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なぜ物価は継続的に上昇していくと言えるのか

2023年12月25日
一般社団法人成果配分調査会代表理事 浅井茂利

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 調査会レポート「2024年春闘の論点」シリーズの「物価動向をどう見るか」では、デフレを容認しないオーソドックスな金融政策が実施されていれば、物価が下落することはほぼないので、物価は継続的に上昇していくという前提に立って、労使は賃上げに取り組んでいく必要がある、と指摘しました。本稿では、なぜ、コロナ禍のような非常時を除けば、物価が下落することはないと言えるのか、少し補強をしたいと思います。

「物価動向をどう見るか」で指摘した4つの根拠

 まず、「物価動向をどう見るか」では、物価が継続的に上昇していく根拠として、
①今回の物価上昇は、コロナ禍によって供給が滞り、ロシアによるウクライナ侵攻によって資源・エネルギー価格が高騰したことによるコストプッシュインフレとして始まったが、輸入物価やサプライチェーンの川上の製品の物価は、2023年4月頃より前年比でマイナスに転じているにもかかわらず、最終需要の物価は、プラス3%前後の上昇率が続く状況となっており、海外要因によるコストプッシュインフレの段階から、自立的な物価上昇に転じている可能性があること
②日本を除く主要先進国と韓国の計7カ国について、最近50年間の物価上昇率を見ると、物価がマイナスとなったのは、カナダ、フランス、韓国、英国がゼロ、ドイツ、米国が1年、イタリアが2年となっており、7カ国×50年間の合計350年間でわずか4年間にすぎず、物価下落はまさに「百年に1度」の珍事であり、日本は12年間で異常に多いとは言え、それでも2000年前後と2010年前後を除けば、物価下落は例外的であること
③日本銀行が企業に対して行うアンケート調査である「全国企業短期経済観測調査(日銀短観)」 では、消費者物価上昇率の見通しについて質問しているが、2023年12月の調査によれば、1年後における消費者物価上昇率(前年比)の見通しは、平均で2.4%、3年後については2.2%、5年後も2.1%となっており、中期的に見ても、少なくとも「2%」の消費者物価上昇率は、企業においてすでに織り込み済みであること
④デフレを容認しないオーソドックスな金融政策が実施されていれば、物価が下落することはほぼなく、2023年4月に黒田日銀総裁が退任し、植田新総裁に交代したが、植田総裁もデフレを容認しないオーソドックスな金融政策を踏襲していること
を挙げていますが、とくに4点目について、補強したいと思います。

歴代日銀総裁在任中の物価上昇率

 バブル経済を収束させ、「平成の鬼平」と言われた三重野日銀総裁(第26代)のあとの歴代日銀総裁在任中の消費者物価上昇率(総合、ただし消費税率引き上げ分を除く)を見てみると、
第27代松下総裁(1994年12月~98年3月) 年率0.3%
第28代速水総裁(98年3月~2003年3月) 年率マイナス0.5%
第29代福井総裁(2003年3月~08年3月) 年率0.0%
第30代白川総裁(08年4月~13年3月)  年率マイナス0.3%
第31代黒田総裁(13年3月~23年4月)  年率0.5%
となっています。(ただし、黒田総裁の在任中の上昇率は、コロナ禍と資源・エネルギー価格の高騰が始まる前の2019年度までの7年間について計算している)
 これを見ると、速水総裁と白川総裁という二人の在任期間中にデフレが放置されていたということが言えると思います。この2人については、在任期間5年間中、実に4年間、消費者物価指数が下落しています。

構造改革を強く訴え、リストラを歓迎した速水総裁

 速水総裁の講演録を見ると、構造改革を強く訴え、リストラを歓迎し、雇用問題など構造改革による痛みを避けるのではなく、克服する努力を訴えていることがわかります。たとえば2000年5月29日の講演では、

 景気が回復に向かうと、一種の安心感から構造改革への取り組みが疎かになることも十分にあり得ることです。また、雇用面をはじめ構造改革の陰の部分が目立つと、どうしても改革に逆行するような動きが出たり、総需要拡大といった従来型のマクロ政策対応を求める力が作用し易いものです。しかし、これまでもお話したとおり、現在の景気回復に構造改革に向けての努力が寄与していることは疑いがなく、今後の持続的な景気拡大の実現には、なお残存する多くの構造的な課題を克服していくことが不可欠であることを忘れてはなりません。そうした問題は、金融財政政策といったマクロ面からの対応だけで解決できるものではありませんし、まして金融資本市場のグローバル化が進んだ今、過去の問題をインフレによって帳消しにしてしまおうという試みが成功する筈はありません。結局、この問題を解決し得るのは、現状を変えていこうとする民間部門のエネルギー -言い換えれば「創造的破壊」の動き- であるということを、ここで再度訴えたいと思います。また、そうした民間部門のエネルギーが発揮されていけば、結果的に構造改革の陰の部分も次第に吸収されていくことは、米国の例からも明らかです。
日本経済研究センターにおける速水日銀総裁講演(2000年5月29日)

