2019年度 武蔵野美術大学卒業制作表題集に寄せて

卒業制作を振り返り、評価するという立場ではなく一人の観客の目線でそれぞれの作品を見て思う。あ、綺麗だなあ、とか、面白いなあというフィーリングの感想はすぐに出てくる。純粋に入場無料の楽しい展覧会に来たように思える。しかし、時間が経つとじわじわと悶々とする気持ちが湧いてきた。オリジナリティとは何か、なぜデザインをするのかという根本的な疑問が脳裏をかすめる。それはきっと目の前の作品が未完成に感じられたからではないだろうか。すでに展示されているのだから完成に違いないのだけど、どうしても「惜しい!」という部分がある。この感想を各々に問い詰めたとしたら思い当たるフシはあるだろう。気分が乗らなくて手が止まったこと、意味もなくこれでいいのかと迷ったこと、作っている途中で飽きてしまって気が散ったこと、自分で設定したテーマが壮大すぎて手に負えなかったこと、サボったこと、など数えあげたらキリがないほど言い訳が出てくる。その見え隠れする小さな言い訳の断片が未完成な空気を作っていく。そして、我ながら頑張った、という気持ちがそれを許す。卒業制作を通して学んだことの一つがアイデアを形にすることの大変さだとしたら、このお祭り騒ぎが過ぎた頃に冷静に振り返って欲しい。自分の未完成を許した部分を今度は克服できるだろうか、と。ものづくりの話だけではなく、姿勢として、今後の生き方として、次はどうだろうか、と。今回は頑張ったのだとしたら、次は何で頑張れるか。そして、それは誰を幸せにするのかを。今回の記念碑的未完成作品には可能性と未来を感じた。未完成は必ずしもそれは完成していなくて満たしていないものではなく、何かに気が付くために残された痕跡のあるもの、のようだ。この未完成の記憶をこれからの気付きの指標のようにして大切にしてほしい。紛れもなく自分がジタバタして残したものでその価値は自分にしか分からないのだから。大学で学んだこととは人生観なのだろう。

(2019年度 武蔵野美術大学 基礎デザイン学科 卒業制作表題集に寄稿)

菱川勢一 武蔵野美術大学基礎デザイン学科教授