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高速道路を時速200キロ以上で走り抜ける快感

 時速200キロ以上で高速道路を疾走してきた。まさに快感。もう少しで空に舞い上がれるような感覚だった。そんなことをしたらスピード違反で即免停だろうと思われるかもしれないが、日本での経験ではない。

 南西ドイツの政治経済の中心地シュツットガルトを取材で訪れたときのことである。ご存じの方も多いと思うが、ドイツ国内は全長1万3000キロのアウトバーン、つまり「自動車の道」と呼ばれる高速道路網が巡らされている。そのうちの約60%が速度無制限区間になっているのだ。つまり、どんなに速く走っても法的に罰せられない。しかも通行料は大型商用車を除いて無料だ。

 一気にアクセルを踏み込むとたちまち時速200キロを超えるが、それでもさらに速い車が横を抜いていく。さぞかし整備が行き届いた路面なのだろうと思いきや、実際にはなんの変哲も無いコンクリートの道路である。高速で走るとアスファルトが熱で変形しやすいので使われていないのだそうだ。

 それよりもなによりも驚かされたのは、すべての自動車がマナーを守って整然と橋っていることである。日本のように追い越し車線をいつまでもノロノロと走っているドライバーはいない。不思議に思って地元の人に尋ねたところ、「ドイツでは煽り行為や不必要なクラクションは脅迫行為とみなされるのです」との答えが返ってきた。

 「自動車を発明した国」ドイツならではのモータリゼーションの成熟があった。以前から、ドイツ人は走行マナーがいいとの定評がある。そしてその素晴しいマナーの背景には厳しい罰則による規制もあるのである。

 実際に走ってみると、だいたい2車線だがところどころ3車線になっていて車線幅が日本よりも広く、カーブが緩やかで交通量も日本と比べて少ないから走りやすい。だから事故も国内死亡事故数のおよそ15%程度と案外少ないのだ。ただし、裁判所が「ドライバーの運転能力や自動車の性能を理解していない運転が事故原因」と判断した場合には、保険金が支払われなかったり罰金が課させることがる。つまり自己責任重視でもある。

 アウトバーンの歴史は1920年代のワイマール共和国時代まで遡る。しかし計画の大部分は財政的理由で手つかずになっていた。それを実現したのはナチス総統のアドルフ・ヒトラーだった。深刻な不況に陥ったドイツ経済復興政策の一環として世界で初めての高速道路ネットワークを完成させてのである。

 アウトバーン計画が軍事的目的と国民意識の高揚という政治的プロパガンダに利用されたことは誰の目にも明らかだ。第2次世界大戦中、独軍は連合軍の空襲を避けるためトンネルや森の中に航空機を隠し、アウトバーンを滑走路として利用した。もちろん戦車も走れるような頑丈な設計になっていた。

 それが今や欧州各国の高速道路と接続され、独国民の産業・生活の動脈となっているのは歴史上の皮肉ともいえるだろう。

 私がシュツットガルトを訪れた目的はダイムラー・ベンツ社の軌跡を現地で辿ることにあった。シュツットガルトは自動車発祥の地であり、ベンツやポルシェなど名車を生み出してきた。そしてその優れた走行性能と安全思想は元々が自動車の走行性能向上の為のわずか9キロのテストコースから始まったアウトバーンからきているのだ。

 ちなみに速度無制限区間でおける推奨スピードは時速130キロだが、私がみたかぎりでは大抵の車が150キロぐらいでは走っていた。その他の区間では自動速度違反取り締まり装置が取り付けられているから、全車減速する。

 蛇足ながら私は安全重視でずっとメルセデス派だ。


 

 

 

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