と主張しています。また、日本銀行法が、金融政策運営の理念として謳っている「物価の安定」については、

 「物価の安定」というのは、「インフレでもデフレでもない状態」のことです。インフレやデフレが、一旦人々の心理に根づくと容易には払拭できない性格のものであることを踏まえると、中央銀行として、ある時は「インフレにしない」と言っておきながら、別の時には「インフレにする」ことをコミットするという考え方は、受け容れ難いものがあります。やはり、中央銀行としては、「インフレもデフレも望まない」ということを、どんな時にも首尾一貫して政策目標にしていくのが、政策に対する国民の信認を得るためにも、重要であるように思います。「調整インフレ論」が、局面によっては、「ある程度のインフレにすることを目標にする」といった内容を意味するのであれば、それは採り得ない選択だということです。
読売国際経済懇話会における速水日銀総裁講演(1998年7月29日)

と述べていました。この点については、2000年の講演でも、

 過去20年近くにわたって、平均1%台前半という安定した物価上昇率を達成してきた日本が、2~3%のインフレ率を受け入れるためには、かなり強い理由が必要です。ここは、日本経済の特質や構造を十分踏まえた上で、国民経済の健全な発展のために適切な「物価の安定」の内容を慎重に検討すべきと思います。
内外情勢調査会における速水日銀総裁講演(2000年3月21日)

と主張しています。実際には、この時点では、すでに消費者物価指数は継続的に下落する状況となっていたので、なぜ「過去20年近くにわたって、平均1%台前半という安定した物価上昇率を達成してきた」ことを、物価目標政策を採用しないことの理由に挙げるのか、まったく理解できません。
 実際、日銀は第2次安倍内閣発足後の2013年1月まで、国際標準である2%の物価目標を掲げることはありませんでした。国際標準が2%であるのに、「インフレでもデフレでもない状態」や白川総裁時代のように「1%」をめざしていたのでは、円高になることは避けられず、円高は、景気と企業業績の悪化をもたらすことになりました。輸出とは関係ない産業では、円高は企業業績にプラスに働くように思われますが、実際には、輸出産業の業績悪化により、日本経済全体の需要が縮小するので、企業業績は全体として悪化するのです。

 加えて、「物価動向をどう見るか」でもご紹介したように、消費者物価上昇率がゼロ%の状況では、GDPギャップはマイナスになってしまいます。GDPギャップは、わが国の潜在的な供給力に対する実際の需要の比率を表したもので、これがマイナスになっているということは、需要不足・供給力過剰の状態であることを意味します。

 速水総裁の意図にも関わらず、こうしたデフレ放置政策が、日本の産業・企業の強化につながることはありませんでした。むしろ長期にわたるデフレ経済を通じて、日本の産業・企業の活力、競争力が失われていったことは、誰の目にも明らかだと思います。金融政策において、中央銀行(日本銀行)から金融市場への資金供給をタイト(引き締め気味)にして景気を冷やすことにより、人員整理や人件費削減を促し、企業を筋肉質にして競争力を高めるという考え方を「清算主義」と言いますが、もはや清算主義的な金融政策に戻ることはない、従って、短期的な非常時を除けば物価が下落することもない、と断言してよいと思います。

当初は順調に推移していた黒田日銀の量的・質的金融緩和

 マスコミ報道などの影響で、黒田日銀の10年間は失敗であったかのようなイメージがありますが、とんでもない誤解です。またこうした評価は、スタンダードな経済学に反感を持つ独善的な首相を産み出す可能性もあり、きわめて危険です。
 黒田日銀の金融政策は、「量的・質的金融緩和」を導入し、
*2%の「物価安定の目標」を「2年程度の期間を念頭に置いて、できるだけ早期に実現する」こと
*金融市場調節の操作目標をマネタリーベースに変更し、年間約60~70兆円に相当するペースで増加するようにすること
*長期国債の保有残高が年間約50兆円に相当するペースで増加するよう買入れを行うこと
を決定したことから始まりました。
 ここで、わかりにくいポイントは、
*マネタリーベース
*日銀による長期国債の買い入れ(保有残高の増加)
*金融機関が日銀に保有する当座預金(日銀当座預金・・・日銀当預)
です。

