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人類に対する罪

 ブラッド・ピット主演の『セブン』という映画を見た方ならキリス教教の聖書に由来する「七つの大罪 (seven deadly sins)」という言葉を覚えているだろう。

 人が犯す罪の中で最も重いとされるもので、「高慢(pride)」「物欲(covetousness)」「色欲(lust)」「憤怒(anger)」「貪欲(gluttony」「嫉妬(envy)」「怠惰(sloth)」の七つを指す。

 しかしこれらだけでは説明がつかないほど罪深い殺戮が今も繰り広げられている。ウクライナ戦争だけではない。パレスチナ紛争もそうだ。イスラエルに取材に行ったときに実感した。

 なぜ彼らは殺し合わねばならないのか。なぜ18歳の少女が爆薬を身体に巻き付けて自爆攻撃の道を選ぶのか。分からないことだらけである。

 報道に携わっている日本の記者がディレクターもパレスチナ情勢についてきちんと説明できる者は少ないのではないか。そう言う生半可な人々がつたえているのだから視聴者にはますます分からない。

 ユダヤ人とパレスチナ人との争いだという。それでは両者はどこが違うのか。一言でいえば、ユダヤ教を信仰する人々はすべてユダヤ人である。一方のパレスチナ人とはパレスチナ地方のアラブ住民のことだ。

 長い歴史の中で迫害を受け、世界に離散したユダヤ人(ディアスポラと呼ばれる)は、アメリカの後ろ盾で1948年、聖書にある「約束の地(Promised Land)」カナン(現在のパレスチナ地方)にイスラエルを建国した。

 しかし、イスラエル国家の誕生によってパレスチナに住んでいたアラブ住民の多くが故郷を追われ、難民として周辺のアラブ諸国に離散してしまう。さまよえるユダヤ人の建国が、さまよえるパレスチナ人を生んだという歴史が生んだ悲劇である。

 さらにユダヤ教、キリスト教、イスラム教という3つの宗教の聖地エルサレムがその地に存在するから厄介なのだ。これが現在まで続く戦争の憎しみの連鎖の始まりである。

 90年代半ば、イスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)は平和共存の道を選択したはずだった。しかしその後交渉は決裂。強行派のシャロン・イスラエル首相が登場したため、事態は悪化の一途を辿った。

 米国同時多発テロ後、単純発想のブッシュ米大統領が「イスラエルはテロから自国の安全を守る権利がある」と発言したことも、火に油を注ぐ結果になった。慌ててパウエル国務長官を仲介役として現地に派遣したが、うまくいくはずがない。

 オバマ政権は中東和平に積極的に臨んだ。しかし露骨なイスラエル寄りのトランプ大統領の出現で中東はまた一触即発の火薬庫に戻ってしまった。オバマ政権の中東和平案と決別して「世紀の取引」を実現すると息巻いたトランプは18年にイラン核合意から離脱し、イスラエル建国70周年に合わせて在イスラエル米国大使館のエルサレム移転を強硬したからだ。

 イスラエルはエルサレムが首都だと主張しているが、3大宗教の政治であるため国際的には認められていない。ところが、トランプ政権が大使館移転という形でイスラエルの主張を一方的に支持したため、アラブ側の怒りが爆発したのだ。たちまちパレスチナ各地で抗議のデモが続発。

 パレスチナ自治区ガザでは、イスラエル治安部隊の発砲で、パレスチナ保健相によれば、62人が死亡、負傷者は3000人以上という大惨事となった。イスラエルとイランの軍事衝突も激化した。

 バイデン大統領はイラン核合意への米国の復帰を模索しているが、なかなか一筋縄ではいかない。連日のウクライナ戦争報道の陰で、中東での流血の惨事は続いている。

 パレスチナの子供たちが「殉教ごっこ」して遊んでいるという話しを聞くと、これはもう人類に対する罪ではないかと思う。
               (写真はAFP)

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