見出し画像

誠実な経営・政治は出来ないことではないと教えてもらった

  度重なる企業や政治家の不祥事とその後の見苦しい対応を見ていると、ビジネスや政治と誠実さはしょせん両立できないものなのかと落胆してしまいます。しかし、そうではないと私に教えてくれた人物がいました。

 社長時代からお付き合いがあった資生堂特別顧問だった故池田守男さんです。池田さんは敬虔なクリスチャンで、低迷していた資生堂の業績を社長在任中にV字回復させた立役者でした。

 初対面の印象は素晴しく柔和な紳士で、こんな方が大会社の社長を務められるのかと内心疑ったほどでした。ご本人も5人の歴代社長の秘書を務め「生涯一秘書」を自任されていたので、まさか自分が社長に抜擢されるとは思っていなかったと正直に話してくれました。

 ですから、「次を頼む」と言われたとき池田さんは即答を避け、どうしたものかと銀座の街を一時間ほどさ迷い歩いたそうです。やがて足はある場所で止まりました。いつも礼拝に訪れている銀座教会の前でした。

 そしてある言葉が心に浮かんだそうです。新渡戸稲造の“Be Just and Fear Not”でした。「恐れることなく正しくあれ」という意味です。銀座教会にはその言葉が書かれた新渡戸の書があります。それを思い出されたのです。

 この時、社長職が自分に与えられた天命であると池田さんは悟ったそうです。その後、彼はみごとに品格とビジネスを両立させました。社会に奉仕することを第一義としながら業績を黒字転換させたのです。

 新渡戸稲造と言えばたいていの人は名著『武士道』を思い出されるに違いありません。もう10年以上前ですが、エドワード・ズウィック監督、トム・クルーズ主演の叙情詩的アクション映画『ラスト・サムライ』が大ヒットした際には『武士道』が全国の書店に並んだことがありました。(じつはこの映画に出演しないかという打診があったのですが、諸般の事情で実現しいませんでした。残念!)

 武士道はもととも戦場に赴く武士の心得ですが、新渡戸はそれに仏教や西欧の騎士道、キリスト教精神を重ねることによって日本男子としてあるべき姿を格調高い英語で書上げ、欧米で大反響を巻き起こしのです。

 米国の第26代大統領セオドア・ルーズベルトや発明王エジソンも大変感銘を受けたそうです。現代にも通じる人生哲学、いや道徳上の掟といってもいいでしょう。

 1862年岩手県盛岡で生まれた新渡戸は、札幌農学校から東京英語学校、東京大学へと進学しています。その間に生涯の親友となるキリスト教思想家の内村鑑三や植物学者の宮部金吾と親交を深めました。

 東大入試面接の際に試験官に答えた「太平洋の橋になりたい」という新渡戸の言葉は今も明言として残っています。その後、アメリカやドイツに留学し、妻となるアメリカ人のメアリー・エルキントンさんと結婚。

 ある時、少年時代に学んだ道徳上の戒めの原点が武士道にあると気づいた新渡戸が『Bushido The soul of Japan』を執筆したのはカリフォルニアで脳神経症の転地療養中のことだったそうです。

 私も折に触れて手に取る一冊ですが、読んでいて心に響かない言葉はありません。例えば、「勇気ある者は優しさにあふれ、愛情深い者は勇敢である」、「真実や誠実さを欠く礼儀は見せかけだけの茶番である」、「洞察力のある人なら、富の構築と名誉は同じではないということがわかるだろう」など心が洗われます。

 粉飾決算や所得隠し、賞味期限のごまかしをしている企業経営者や嘘で固めた人生を歩んでいる政治家には新渡戸の爪の垢でも煎じて飲ませたい。

 池田さんはこうした新渡戸の言葉を胸に日々経営に邁進されていました。経営の基本理念はトップダウンではなく、お客様を頂点におく逆ピラミッド型「サーバントリーダーシップ」だというのが信条でした。口で言うのは簡単ですがなかなか実行できるものではありません。

 在りし日に銀座の資生堂パーラーでお会いした池田さんの優しい瞳は、いつもこう語っていた気がします。「誠実な経営は出来ないことではない。経営者がそれをやろうとしないことが問題なのだ」と。享年76歳。もっと長生きしていただきたかった。

                 (写真はnofashon.cn)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?