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軽井沢のモミジに教えられたこと


 かつてヨーロッパに取材に出かける度に現地の人たちを羨ましく思ったことがありました。平日は仕忙しない忙しない都会で暮らすけれど、土日は自然が豊かな田舎でゆっくりと過ごすという人が多かったからです。
 ごく普通のサラリーマンが1時間ほどで行き来できる距離に、人間らしさを取り戻すためのウィークエンドハウスを持っている。日本ではまだ夢のようなお話でした。

 自分もそんな生活を実現したいと思うようになり、〝複数の住居〟の意味でマルチハビテーションという怪しげな英語を思いつきました。略して「マルハビ」です。
 その時から、「いずれはマルハビ」が私の夢になりました。しかし、テレビやラジオの仕事で忙しく、ようやくマルハビ実現に乗り出したのはかれこれ15年程前のこと。

◎ロケーション、ロケーション、ロケーション


 週のうち平日はアスファルト・ジャングルの都会で仕事をし、週末を自然に囲まれた郊外の第2の”自宅”でゆったりと過ごす。そのために重要なのはなんといってもセカンドハウスの建設場所です。地図を開いて、港区の住居を中心に1~2時間程度の場所をぐるりと見わたしてみました。すると、いくつかの条件が見えてきました。

 1.行き来するのに交通の便がいい。2.水道、電気、ガスなどのインフラが整っている。3.自然だけでなく買い物や外食を楽しめる。4.風光明媚。5.医療機関がある。5.ゴルフ場が近い。6.自然災害が少ない。

 そしていくつかの候補地の中で最終的に残ったのが軽井沢でした。
 新幹線で東京駅からわずか1時間余り。長野オリンピックのお陰で高速道路も整備され車でも2時間余りです。学生時代にスキーに出かけ、安宿に泊まって、お茶だけ飲みに万平ホテルのティールームへ行った楽しい思い出もありました。冬の寒さは少し気になりましたが、自然の素晴らしさを思えば我慢できますし、冬の静かな軽井沢も素敵でした。


 軽井沢には別荘地がいくつもあります。現地に別荘を長く所有している知人のアドバイスで平らな地形の南が丘の物件に目をつけました。名門軽井沢ゴルフ倶楽部のすぐ側です。

◎妻を説得する方法

 さて、次は共働きの妻の説得でした。じつは「マルハビ」生活について何の話もしていませんでした。そもそも女性は都会の利便性が好きです。それに、ずっと賃貸派だった私が、やっと自宅を構えるならまず東京だと考えるでしょう。それがいきなり軽井沢です。

 半信半疑の彼女を連れて行ったのは、ある会社の保養所の広い庭の跡地でした。そこには天をつくような大きな樹木に混じってとてもいい感じのコブシの木があったのです。これが幸いしました。妻はコブシが大好き。この木があるならとセカンドハウス建設に賛成してくれました。

◎モミジの教えられた本当に自然を愛するということ

 それからは家のイメージ図を夜なべして描いたり、床は石にしようと素材を探したり、照明のスイッチは真鍮でなくては、とあれこれ2人で決めていき、軽井沢に別荘がある建築家の友人にお願いして家が完成しました。

 次は庭です。玄関の横に家のシンボルになるようなモミジがほしい。軽井沢は紅葉が見事な所で、夏よりも実は秋が素晴らしいのです。我が家にもそんなモミジがあれば、と秋を前に近所の造園屋さんに探しに行きました。すると目に飛び込んできたのが3㍍はある立派な枝ぶりのモミジ。すでに赤子の手の平のような葉っぱが色づき始めていました。もう、一目ぼれでした。値札をみると結構高額でしたが、さっそくご主人に購入を申し入れました。ところが返ってきたのは意外な言葉でした。「売りたくない」

 それなら値札が付けるなとムッとして理由を尋ねると主人の口からまたも意外な一言。「だってかわいいから」

 どうやら仕入れたばかりで、まだ手放したくなかったようでした。しかしこちらも引き下がれません。押し問答の末にやっと購入をオーケーしてもらい、表庭に植えてくれるように頼んで帰京しました。

 しばらくして軽井沢の新居を訪れると、一目惚れしたモミジが玄関横に見事な姿で立っているではありませんか。素晴しい! ひとりで悦に入っていると、内装の仕事をしていた職人さんが「先日、そのモミジの木を植えたご主人が家族を連れてモミジとお別れに来ていたよ」と話してくれました。

 それこそ本当に自然を愛する人たちの姿でした。相手の気持ちも考えず自分の欲だけで強引に買い取った我が身の不徳を恥じました。その後も折に触れて佐藤造園のご主人や後継ぎの息子さんが手入れに来てくれるお陰で、玄関先のモミジは毎年秋になると鮮やかに色づいています。

 


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