 まず、マネタリーベースですが、これは、「日本銀行が世の中に直接的に供給するお金」のことで、具体的には、市中に出回っている現金(紙幣の発行高+コインの流通高)と日銀当預の残高の合計です。日銀が金融機関から国債を購入し、その代金を日銀当預の口座に入金すれば、金融機関が貸出を増やしたり、資金運用を拡大したりできる、というのが金融市場調節の本来の姿です。
 しかしながら、日銀当預はもともとゼロ金利だったのが、白川日銀時代の2008年10月、日銀当預の残高のうち、法律で預けることが義務づけられている分(所要準備)を超えて預けている分(超過準備)について、0.1%の金利を支払う(プラス金利)ことになりました。このため、金融機関は、国債を日銀に売却した代金で貸出や運用をしなくても、日銀当預に預けたままにしておけば、利益が確保できる状態となりました。日銀による金融機関からの国債購入という金融緩和の効果が著しく減殺されているわけです。低金利で業績の悪化する金融機関への補助金であるとともに、政府から求められて見かけ上は金融緩和を実施しても、実際には効果が出ないようにするための仕掛けだと言えます。
 実はこれが、黒田日銀が金融緩和を「異次元」の規模で行わなければならなかった真相だと思います。見かけ上の金融緩和はとんでもない規模なのですが、実際の規模はそんなには大きくありません。
 超過準備に対する金利支払いをやめればよいのですが、ゼロ金利下で金融機関への補助金をやめるわけにはいかない、ということなのだろうと思います。なお、2016年1月に、一定の額を超える超過準備には、逆に、金融機関が0.1%の金利を支払う(マイナス金利)ことになり、超過準備拡大に一定の歯止めがかかりました。これによって、日銀当預には、ゼロ金利(所要準備)、プラス金利(超過準備の一定額まで)、マイナス金利(超過準備の一定額を超える分について)の3つが併存するという大変わかりにくい状況となっています。

 2%の物価目標の設定と日銀による長期国債の買い入れにより、消費者物価指数(総合)は顕著な上昇傾向となりました。2013年3月の消費者物価上昇率(総合)は前年比▲0.9%でしたが、6月にはプラスに転じ、12月には1.6%、そして2014年5月には、(4月からの消費税率引き上げ分を除いて)1.7%に達しました。
 物価目標はあくまで2%であって、「2.0%」ではなかったのですから、2013年11月から2014年6月にかけて、消費者物価上昇率が1%台後半、すなわち四捨五入で2%に達したことを受けて、おおむね目標を達成したことをもっとはっきりとアピールしていれば、その後の展開も違っていたと思うのですが、大変残念なことでした。

  せっかく「四捨五入すれば2%」に達していた消費者物価上昇率ですが、2014年夏の景気減速を受けて、11月以降はゼロ%台前半(消費税率引き上げ分を除く)となってしまいました。2014年夏の景気減速は、一般的には4月の消費税率引き上げの影響と考えられているようですが、景気ウォッチャー調査で見ると、3月の57.9から、4月に41.6に急激に落ち込んでいたのが、5月45.1、6月47.7、7月51.3と急速に回復していました。8月になって急に消費税率引き上げで景気が減速した、というのはとても奇妙だと思います。

 この時期におけるマネタリーベースの動向を見ると、明らかに増加ペースが鈍化しており、すなわち金融緩和が縮小している状況が見られます。マネタリーベースは、2014年3月には前年同月に比べ74兆円、54.8%増加していましたが、そのあと増加幅が縮小し、9月には64兆円、35.3%の増加に止まっています。
 日銀は、2014年5月の「金融政策決定会合」において、「『量的・質的金融緩和』は所期の効果を発揮しており」と評価していますが、それ自体はまったく正しい分析であるとしても、金融緩和の縮小という政策変更につながってしまい、それが市場の不信を招き、以降の量的・質的金融緩和の効果を著しく減衰させた可能性があると思います。

 結局、黒田日銀はこのあと、資源・エネルギー価格の高騰によるコストプッシュインフレが発生するまで、2%の消費者物価上昇率目標を達成することができませんでした。しかしながら、少なくともデフレ脱却という点では、大きな成果をあげましたし、また雇用情勢も大幅に改善しました。白川日銀時代は、完全失業者数が255万人(2007年度)から280万人(2012年度)に増加、完全失業率は3.8%から4.3%に、0.5ポイント上昇していたのに対し、黒田日銀では、完全失業者は280万人(2012年度)から、5年後の2017年度には184万人に96万人減少、10年後の2022年度も178万人となっています。完全失業率も同じく2012年度4.3%から、2017年度2.7%、2022年度2.6%と推移しています。
 この間、生産年齢人口の減少が進んでいることは事実ですが、そもそも労働力需要が拡大していなければ、生産年齢人口が減少しても人手不足とはなりません。就業者が5年間で145万人減少した白川日銀と、5年間で294万人、10年間で442万人増加した黒田日銀との違いは明白だと思います。


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