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(浅井茂利著作集)人権デュー・ディリジェンスと日本企業の対応

株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1663(2021年6月25日)掲載
金属労協政策企画局主査 浅井茂利

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 2020年10月、政府は「『ビジネスと人権』に関する行動計画」を発表しました。2011年に国連で策定された「ビジネスと人権に関する指導原則」を具体的に実現していくため、各国は国別行動計画を策定していましたが、2017年のG20ハンブルグ首脳宣言において、未策定の国を対象に、「我々は、自国において、ビジネスと人権に関する国別行動計画のような適切な政策枠組みを構築するよう取り組む」と盛り込まれるまで、日本では放置されていました。その後、日本でも作業に入りましたが、ハンブルグ以来、3年もかけているにもかかわらず、中身はほぼ政府による啓発活動の紹介に止まっています。企業に対し人権問題への対応強化、とりわけ「指導原則」の核心部分である「人権デュー・ディリジェンス」を促すものとはとても言えないレ
ベルとなっています。
 人権デュー・ディリジェンスについては、EUでは2021年中に企業に対して義務化が進められる状況となっており、 ESG投資(環境・社会・企業統治に配慮している企業を重視・選別して行う投資)がますます拡大していることからしても、日本企業も否応なく対応を迫られることになります。
 しかしながら、最近1年間の5大紙の記事を検索してみても、人権デュー・ディリジェンスに関するものは、わずか7件に止まっており、盛り上がりを見せているとはいえません。労働組合として、経営側に対してこれを促し、参画し、チェックしていくことが不可欠です。

国連「ビジネスと人権に関する指導原則」

 国連では2011年、「ビジネスと人権に関する指導原則」 (ラギ一・レポート)が策定されました。
 ビジネスと人権の問題は、国境を超える経済活動の隆盛と民間部門の世界的拡大を反映し、1990年代にグローバルな政策課題に恒久的に組み込まれることになった、との認識に立って、
①しかるべき政策、規制、及び司法的裁定を通して、企業を含む第三者による人権侵害から保護するという国家の義務。
②人権を尊重するという企業の責任。これは、企業が他者の権利を侵害することを回避するために、また企業が絡んだ人権侵害状況に対処するためにデュー・ディリジェンスを実施して行動すべきであることを意味する。
③犠牲者が、司法的、非司法的を問わず、実効的な救済の手段にもっと容易にアクセスできるようにする必要がある。
という3つの柱が打ち出されています。①と③は、いうまでもないことですし、そもそも「ビジネスと人権」に関する指導原則ですから、当然②が「指導原則」の中で最も重要な部分ということになります。 ②に関しては、「基盤となる原則」として、
*企業は人権を尊重すべきである。これは、企業が他者の人権を侵害することを回避し、関与する人権への負の影響に対処すべきことを意味する。
*人権を尊重する企業の責任は、国際的に認められた人権に拠っているが、それは、最低限、国際人権章典で表明されたもの及び労働における基本的原則及び権利に関する国際労働機関宣言で挙げられた基本的権利に関する原則と理解される。
*人権を尊重する責任は、企業に次の行為を求める。
a.自らの活動を通じて人権に負の影響を引き起こしたり、助長することを回避し、そのような影響が生じた場合にはこれに対処する。
b.たとえその影響を助長していない場合であっても、取引関係によって企業の事業、製品またはサービスと直接的につながっている人権への負の影響を防止または軽減するように努める。
*人権を尊重する責任を果たすために、企業は、その規模及び置かれている状況に適した方針及びプロセスを設けるべきである。それには以下のものを含む。
a.人権を尊重する責任を果たすという方針によるコミットメント
b.人権への影響を特定し、防止し、軽減し、そしてどのように対処するかについて責任を持つという人権デュー・ディリジェンス・プロセス
c.企業が引き起こし、または助長する人権への負の影響からの是正を可能とするプロセス
などといったことが盛り込まれています。

企業が尊重すべき人権は、国際的に認められた人権である

 この「基盤となる原則」は、読み飛ばしてしまえば、当たり前のことが書いてあるだけのように見えますが、いくつかのきわめて重要な論点を含んでおり、それが、この「指導原則」の核心であると言ってよいと思います。
 まず第一に、企業が尊重すべき人権は、国際人権事典や、ILO宣言(1998年)で掲げられた「国際的に認められた人権」である、ということです。 ILO宣言については、本欄で何回も取り上げていますので、ごく簡単に紹介しますが、ILO基本8条約(29号、87号、98号、100号、105号、111号、138号、182号)で規定されている4つの中核的労働基準(結社の自由・団体交渉権、強制労働の禁止、児童労働の廃止、差別の排除)については、すべての加盟国は、これらの条約を批准していない場合においても、 「尊重し、促進し、かつ実現する義務を負う」というものです。中核的労働基準については、批准の如何、すなわち国内法がどうであろうと、遵守されなければならないことが宣言されているわけですが、「指導原則」においても、中核的労働基準をはじめとする「国際的に認められた人権」については、
*人権を尊重する責任は、事業を行う地域にかかわらず、すべての企業に期待されるグローバル行動基準である。その責任は、国家がその人権義務を果たす能力及び/または意思からは独立してあるもので、国家の義務を軽減させるものではない。さらに、その責任は、人権を保護する国内法及び規則の遵守を越えるもので、それらの上位にある。
*国際人権事典とILO基本8条約に規定された4つの中核的労働基準は、企業の人権に対する影響を他の社会的アクターが評価する際の基準であり、企業が人権を尊重する責任は、関連する法域において国内法の規定により主に定義されている法的責任や執行の問題とは区別される。
と規定されています。
 日本企業の海外事業拠点において、結社の自由に関わるような労使紛争が発生した場合、経営側からは、「現地の国内法に従って適切に対処している」、というような説明がよくあるわけですが、現地の国内法がILOの基
本8条約を満たしていないものであれば、国内法に従っているだけでは、人権侵害を犯している可能性もあるわけです。
 新疆ウイグル自治区における中国政府によるイスラム教徒の少数民族ウイグル族に対するジェノサイド(民族集団抹殺)をはじめとする弾圧に対し、米加両国やEUは経済制裁を行っており、これに対して中国政府は、内政干渉であると反発しています。しかしながら、人権が国内法ではなく「国際的に認められた」ものである以上、国際社会のメンバーにとって、人権の遵守が責務であるだけでなく、人権侵害の解消を求めていくこともまた責務であることは明白であり、内政干渉との批判はあたりません。

