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税金を考える時に知っておきたい利益説と能力説とは

  誰しも本音では、税金は少ないほどありがたいと思っているに違いない。とくに現在のように新型コロナ禍で不景気風が吹いているときはなおさらだ。だから選挙が近づくと政治家にとっては支持率を下げる”増税”はまさに禁句なのだ。日本でも消費税の増税をいうと議論百出になるのもそのためである。

  1988年のアメリカの大選挙選挙で共和党候補パパ・ブッシュ(George H.W. Bush)が ”Read my lips! No new taxes!”(私のいうことをよく聞いてください。増税は絶対しません!)と公約して当選したのは有名で流行語にもなった。しかし大統領就任後に増税したため国民の怒りをかって再選されなかった。

 そもそもなぜ我々は税金を支払わなくてはならないのか。お子さんにそう聞かれたときにきちんと答えられる親御さんはけっこう少ない。理論的にはふたつの根拠があるそうだ。

 ひとつは利益説。これを唱えたのは18世紀の啓蒙思想家であるジョン・ロックやジャン=ジャック・ルッソーだった。税金は国民が受ける公共サービスに対して支払う対価であるという考え方だ。それなら税額は平等に一律でいいのではないかという疑問が湧く。

 もうひとつは能力説である。こちらは19世紀の英経済学者ジョン・スチュワート・ミルなどが唱えた説で、税金は国の公共的利益を維持するために国民が負うべき義務であり、負担は各人の能力に応じて決められるというモのだ。義務説ともういう。たくさん儲けた人は税金も一杯払う義務を負うことになる。

 金持ちは努力の甲斐がないと渋い顔をするだろうが、甚だしく貧富の差が拡大した社会では大多数の人々が希望を失って治安も悪化し、決して幸せな社会ではないことは誰もが感じている。

 9月の自民党総裁選に向けて岸田新首相は看板政策として所得倍増や金融所得課税の強化など「新しい資本主義」の実現を謳った。ところがいざ選挙戦がスタートすると目玉政策はことごとく封印されてしまい、首相就任後はさらにトーンダウン。総選挙直前とあって、大企業べったりの自民党総裁としては富裕層増税など到底言えないのだろう。

 どちらにしても我々が汗水垂らして働いた稼ぎを強制的に国や自治体が吸い上げるのだから、その税額の決め方や使い道はきっちりと納得できるように説明してもらいたい。北欧諸国のように、税金が高くてもその使い道が透明化されていて、社会保障や教育、医療などが手厚ければ国民の不満は少ないからだ。

 世の古今東西を問わず租税は頭の痛い問題だった。古代エジプトのパピルス文書には厳しい税の取り立てに苦しむ農民の記述があるという。古代ローマ帝国のブルータスは、属州の住民になんと10年分の税金の前払いを要求したそうだ。民主主義とはほど遠いお話だが、そんなことをされた住民は堪ったものではない。

 重税が歴史を動かしたという例もたくさんある。1642年に英国で勃発した聖教徒(ピューリタン)革命は王様が勝手に課税しようとしたのが切っ掛けだし、オランダ独立宣言の一因となったのは16世紀にスペインの総督が売上税を課したことだった。

 このほかにも、18世紀に英国が戦費調達のために植民地に重税を課したことが、1776年の米国独立宣言へとつながったと言われている。為政者にとっても税に関する政策を誤ると政治的に命取りになるのは今も変らない。

 ちなみに、戦後日本の税制の生みの親は米経済学者カール・サムナー・シャウプである。シャウプは1949年5月、税制使節団長として来日し、日本の税制の抜本的な改革を求めたいわゆる「シャウプ勧告」を行なった人物だ。所得税を中心とする法人税、富裕税、相続税など直接税の増税と資本蓄積のための減税でインフレを押さえ込み、中小企業を整理して大企業中心の日本経済発展の道筋をつくった。

 そこで忘れてはならないのは、シャウプの税に対する信条が「公平かつ簡潔」だったことだ。シャウプ勧告は現在に至るまで日本の税制の基盤となっているが、果して「公平と簡潔」というそもそもの精神は生かされているだろうか。

                                                                 (写真はForbes.com)


 

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