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(浅井茂利著作集)生産性の向上、何について議論しているのか

株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1614(2017年5月25日)掲載
金属労協政策企画局長 浅井茂利

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 最近、「生産性の向上」という言葉をよく目にするような気がします。金属産業からすれば、生産性の向上など日々取り組んでいることなので、何をいまさらと思う反面、物的生産性と付加価値生産性、どちらについての話だろうか、区別がついているのだろうか、ということが疑問に思われます。
 金属産業で日常的に取り組んでいるのでは、もっぱら物的生産性の向上ですが、人々を豊かにするのは付加価値生産性の向上です。物的生産性と付加価値生産性とは密接に結びついていますが、まったく同じというわけではありません。付加価値生産性を向上させるための物的生産性の向上、という位置関係をしっかり確認しておかないと、おかしな方向に進んでいくかもしれません。

生産性には物的生産性と付加価値生産性がある

 釈迦に説法ではありますが、生産性には物的生産性と付加価値生産性がある、というところから始めたいと思います。
 物的生産性は、労働投入量の単位(1人または1時間)あたりの生産量です。製造現場では、カイゼン、ムダとり、3S(4S、5Sとも)といったカイゼン活動が行われていますが、これは、どちらかと言えば、物的生産性を向上させるための手段です。
 物的生産性を国際比較しようとすると、向上の度合いを比較することはできますが、少なくともマクロ的には、水準そのものを比較することは困難です。(個別の製品についてならば、できるのかもしれません)
 かつて、日本のホワイトカラーの生産性が低い、ということがよく言われ、この場合には、物的生産性を指していたものと思われますが、根拠として示されていたのは、アメリカのホワイトカラーは、昼休みにホットドックをかじりながら仕事をしている、というような話だったと記憶しています。
一方、付加価値生産性は、労働投入量の単位あたりの付加価値額です。これについては、向上の度合いはもちろん、生産性の水準そのものの国際比較を行うことができます。
 マクロ的な付加価値生産性の国際比較を行うとすれば、名目GDPを労働投入量で除して、その金額を購買力平価(物価水準の違いから算出した理論上の為替レート)で換算すればよいのです。

人々の豊かさは付加価値生産性の高さで決まるのだが

 物的生産性と付加価値生産性のうち、産業・企業の競争力を強化するのが物的生産性、人々を豊かにするのが、付加価値生産性の高さです。付加価値は、賃金、配当、地代などとして、人々に配分されるというのが大原則だからです。ただし付加価値のうち、企業に現預金として留め置かれる部分が拡大しています。
 企業の預金が銀行を通じて他の企業に貸し出され、設備投資に用いられれば、それは付加価値の創出につながり、また賃金や配当、地代になるわけですが、そうした循環が隘路になっているところに、いまの日本経済の問題点があります。
 付加価値のうち、勤労者(雇用者)の取り分の比率が労働分配率です。マクロ的には、労働分配率は、自営業者が減ってくると、自動的に高くなっていきますが、これは勤労者の取り分が増加したことを意味するわけではないので、労働分配率の分母である付加価値を就業者数(雇用者+自営業者)で割り、分子である人件費を雇用者数で割って算出します。「雇用者1人あたり人件費 ÷ 就業者1人あたり付加価値」ということになります。当たり前のことですが、付加価値が拡大したとしても、労働分配率が低下すれば、勤労者は豊かになれませんし、配当や地代は、豊かな人に配分される可能性が大きいので、格差の拡大につながります。
 従って、国全体として豊かであるかどうかと、勤労者が豊かであるかどうかは、イコールではありません。成長の続いている社会では、人手不足となりますので、労働分配率が上昇し、賃金も引き上げられ、勤労者は豊かになります。逆に国が豊かであっても、停滞している社会では、人手が余剰となり、賃金水準が下がっていきます。時々、日本はこれだけ豊かになったのだから、もう成長などしなくてよいのでは、という人がいます。もし、企業が海外市場で成長を続け、日本に住む人全員が株主として配当で食べていける、あるいは株主が支払った税金を再分配して、それで食べていく、ということができるのであれば、その理屈も成り立つかもしれません。しかしそうでなければ、経済の停滞は、格差の拡大をもたらすだけで、それは、われわれが「失われた20年」の間に経験してきたことでもあります。
 アダム・スミスの『国富論』では、イギリス本国は植民地アメリカよりも豊かだが、賃金はアメリカの方が高いという例示を示しています。わが国でも、「失われた20年」を経て、賃金水準は主要先進国中最低、先進国全体でも中の下あたりになってしまいました。

