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ミャンマー情勢がいつまでも不安定な理由

 ◎流血の惨事

 民主化が進んでいたはずの仏教大国ミャンマーで突如クーデターが発生して流血の惨事となって以来、一触即発の事態が続いています。

  国軍が突如、民主化運動の中心人物アウン・サン・スーチー国家最高顧問をはじめ数100人の活動家や野党議員らを拘束し権力掌握を宣言したのは今年の2月1日。数日後には野党活動家など約400人が解放されましたが、「戦う孔雀」として知られる民主化の中心人物スー・チー女史は軍によって不明の場所で拘束されたままで先月本格的な裁判が始まりました。

 弁護士によれば、罪状は輸出入法違反や新型コロナ対策を怠った自然災害管理法違反などとのことです。軍は国家機密法違反や汚職の疑いでも訴追を準備しているということですから、拘束はさらに長期化しそうで彼女の健康状態が心配です。

◎ 国軍はなぜスー・チー女史をそれほどまで恐れるのか

 それにしても国軍はこんな罪状まででっち上げてまでスー・チー女史を政治的に葬りたいのでしょうか。

 ミャンマーは1962年から2011年までの半世紀近く軍事政権の恐怖政治に支配されていました。しかし2015年の総選挙でノーベル平和賞受賞者スー・チー女史が率いる与党・国民民主連盟(NLD)が圧勝して初の文民政権が誕生。欧米の制裁も緩和され、少数民族迫害問題はあるものの、経済も回復基調で国際的に評価が高まっていたところでした。

◎ 隠れた野心

 その矢先に反民主的なクーデターを起こせば欧米から厳しく非難されることは予見できたはずです。じつはその裏には権力失墜を恐れたミン・アウン・フライン国軍最高司令官の個人的野心がありました。

 民政移管後も国軍は強固な政治的権力を維持してきました。国軍最高司令官は議会全議席の4分の1を任命する権限を持ち、国防大臣、内務大臣、国境大臣の3つの要職も指名できると憲法で定められているからです。外国籍の家族を持つ人物は大統領に不適格という規定も英国人と結婚しているスー・チー女史を国家元首にさせないためです。

 それをいいことにフライン将軍ら軍幹部は少数派イスラム教徒ロヒンギャを残虐に弾圧し、さまざまな経済的利権で私腹を肥やしてきたといわれています。そして任期切れが今年夏に迫った将軍には次期大統領になるという野望があったのです。

◎ 吹っ飛んだ野望

 ところがその夢は吹っ飛んでしまいました。昨年11月の総選挙で国軍が支援する連邦団結発展党(USDP)がNLDに大敗を喫してしまったからです。激怒したフライン将軍は「総選挙で不正が行われた」という根拠なき理由でクーデターを企て実行に移しました。これで自身が引退する必要がなくなり、スーチー女史を弱体化させられると考えたのでしょう。

 しかしそれも誤算でした。なぜなら国民の大多数が彼女を「私たちの母」と呼んで敬愛しているからです。その結果が全土で広がった数万人の抗議デモです。

◎ サフラン革命の意味

 ミャンマーでは2007年にも大規模な流血の反政府デモが起きたことがあります。多くの僧侶が参加したため僧衣の色から「サフラン革命」と呼ばれました。サフランの花言葉は「歓喜」そして「過度をつつしめ」「乱用するな」です。しかし、その意味は私利私欲に溺れた将軍には届かなかったようです。

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