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(浅井茂利著作集)CSR会計をつくる

株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1644(2019年11月25日)掲載
金属労協政策企画局主査 浅井茂利

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 SDGs(持続可能な開発のための目標)の取り組みに対し、企業の関心が高まっています。2015年に国連で採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」では、「小規模企業から多国籍企業」まで、行動計画の「実施における役割を有する」とされており、企業に対して、
*開発途上国におけるより持続可能な消費・生産パターンへの移行に貢献する。
*持続可能な取り組みを導入し、持続可能性に関する情報を定期報告に盛り込む。
*持続可能な開発における課題解決のための創造性とイノベーションを発揮する。
*「ビジネスと人権に関する指導原則と国際労働機関の労働基準」、「児童の権利条約」及び主要な多国間環境関連協定等の締約国において、これらの取り決めに従い労働者の権利や環境、保健基準を遵守しつつ、ダイナミックかつ十分に機能する活動を行う。
ことを求めています。
 とりわけ「持続可能性に関する情報を定期報告に盛り込む」ことは、企業活動について外部のチェックを受け、また他の企業との比較を行うことにより、取り組みをより優れたものにすることを可能にしますし、優れた取り組みを広く普及させることにもつながります。
 企業の作成するCSR報告書や統合報告書において、個別・具体的な活動を紹介するのはもちろん重要なことですが、金属労協が推奨する「CSR会計」を用いて、企業活動全体として持続可能性の取り組みがどのようなレベルにあるのか、定量的に示すことも必要だと思います。

CSR会計とは

 企業が「持続可能な開発」に役割を果たしていくということは、バリューチェーン、ステークホルダー全体でウィン・ウィンの関係を構築していくということにほかなりません。「CSR会計」は、企業がバリューチェーン全体でどのように付加価値を創出し、産み出された付加価値がステークホルダー間でどのように配分されているかを把握するものです。
 具体的には、損益計算書の会計数値を組み替えることにより、収益(売上高+営業外収益)や売上高のうち、どれだけが企業の外部(取引先など)に支出されたか、そしてその残余部分である付加価値が、どのようにステークホルダー(従業員、役員、株主、政府、地域、環境、内部留保など)に配分されたかを数値として算出し、公表するものです。
 有価証券報告書を見ても、ステークホルダーへの配分のうち、たとえば人件費ですら、総額でいくらになっているのか把握することができません。従業員の平均年間給与や販売費及び一般管理費に含まれる給料及び手当は掲載されていますが、法定内外の福利費などはわかりません。
 これに対して海外のグローバル企業では、統合報告書において、連結の総額人件費を発表しているところが少なくありません。以前にもこの欄でご紹介したと思いますが、エリクソン、シーメンス、フィリップス、スウォッチといった企業では、連結の売上高人件費比率が3割に達しています。
 国内企業では、前田建設工業がCSR報告書において、まさにCSR会計を公表しています。2017年度の実績では、収入合計が3,772億円、このうち外部支出が3,153億円、付加価値が619億円となっています。そして付加価値は、従業員に312億円、経営者に5億円、内部留保に159億円、地球への配当として1億円、投資家に32億円(株主配当金)、公的機関に107億円、債権者に6億円(支払利息など)、地域社会に1億円(寄付など)などに配分されています。
 率直に言って1社だけの数字を見ても、それが何を示しているのかは判断が困難です。しかしながら、CSR会計の作成・公表の動きが広がり、さまざまな産業・企業におけるCSR会計を比較・分析することが可能となれば、
*他の業界や同業他社と比べて、取引先、従業員、役員、株主などに対する支払いや内部留保、地域社会に対する貢献が多いのか、少ないのか。
*他の業界や同業他社と比べて多い、もしくは少ないことについて、合理的な説明はできるか。
を検討することができるようになります。
 「CSR会計」の作成・公表は、「持続可能な開発」に向けた企業活動のレベルを把握することができるだけでなく、企業行動を見つめ直すことによって、企業の抱える潜在的リスクを認識し、持続可能性の確保を図るための対応を促すことが期待できるものです。
 なお、企業の作成するCSR報告書の国際規格である「GRIサステナビリティ・レポーティング・スタンダード」でも、開示事項201-1「創出、分配した直接的経済価値」として、企業の収益、事業コスト、従業員給与と諸手当、資本提供者や政府への支払い、コミュニティ投資に関し、報告を求めています。

「GRIサステナビリティ・レポーティング・スタンダード」
で要求しているCSR会計に関する開示事項(抜粋)

