのメンバーシップ型雇用から、ジョブ型雇用に転換する必要がある、という主張です。
 生産性が低いので賃金が低いという因果関係であれば、賃金を引き上げるために生産性向上が必要であり、そのための雇用システム見直しが必要というのは、 (ジョブ型で生産性が向上するかどうかはともかく)理屈としては
成り立ちます。しかしながら、現実には生産性が低い以上に賃金が低いのですから、生産性の如何に関わらず、まずは賃金引き上げを行っていくことにより、働く者全体のモチベーションを高めていくべきではないでしょうか。
 ジョブ型の定義は人によって異なりますが、おおむね、人事評価によって昇給・降給する職務給の採用を意味しているようです。1990年代後半以降、いわゆる成果主義の名の下に、年功的な職能給を廃止し、役割給などを採用することによって、大部分の中高年従業員の賃金を留め置く、もしくは引き下げる制度が導入されてきました。ジョブ型すなわち職務給の導入は、さらにそれを進めようということだと思います。
 もともと職務給については、
*職種を超えた人事異動が困難で、組織が硬直的になりがちである。
*一人ひとりの仕事の範囲が縦割りになりやすく、人材を柔軟に活用することが難しい。
という問題点があり、変化への対応が困難で生産性の向上にとってマイナスの制度とみなされてきました。
 欧米諸国では、生産性向上よりも階級秩序の維持が重視されてきたため、職務給が採用されていたわけですが、グローバル競争の激化に伴い、修正が行われてきているようです。日本企業がそうした国際的潮流に抗っても職務給を採用しようとしているのは、生産性向上よりも賃金抑制を優先しているからにほかなりません。わが国の賃金水準の引き上げとは相容れない動き
であり、ジョブ型の導入で賃金引き上げというロジックが、フェイクであることは明らかです。

従業員エンゲージメントの観点から

 今春闘では、「従業員エンゲージメント」が昨年にも増して話題となりました。従業員エンゲージメントの定義は人によって異なっているようですが、要は帰属意識と貢献意欲を合わせた概念だと思います。
 ビジネスパーソン向けの経営学の専門誌として最も権威のあるハーバード・ビジネス・レビューの2019年11月号に掲載されたM.バッキンガム、A.グッドールの論文 ``THE POWER OF HIDDEN TEAMS’’ では、19カ国、1万9千人以上を対象にしたADPリサーチ・インスティテュートの調査結果(2019年)に基づき、
*エンゲージメントと生産性において個人差が生じる最も強力な要素は、 「業務の大部分をチームで行っている」と回答したかどうかだった。職場での生の体験、つまりは一緒に仕事をする同僚と、同僚とのやり取りが何物にも勝る力を持っていた。
*チームでは、自分の担当職務が誰かの担当職務に関わり、メンバー同士で各自の強みを補っている。
*素晴らしいチームとチームワークは歓迎すべき条件ではなく、欠かせない条件なのだ。
*チームとは、組織図上に記載されている指揮命令系統では説明できないものなのだ。
*スラックやJira、Webex Teamsなどを通じて、実際の職場で機動的かつ偶発的、短期的に動く非公式で流動的なチームの実態がわかりつつある。組織が従業員エンゲージメントや業績に対処するためには、チームから生じるデータをリアルタイムでただ分析すればいいだけだ。報酬や昇進、役職など
といった外的なインセンティブを軸にして職務を設計することも、少なくなるだろう。
と指摘しています。縦割りを基本とする職務給で従業員エンゲージメントを高めることができないのは、明らかだと思います。

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