日本赤十字社「宇崎ちゃんは遊びたい!」とコラボしたポスターについて雑感

「宇崎ちゃんは遊びたい!」の宇崎ちゃんが描かれた、日本赤十字社の献血ポスターが議論を呼んだ。
これに関連する話を記載する。

■以前、「今の美大生はみなオタク」と聞いて、美大卒20代デザイナーの女性に萌えアニメについて聞いてみたことがある。

「女性の性が消費されていると感じない?」

「だってキャラだし。普通にキャラとして楽しんでいる」

彼女とってキャラは、現実のエロや人権と関係がないのかと驚いた。

■私にも好きな性的表現はある。でもアニメ等で、困り眉、紅潮した頰、その他身体的な特徴など女性の性の消費を感じ、まして性的でない文脈で見ると違和感を覚える。
ただ、さらに色々見るようになったら、その要素の先にある物語性やキャラの魅力、絵の美しさ、作り手の凄さも見えるようになってきた。

■日常的に見て育てば、性的に解釈できる記号も、実際の性的興奮とは切り離され、キャラの一要素として語れる対象になるのか。でも、それは不十分な人権教育が生んだ感覚でもあると思う。
国際的な人権感覚における日本の創作物のあり方については、一度フラットに議論してみたい。ただ糾弾ではなく。

■また絵ではなく、ドジ、主張がないなどクリシェな女性の性格描写にノレない時がある。とはいえ、強い女性キャラを見て単純に女性賛美とも感じない。
つまり、キャラを楽しむ感覚はあるが、女性性の抽出ではなく人間描写に圧倒されたい。
ただ、記号の組み合わせで楽しむやり方もあるのだろうと思う…

以上、オチなし独り言でした。
人権は尊重しよう、ある程度のゾーニングは必要、でもコンテンツも好き、ということです。

★上記をツイートしたところ、
「困り眉のどこが性的消費なのか」という質問をいただきました。

その答えを記載します。


■宇崎ちゃんの、あのポスターの眉そのものは、性的な意図はないと思います。また確かに、「困り眉」だけ見れば老若男女様々なキャラに描かれ、性的とは言いにくいかも知れません…
ただ、私の個人的な感覚を説明します。

■女性キャラの困り眉には、ある程度、獲得した記号的な意味があるかな、と感じることがあります。それが想起するのは、従属的な女性のエクスタシーです。

「エロマンガ表現史」でも、快感、絶望、服従がアヘ顔の三要素だと指摘されており、その顔には歪んだ眉が存在することが多いと思います。

■私も、エロアニメやエロマンガに性的な興奮を覚えることがあります。でも「やらされて」いて「少し喜んでいる」ような、女性が従属的な表情で描かれているイメージは、性的ではない文脈でも描かれてきたと思います。それは時に記号的に性的なイメージを下敷にしており、違和感を感じることがあります。

■ちなみに、私は石井隆監督の映画が好きで、そこではいつも女性が性的にも酷い目にあいます。絵にすれば困り眉ばかりでしょう。

ただ、そこでは男女とも困り、その先に人間と生の混沌、その美しさを感じます。虐げられた女性は記号化されず、つまり性の消費は感じず、描かれるのは人間そのものです。

■もちろん男性性のアイコンだってあるでしょう。

ただ、女性に関する記号化が多い気もして、これが私がこれまで様々なコンテンツを見てきた中で生まれた、正直な感覚です。

近年、マンガ、アニメ、ゲームの展覧会の企画に携わることが多く、コンテンツ提供側としても常に線引きや姿勢を悩んでいます。

■色々な感覚は存在し、でもそれらを重ね合わせながら、ある局面では社会に共通のルール運用が必要なので、正直に会話したらよいかなと、書いてみました。ただ、ルールに関しては、感覚だけでなく、参照できる数値や研究成果などをしっかり学び、共有する必要がありますね。

以上です。

線引きの答えを出していませんが、複雑なものをそのまま受け止め、まず正直に話していくことが重要だと思います。

理念をもちつつ、多様な人々が共存する社会で現実的な案を策定していくためには、そのような姿勢で臨みたいと思います。