付加価値生産性を向上させるために

 それでは付加価値生産性を向上させるためには、何が必要なのでしょうか。
 まずは、最先端、高機能、高品質な商品・サービスを次々に供給し続けていく、ということになります。こうした商品・サービスは、企業が外部の取引先に支払うコストに対して、比較的高い価格をつけることができるので、企業は高い付加価値を得ることができます。
 ここで重要なのは、第一に、その商品・サービスが市場から受け入れられなければならないということです。いくら最先端、高機能、高品質であっても、買ってくれる人がいなければ、付加価値に結びつかないのは当然です。
 第二には、「次々に供給し続けていく」ということです。いくらすばらしい商品・サービスで、かつ売れ続けていたとしても、それに安住していては、付加価値は低下傾向に転じ、やがて強力なライバルが生まれれば、市場から消え去っていくことになります。
 「自転車操業」という言葉があります。資金繰りが苦しい経営のことを指すわけですが、筆者は、商品・サービスの開発・供給こそ、自転車操業でなくてはならないと思います。つねにペダルを漕いでいる、立ち止まったら、あっという間に追い抜かれていく、というのが企業経営です。
 「選択と集中」ということが言われ、ひところは、利益率の高い商品、世界シェアの高い商品しか残さず、あとは事業そのものを売却する、などという企業がありました。しかしながら、利益率の高い商品の利益率は低下していく、シェアの高い商品のシェアは低下していくと考える方が、自然なのではないでしょうか。選択し、集中したら、競争に負けて売るものがなくなった、ということにならないようにしなければなりません。
 金属労協では、自由貿易の強化を常に主張しています。その理由は、輸出先の関税の引き下げで輸出を拡大し、利益を増加させるという趣旨もないとは言いませんが、それよりも重要なのは、自由貿易の拡大によって、途上国に対して先進国が市場の門戸を開き、途上国からの輸出を促すとともに、先進国の企業を、途上国の追い上げに対抗するため、最先端、高機能、高品質な商品・サービスを次々に供給し続けていかざるをえない状況に追い込んでいく、ということであると思います。先進国の企業が、労働コストの高さなどを理由に自国の生産拠点を引き払い、途上国に全面移転する、というような事例もありますが、そうした企業の先行きは暗いと言わざるを得ません。

物的生産性の向上を付加価値生産性の向上に結び付けるためには

 カイゼン、ムダとり、3Sといったカイゼン活動は、部品在庫や仕掛品、製品在庫を減らすことにより、企業財務を改善し、直接に付加価値を向上させる、という効果があります。この点については、異論はないだろうと思います。
 しかしながら、物的生産性向上の効果に関しては、人を減らして人件費を削減し、利益をあげるのだという誤解があるのではないでしょうか。
 単純に考えれば、人件費を減らして利益が増えても、付加価値の内訳が変わっただけで、付加価値は高まりません。人が減るので付加価値生産性は高まりますが、それは雇用の削減という犠牲を伴ったものとなります。増えた利益を設備投資に回せば、新たな付加価値につながるかもしれませんが、今の技術レベルでは、機械は自分ではカイゼン活動をしてくれないので、継続的な物的生産性の向上を図ることができません。
 カイゼン活動による物的生産性向上の最大のメリットは、競争力の強化による売上増とともに、ある仕事についている人を、新たな仕事に回すことができるということだと思います。藤本隆宏・東大大学院教授は、中小企業の経営者や生産子会社の工場長が、従業員全員を何としても「食わしていくんだ」という気概で走り回り、親企業や本社に掛け合って、次の仕事は俺のところでやらせてくれ、と言って仕事を取ってくる、雇用を守るためにジタバタすることが、何十万の製造現場における草の根イノベーションを促し、産業構造転換をもたらしているのだ、と指摘しています。大企業であっても基本は同じで、従業員を食わすためのジタバタが、新商品開発ばかりでなく、新たな顧客や商品の新たな用途の開発につながるのだと思います。
 金属労協では、経済産業省が展開している「カイゼンインストラクター養成スクール」の取り組みを応援しています。
 金属産業であれば、どこでもカイゼン活動など熱心に行っているだろうと思いがちですが、2次下請くらいまではともかく、そこから先はカイゼンの余地は十分にあると言われています。カイゼン活動のコンサルタントもたくさんいると思いますが、10人、20人の会社では、費用的に依頼することができません。そうしたことから、カイゼン活動に精通した、ものづくり企業OBに、教えるスキルを身につけてもらい、安い費用でカイゼン指導にあたってもらうというのが、カイゼンインストラクター養成スクールの仕組みです。2016年度の時点で全国に14カ所ありますが、全国のものづくり拠点で展開できればと思います。

すべて「生産性の向上」で解決できれば、痛みはないのだが

 2016年6月に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針2016」では、全46ページ中36箇所、「生産性」という言葉が出てきます。同じく「ニッポン一億総活躍プラン」では、25ページ中23箇所、2017年3月に策定された「働き方改革実行計画」では、28ページで25箇所出てきます。もちろん、生産性の向上は成長の源泉ですから、当然と言えば当然なのですが、どんな課題を解決するにも、生産性の向上で行くんだ、となってしまうと、生産性向上以外に必要な方策、とりわけ痛みを伴う方策を隠してしまうことになりかねません。
 また、「働き方改革実行計画」では、物的生産性を「労働生産性」、付加価値生産性を「生産性」と書き分けているように見えますが、骨太方針や「ニッポン一億総活躍プラン」では、そうした書き分けが見られません。
付加価値生産性の向上にとって、物的生産性の向上は重要なツールですが、物的生産性以外にも付加価値生産性向上の方策はあり、物的生産性が向上しても付加価値生産性が向上するとは限らないことからすれば、きちんと書き分けていないと、効果的な方策を示すことができませんし、内容の信頼性にもかかわるのではないでしょうか。

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