開示事項201-1 創出、分配した直接的経済価値
報告要求事項 報告組織は、次の情報を報告しなければならない。
i. 創出した直接的経済価値:収益(純売上高に財務投資収益と資産売却収益を加算)
ii. 分配した経済価値:事業コスト(購入した原材料、製品の部材、設備、サービス購入代金の組織外部への支払い金額)、従業員給与と諸手当、資本提供者への支払い、政府への支払い(国別)、コミュニティ投資
iii. 留保している経済価値:「創出した直接的経済価値」から「分配した経済価値」を引いたもの
2.1 開示事項201-1に定める情報を提示する際、報告組織の創出・分配経済価値は、組織の監査済み財務諸表や損益計算書または内部監査済み管理会計の数値を用いて編集しなければならない。
資料出所:GRI(Global Reporting Initiative)                                  

法人企業統計でCSR会計を作って見ると

 残念ながら、CSR会計の発表はごく一部の企業に止まっています。そこで、CSR会計の全体感を掴むため、財務省の「法人企業統計」を使って、製造業のCSR会計を計算してみました。法人企業統計ではすべてのステ一夕ホルダーへの配分を掌握することはできないので、企業の純資産増(企業自体への配分)、人件費(従業員・役員への配分)、株主への配当、政府への支払いの4項目だけを算出してみると、4項目への配分の合計金額に占めるそれぞれの割合は、2018年度において、人件費が65.8%、以下、純資産増が14.1%、配当が10.9%、政府への支払いが9.2%を占めていることがわかります。
 人件費の割合がずば抜けて高いことになりますが、今回の景気回復が始まる直前の2012年度からの変化では、人件費の割合が12.0ポイントも低下している一方で、純資産増は9.0ポイント上昇、配当は2.9ポイント上昇しています。金額の変化で見れば、この間、人件費が1.8兆円増に止まっているのに対し、企業の純資産増は8.6兆円増(純資産の増加額ではなく、当期の純資産増が、2012年度よりも2018年度のほうが8.6兆円多いということ)、配当は3.7兆円増に達しており、政府への支払いも1.5兆円増で、人件費に近い増額となっています。

企業統治に関する新たな動き

 8月19日、米国の主要企業の経済団体である「ビジネス・ラウンドテーブル」は、「企業の目的に関する声明」を発表し、すべてのステークホルダーへのコミットメントとして、顧客への価値の提供、公正な報酬をはじめとする従業員への投資、サプライヤーとの公正かつ倫理的な取引、地域社会への支援、株主への長期的な価値の創出、を宣言しており、いわゆる「株主第一主義」の修正を宣言するものとして、大いに注目されました。
 この声明には、アフラック、アクセンチュア、アメックス、アマゾン、アップル、ボーイング、キャタピラー、コカ・コーラ、デル、エクソン、フォード、GM、IBM、JPモルガン、ファイザー、ユナイテッド航空、ウォルマートといった、製造業だけでなく金融関係を含めた米国を代表する企業181社のトップがサインしており、またバイエル、BP、シーメンスといった英国やドイツ系の企業の米国法人のトップもサインしています。今後、どのように具体的な効果を発揮していくのかはわかりませんが、株主第一主義がもたらした格差の拡大により、民間企業としての自由な経済活動の持続可能性が危機に瀕しているという米国の経営者の意識を示しているものと受け止めることができるでしょう。

企業統治も持続可能性確保の方向へ

 議決権行使については、2017年の「日本版スチュワードシップ・コード」の改定により、機関投資家には個別の議決権行使結果の開示が求められるようになりました。とりわけ今年は、会社側の人事案を否決し、株主提案が可決される事例などがあり、機関投資家の議決権行使への注目が従来以上に高まることになりました。判断の適否は、今後の動向で判断するしかありませんが、いずれにしても議決権行使は、「もの言う株主を大事に」などという建前のレベルを過ぎており、株主も確固たる根拠に基づき、歴史の審判に耐え得る判断を行わなくてはならない段階にあります。賛否の理由を開示している機関投資家は、いまはそれほど多くないようですが、今後は、そうした流れも強まってくるものと思われます。議決権行使に関する助言会社などという商売もありますが、助言会社のアドバイスがなければ判断できないような投資家は、そもそも議決権を行使する資格がないのではないかと思います。
 社外取締役についても、経営の透明性を高めるという建前とは裏腹に、経営者のお友だちに過ぎず、業界や現場のことが何もわからないため、高額報酬にもかかわらず、適切な指摘ができない、という批判が従来からありましたが、社外取締役主導で人事を決定した企業でその後不祥事が発生し、業績不振に陥っている事例などがあり、改めて弊害がクローズアップされています。
 企業統治はこれまで、ともすれば短期的な株価の維持・上昇を狙った方向に流れがちで、ROE(自己資本利益率)を高めるための自己資本比率の引き下げなどという本末転倒の動きもありましたが、ようやく企業の持続可能性の向上、長期的な発展という本来の方向に戻りつつあるのではないかと思います。

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