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「テレビゲームが私の息子を殺した」

 ずいぶん前になるが、取材でロンドン市内から車で1時間ほど走ったエセックスの町を訪れたことがある。目指す取材先を探すのに手間取り、到着したときはすっかり日が暮れてしまった。真冬の寒さにかじかんだ手をでドアをノックすると愛想の良いご夫婦と2人の息子さんたちが迎えてくれた。

 「この部屋ですよ」とご主人が案内してくれたのは玄関を入ってすぐ左側の子供部屋。

 「彼はここでゲームをした後、家の外へ出てすぐ倒れたんです」

 6畳ほどの子供部屋にはテレビがあり、その横に見慣れた日本製のテレビゲームがあった。もうおわかりの方もいると思うが、この時私が訪れたのは英国で14歳の少年がテレビゲームで遊んだ直後にてんかん発作を起こして死亡した現場だ。日本でも大きく報道され、テレビゲームとてんかん発作の因果関係や、メーカーの製造物責任などの問題を巡って議論が沸騰した。

 騒ぎの発端は英国の大衆紙が「テレビゲームが私の息子を殺した」という刺激的な見出しでこの少年のケースを報じたことからだった。しかしダイアナ妃報道を見てもよくわかるように英国のタブロイド紙は正確な事実関係よりもセンセーショナルな記事が売り物。したがって現地に足を運ぶまでこの記事について私は半信半疑だった。

 しかし、調べてみると、日本でもごく稀に強い光の刺激や点滅などによっててんかん発作が誘発されたケースが報告されていた。さらに、欧米向けのテレビゲームには「意識喪失などを引き起こす可能性がある」と明記された警告文が記載されていたのに、当時日本国内で販売されていた同じ製品にはそれが無かった事もわかった。企業優先で経済の発展を推し進めてきた日本で消費者保護がないがしろにされてきた例のひとつだった。

 取材中に驚かされたのは日本製テレビゲームの国境を越えた爆発的人気だった。亡くなった少年が通っていた中学校のクラスメートたちに話しを聞くと殆ど全員がテレビゲームで毎日遊んでいるという。「では読書は」と尋ねるとニヤニヤ。どうもテレビゲームをする時間はあっても本を読む時間はないらしい。シェークスピアの国でも若者の本離れは確実に進んでいると実感した。

 本嫌いの若者が増えているのは、ドーバー海峡を越えたフランスでも同じようだった。テレビ局の数が少なく、放映時間も短かったフランスではさぞかし読書家が多いのだろうと思っていたら、さに非ず。「読書の危機」と題された雑誌の記事によると、夜のひととき読書をするのは若者のうちたったの9%。残りの91%はテレビを観ているか音楽を聴いているか外出しているという。

 確かにこれだけオーディオビジュアル文化が発達してくると情報源としての書籍の地位は低下せざるを得ない。ニュースだって新聞よりテレビ(今ではスマホ)のほうが新しく手っ取り早い。

 しかしそれでも日本と比べると、私の印象では英国やフランスの子供たちの方が本を読んでいるように感じた。単に読んだ本の数だけではない。受験勉強でタイトルと著者名を丸暗記したり、問題集で小説やエッセイの一部分だけを切り取って読んでいる日本の子供たちと違って、彼らは本を内容をしっかりと理解し、感動する力をつけている。読んだ本について一端の議論も吹っかけてくる。

 そういう能動的な本の読み方が知的好奇心をくすぐり、読書の楽しみに繋がるわけだ。「本や新聞でずばりと的を射た言葉に出くわすと、精神的にも肉体的にも瞬時に高揚する」とトム・ソーヤの冒険でお馴染みのアメリカの作家マーク・トゥエインは書いている。一冊の本を余裕をもってゆっくりと読まないことにはこんな楽しみはなかなか得られない。

 我が家の息子も小学4年生頃からテレビゲームの虜になり、学校から帰るとすぐに2階の子供部屋に駆け上がりテレビ画面に向かってピコピコが始まった。中学に入ってからはパソコンゲームに移ったがその熱中度たるや他の何をやっているときよりも真剣だった。ただ幸いなことに、彼は小学生の頃から同時に『シャーロックホームズの冒険』や『三国志』も愛読していた。私が薦めた『リトルトリー』というチェロキーインディアン(今はネイティブ・アメリカンと呼ぶ)の自伝も面白がって読破していた。

 マンガの多さも日本が飛び抜けている。アメリカで生活していた時にあちらの小学生の生活に接する機会があったが、一般家庭ではかなり早い年齢からあまりマンガを読まなくなる。地域差はあるが、高校、大学の生徒になると文学やエッセイ、さらに授業に必要な文献を読むのが精一杯でマンガには目もくれない。

 一方、日本では小学生はもとより、中学、高校、大学そして社会人になってもマンガとは決別できず、ラッシュの電車の中でマンガ雑誌(最近はスマホ)を読むサラリーマンの姿が日常の光景になっている。かく言う私も大学生時代に『あしたのジョー』を読み耽っていたのだから偉そうなことはいえないのだが、公衆の面前でニヤニヤしながらセックスや暴力だらけのマンガを読んでいるサラリーマンの姿はいただけない。

 そんな大人が子供たち日本を読めといくら命令しても無理な話である。アメリカの作家ジェームズ・ボールドウィンはこう言っている。「子供はおとなの言うことをきくのは苦手だが、おとなの真似にかけては天才だ」

 ハイテク時代であっても、良書を自分のペースで読み、深く考える時間を持つことから得られる感動や無形の価値は一生の宝ものになる。






                                                    (写真はnewsweekjapan.com)



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