生きることのつくりかた

センセーショナルなことから距離を置いている。まるでドラマ「北の国から」の主人公の黒板五郎のような心境だ(苦笑)。劇中の五郎が放った「今、総理大臣は誰なんだい?」とか「小さくやるんだ。喜んでくれる人の声が聞こえるくらいに」なんていう台詞が心に残っている。総理大臣が誰かを知らないのは何も政治に興味が全くないというわけではない。国の行く末を案じて心に波風を立たすよりも、家族や仕事仲間や友人や後輩たちの暮らしを案じたい。身の丈を越えた大勢の方々に物を作ったり、大量に作ったりということが自分には大事ではないなあと思っている。会ったこともない知らない人の言葉も、自分には元々知らなくてよかったこととして片付ける。自分の子供たちが自分で自分の将来を悩める年齢にさしかかり、これから何を示していけるかを考えたとき、食べられる植物の話やその調理法、生き物のいただき方、川や山や海と人間の付き合い方、家のつくりかた、人を幸せにする物語、映画、音楽の話、人を元気にする言葉、宇宙と地球のこと、などなど、これまでにわか知識のままいい年になってきてしまったことに対して、これからの節々にどんな話をしてあげられるだろうかと思った時に、今の自分の周りには時間を消費してしまうだけの事が多くて整理が必要だと思っています。今これを体験しておかなくちゃ!と宣伝されるものから距離を置いて、何億年という月日の上に成り立っている物を知り、使い、ちっぽけな人生のなかにどのくらい愛を注げるかということに心を置いていたいと思っています。これからも映画をつくりたいし、写真も撮りたいし、音楽も楽しみたい、けれどそれはこれまでの自分の考えとは少し変わって語り継ぐことで人を幸せにする、という思いの中でつくりたい。そして、きちんと毎日を味わいたいし、自分の知恵は人に譲りたいと思う。