人権デュー・ディリジェンスとは何か

 企業が人権尊重の責任を果たすために求められている「人権デュー・ディリジェンス」については、 「指導原則」を見てもイメージをつかみにくいのですが、日本の実行計画では、次のように説明しています。
 企業は、人権への影響を特定し、予防し、軽減し、そしてどのように対処するかについて説明するために、人権への悪影響の評価、調査結果への対処、対応の追跡調査、対処方法に関する情報発信を実施することを求められている。
 この一連の流れのことを「人権デュー・ディリジェンス」と呼んでいる。

 すなわち、
*人権侵害のリスクをつねに認識し、
*企業の現状において、人権侵害が発生していないかどうか、企業があらゆる行動を行う際に、人権侵害が発生しないかどうかをつねにチェックし、
*人権侵害が発生しないよう、企業内の仕組みを構築し、
*万が一、発生した場合には、迅速にその解消を図り、
*再発防止を行うこと。
 そして、
*これらの取り組みに関して、公表を行うこと。
だと思います。要は、企業において労働災害防止に取り組んでいるのと同じように、人権侵害の防止に取り組む必要がある、と理解すればよいでしょう。

人権デュー・ディリジェンスは、バリューチェーン全体で実施する

 「指導原則」では、「取引関係によって企業の事業、製品またはサービスと直接的につながっている人権への負の影響を防止または軽減するように努める」とされており、人権デュー・ディリジェンスは、企業の本体のみならず、そのバリューチェーン全体で取り組む必要があります。
 裾野の広い産業では、バリューチェーン企業が膨大な数にのぼることから、そのすべてで人権デュー・ディリジェンスに取り組むことなど到底不可能、という声があがることが想定されます。この点については「指導原則」
でも、バリューチェーンに多数の企業体がある場合、企業がそれら全てにわたって人権への負の影響に対するデュー・ディリジェンスを行うことは難しくなる、との認識を示しつつ、その場合には、人権への負の影響のリスクが最も大きくなる分野を特定し、優先的に取り上げるべきである、としています。いずれにしても、バリューチェーン全体で取り組む必要があることにはかわりありません。
 もうひとつの注意点は、日本企業ではよくありがちなことだと思うのですが、人権デュー・ディリジェンスはバリューチェーンで取り組むべきもの、ということが浸透すると、かえって本体の企業における人権デュー・ディリ
ジェンスがおろそかになってしまう危険性があることです。本体も含めたバリューチェーン全体であることを、とくに意識していく必要があると思います。

実際、企業は何をしたらよいのか

 企業は人権デュー・ディリジェンスとして実際に何をしたらよいのか、この点については「指導原則」では、抽象的な表現に止まっています。日本の行動計画でも、企業に対する人権デュー・ディリジェンスの「期待表明」しか書かれていません。
 そうした点では、OECDが2018年に作成した「責任ある企業行動のためのOECDデュー・ディリジェンス・ガイダンス」では、企業の行うべき「具体的行動」を詳細かつわかりやすく整理しています。とりわけ、
*労働者代表および労働組合を関与させた、例えば、労働協約に定義された苦情処理の仕組みやグローバル枠組み協定等を通じて、労働者が企業に対して苦情を提起できるプロセスを構築する。
*企業は、デュー・ディリジェンスのプロセスの設計および実施、労働者の権利に関する基準の実施および苦情の提起に労働者の参加を促すため、労働組合と連携したり、直接協定を締結することができる。労働組合との協定はさまざまな形式があり、職場別、企業別、産業別または国際的なレベルで締結することができる。それらには労働協約、グローバル枠組み協定、議定書および覚書が含まれる。
など、労働組合の役割が明記されており、労働組合として、しっかりと意識していかなくてはなりません。
 ただし、このOECDガイダンスには、重大な欠陥があります。それは、
*国内法の遵守は企業の第一の義務である。
*国内の法令が多国籍企業行動指針の原則や基準に相反する国においても、デュー・ディリジェンスは、企業が国内法に違反しない範囲で同指針を最大限に守るのにも有用である。
として、国内法優先の考え方が採用されている点です。これは、「ガイダンス」が「OECD多国籍企業行動指針」に準拠しており、「行動指針」が国内法優先を採用しているためだと思いますが、この点については、明らかに
国連の「指導原則」に反しており、ガイダンスを活用する際には、ここを修正していかなくてはなりません。

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