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(浅井茂利著作集)2020年闘争にかける思い

株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1645(2019年12月25日)掲載
金属労協政策企画局主査 浅井茂利

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 2018年末以降、わが国経済は減速傾向が続いています。実質GDP成長率こそ、前年比1%前後で推移していますが、景気ウォッチャー調査や鉱工業出荷の動向は芳しいものではありません。とりわけ金属産業では、米中対立の激化、日韓関係の悪化、英国のEU離脱問題の長期化など国際環境の悪化に加え、消費税率引き上げ後の需要落ち込みもあり、輸出の減少、生産・出荷の低迷、中国にある現地法人の不振といった打撃を受けています。2019年度通期の企業業績予想を見ると、金属産業の大手企業では下方修正が相次ぎ、増収増益の企業1に対し、減収減益の企業2というような比率となっています。
 以前に本欄でも触れましたが、米中対立は、単なる貿易摩擦、経済戦争に止まらず、人権、イデオロギー、政治体制、軍事・安全保障、経済・産業、科学技術、情報通信などすべてを賭けた「米中新冷戦」であり、対立は相当長期に及ぶことを覚悟する必要があります。
*国際環境が激変する中で、わが国経済を個人消費がリードし、底支えする強固なものに転換していくことにより、経済と生活の安定を図ること。
*米中対立の状況下で、産業の新たな発展基盤を確立していくこと。
がきわめて重要です。基本賃金の引き上げを基軸とする賃金・労働諸条件の引き上げという「人への投資」を継続的に行っていくことが、従来にも増して重要な局面となっています。

産業の新たな発展基盤の構築

 わが国ではもともと長期的に人口の減少、とりわけ現役世代の減少が著しく、生活水準の維持・向上のためには、日本全体で継続的・持続的に生産性向上を図っていかなければならない状況にあります。こうした中で、米中新冷戦という新たな状況に対応し、日本の産業・企業は、収益構造や成長モデルの抜本的な再検討、生産拠点や研究開発拠点などグローバルなバリューチェーンの再構築に取り組んでいくことが喫緊の課題となっています。
 グローバル市場では、中国企業の活動が制約を受けることになりますので、わが国の産業・企業としては、新技術や新製品・新システムの研究・開発・普及、あるいは新しいビジネスモデルの構築において主導的な役割を果たすべく、総合的な競争力の強化を図っていかなければなりません。
 成長分野において研究開発を加速させていくことはもちろんですが、AI、IoT、ロボット、ビッグデータなどのデジタル技術とデータの「活用力」を抜本的に向上させていくこと、生産職場だけでなく企業のあらゆる部門において、新技術では代替できない技術・技能、創造力、企画力を一層強化していくことが不可欠です。
 こうしたことはいずれも、働く者の力、現場力なくして、成し遂げることができません。「成果の公正な分配」による賃金・労働諸条件の引き上げ、底上げ・格差是正を通じて産業の魅力をより高め、人材を確保し、職場全体のモチベーションの一層の向上を図り、働く者が安心して変革に邁進できるようにしていく必要があります。

「生産性運動三原則」に基づく成果の公正な分配を

 政労使で確認してきた「生産性運動三原則」は、「①雇用の維持・拡大、②労使の協力と協議、③成果の公正な分配」から成っています。とりわけ「成果の公正な分配」については、「生産性向上の諸成果は、経営者、労働者および消費者に、国民経済の実情に応じて公正に分配されるものとする」とされており、マクロ経済の状況を反映した成果配分が求められています。
 個別企業の業績や体力はさまざまですが、賃金の引き上げ幅や賃金水準に関しては、マクロ経済の状況を反映して形成される「社会的相場」を強く意識しつつ、その中で産業動向や労働力需給、企業の業績や体力、自社の賃金水準の位置づけといった諸要素を加味し、決定していく必要があります。
 第4次産業革命の下で、仕事の中身が大きく変化していくことになりますが、働く者が安心して変革に邁進していくためには、社会的対話と適切な教育訓練、働く者の基本的権利などが確保された「公正な移行」を前提としていかなくてはなりません。「生産性運動三原則」は、まさにその主要な柱であり、働く者の力、現場力のさらなる強化に不可欠な要件です。デジタル技術とデータの活用、それに伴う働き方の見直しなどによる生産性向上の成果についても、基本賃金の引き上げや労働時間の短縮として、働く者に公正に分配される必要があります。
 「生産性運動三原則」に基づく「成果の公正な分配」の具体的な姿としては、マクロの生産性向上に見合った賃金への配分、消費者物価の上昇を踏まえた実質賃金確保という考え方を基本に、社会的相場形成を図っていくことが重要です。
 就業者1人あたり実質GDP成長率、消費者物価上昇率を反映し、総合的に判断した上で、実質賃金の引き上げを図っていくことが不可欠です。

