「災間」の防災教育

 今日の午後、ラジオでしゃべる内容をメモしていたら、ふと文章にしたくなりました。普段は文章を書くという作業が苦手で、ノートパソコンを開いても、「コーヒーを淹れよう」とか「猫と遊ぼう」とか「植物に水をあげよう」とか、とにかく別の行動を考えて「書かなくてもいい」状況を生み出す癖があるのだけれど、いまはなぜか、書いてみたいなと思いました。こんなことはめったにありません。

 3月中旬、岩手県の釜石市、宮城県の南三陸町と仙台市に行ってきました。神戸から釜石に移住した昔の教え子に会うのがメインで、他にもいろんな方と会って、楽しく話をしてきました。もちろんおいしいものもいっぱい食べて、1週間で2キロも増量してしまいましたが。

 いろんな場所でのたくさんの会話の中で、防災教育にとても力を入れている数人の先生方が共通する内容を話されたので、ちょっと驚きました。

 震災からしばらくは、災害の話を持ち出したときのこどもたちの反応が不安で、研修などでその対処を学びながら、とにかく「こころのケア」を念頭に置いて教育活動を行ってきたそうです。それは、結果的には震災を避けることにつながっていました。

 5年くらい経って、小学校では震災を記憶していないこどもたちが入学するようになってきます。10年も経てば、中学校にも震災を記憶していないこどもたちが入学してきます。今度は、あの震災をどう教えるか、どう知らない世代につないでいくかが課題になってきました。

 そして10年経って、ふと思ったそうです。この10年間、こどもたちに「防災」を教えてこなかったのではないかと。こころのケアも災害体験の継承もがんばってとりくんできたけれども、災害発生のメカニズムや災害への備え、災害時の対応を丁寧に教えきたのだろうかと。もし不十分だとしたら、災害に弱いこどもたちを育ててしまったことになると。

 もちろん、まったくゼロというわけではないでしょう。今、被災地で語り部活動をしている若者と、若者たちに寄り添いながら一緒に活動している大人たちを見ると、いい教育をしてきたなとしみじみと感じます。
 でも、この10年間、防災をあまり知らないこどもを育ててしまったかもしれないという数人の先生方の言葉は、真摯で率直でした。私は、ある表現を思い出しました。

 「災間を生きる」です。この言葉は、震災時、宮城県石巻西高校で教頭だった齋藤幸男さんが作られました。石巻西高校がどう震災と向き合ってきたかについては、彼が書いた「生かされて生きる」(河北選書)をお読みください。私はこの本を「教育復興物語」と呼んでいます。教師必読の書だと思います。
 私たちは、前の災害の後、そして次の災害の前を生きています。それを齋藤さんは「災間」と表現したのです。災害の後だから、こころのケアも災害体験の継承と発信も大切です。そして、災害の前だから当然、災害のメカニズム備えや対応の学習も必要です。

 被災地では災害体験の学びが中心になりがちです。未災地では災害への備えや対応に重点が置かれます。でも、本当は被災地でも未災地でも、その両方をしっかりとていねいに扱わなければならないと、何人かの先生が指摘してくれたのだと受け止めました。


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