安定的かつ持続的な成長に向けて

 わが国では、長期にわたって労働分配率の低下傾向が続き、こうした配分構造の歪みが、バブル崩壊後の不況からの脱却にとって障害となり、「失われた20年」につながるとともに、リーマンショック(2008年)の際に、経済への打撃が欧米よりも大きくなった要因のひとつとなりました。労働分配率の低下は、働く者への配分が生産性の向上に見合ったものとなっていないことを意味しますが、このため日本経済全体として、供給力に比べ需要不足の状態に陥り、物価引き下げ圧力が強まってデフレ傾向が続きました。
 近年は労働分配率が下げ止まり、一進一退となっていますが、これにより需要は供給力をやや上回る水準に回復(GDPギャップがプラス)し、消費者物価上昇率も日銀目標の2%には及ばないものの、プラスで推移しています。
 経済は減速傾向となっていますが、企業がこれに人件費の抑制で対応すれば、再び需要不足とデフレのスパイラルに陥ることは避けられません。働く者に対して生産性の向上を反映した成果配分を着実に行っていくことが、安定的かつ持続的な成長をもたらすことになります。

「人への投資」の拡充

 残業時間規制の強化や年次有給休暇の取得拡大、正社員と短時間・有期雇用労働者や派遣労働者との不合理な待遇差の解消、第4次産業革命に対応するための教育訓練など、企業にとって人件費増となる要因が山積しています。また、企業が必要とする分野の特定の人材について、従来の枠を超えた高い処遇を行いたいという企業のニーズが高まっており、2014年以降の賃上げによって、一部の大手企業では賃金水準が十分に高くなっているという経営側の意識もあることから、労働組合の求める「人への投資」について、柔軟性をもって対応することも必要ではないか、との主張が見られます。しかしながら、
①働く者にとって、引退後はもちろん、現役中高年世代などにおいて、ライフステージに即した生計費確保の見通しが立っているという、生活の安心・安定が重要であること。
②個人消費拡大による安定的・持続的成長のためにも、恒常的な所得の引き上げが不可欠であること。
③実質賃金のマイナス傾向が続いてきたこと。
④わが国の人件費水準が主要先進国中で最低に止まっていること。
などからすれば、「生産性運動三原則」に基づく「成果の公正な分配」は、基本賃金の引き上げが基軸でなくてはなりません。

好循環につなげる「人への投資」

 われわれの求める「人への投資」とは、働く者に対する労働の対価として、成果の「公正な分配」を行うことにより、職場全体のモチベーションを高め、より高い能力発揮と成果の創出を促すという、好循環につなげる「人への投資」です。賃金と同様に働く者の生活向上や消費拡大、将来不安の払拭をもたらすものと言えます。
 一方、職場で実際に必要とされる技術・技能・知識を身につけるための教育訓練のような「人への投資」は、少なくとも働く者に対する成果配分とは言い難く、明確に区別していく必要があります。
 なお、働き方の見直しを推進していく中で、総実労働時間の短縮や同一価値労働同一賃金の確立、両立支援、ダイバーシティへの対応強化などに積極的に取り組んでいく必要があることは言うまでもありません。なかでも、年次有給休暇の取得拡大や不合理な待遇差の解消のように、もともと企業が負うべき負担を先送りしてきたものについては、春闘とは切り離し、迅速に対応していかなければなりません。こうした費用がかさむので賃上げはできない、などという理屈は成り立ちません。
 労働時間については、1986年の「前川リポート」以来、年間総実労働時間1,800時間が国民的合意・国際公約として打ち出されてきましたが、現状は2,000時間程度に止まっています。働き方の見直しを、確実に労働時間短縮につなげていくことが重要です。週休日、国民の祝日とその振替休日、その他の休日を休日とする完全週休二日制が基本であること、所定外労働は労使合意の上ではじめて実施できること、恒常的な所定外労働は解消されるべきであること、年次有給休暇は完全に取得すべきものであること、などを改めて再確認し、そこを出発点として、生活時間の確保・拡大に向けた具体的な議論を進めていくことが重要です。
 経済の減速下においても、全体としては、人手不足の状況が続いており、人材の確保・定着のためには、基本賃金の引き上げとともに、1日の所定労働時間の短縮や休日日数の増加など、労働時間の短縮も効果が大きいものと見られ、積極的に検討していく必要があります。

底上げ・格差是正

 2014年闘争以降、JC共闘全体で賃上げに取り組んでいますが、2019年闘争では、賃上げ獲得組合の割合が6割強に止まっており、とりわけ中小組合では5割台となっています。
 中小企業に関しては、全体として労働分配率が低下してきた中で、さらに大手との賃金水準格差が拡大するという状況が続いてきました。ここ数年、賃上げ額については、中小組合が大手を上回る傾向が続いていますが、賃金水準では、大手と中小の格差は依然としてきわめて大きなものとなっています。
 すべての組合で賃上げを獲得するとともに、労働の価値に相応しい賃金水準を実現し、賃金水準での社会的相場形成を図っていかなくてはなりません。そのためには、産別の指導や大手組合からの働きかけをさらに徹底していくとともに、より多くの中小組合において、現行の賃金水準や賃金制度について把握・分析を行い、あるべき水準や制度を検討し、労使合意を図り、具体化を進める、という計画的な取り組みを展開していくことが必要です。
非正規雇用における賃金・労働諸条件については、その引き上げに関して要求基準を設定するなど強力な取り組みを展開していくとともに、「同一価値労働同一賃金」の考え方を基本に、不合理な待遇差の解消について、労働組合としてチェック強化を図っていくことが重要となっています。

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