見出し画像

晴れた日に薫る風

皆さん、ゴールデンウィークはいかがお過ごしでしょう。

私は、なんとわずか1か月ほどで恋人と再会を果たしてしまい、心の中の火は明るく強く燃え、海は湖のように凪いでいる。

新緑のきらめく皐月を彼とともに過ごすのは2年ぶり。一昨年、私たちはコロナの影響で4月を過ぎても地元に残っていたので、この爽やかな季節を一緒に過ごすことができたのだ。晴れた午後に彼を誘って、外でシャボン玉を吹いて遊んだこと、昨日のことのように覚えている。

「大学生になってわざわざシャボン玉なんてするカップル、なかなかいないんじゃない?」と言いながら、彼は私の横でふうふう息を吹きかけては薄い七色の膜を膨らませていた。青空も新緑もシャボン玉も、にっこり笑う彼の微笑みも、見えるすべてがきらきらとまぶしかった。

そんなことを思い出しながら、数日前、彼が戻ってきたときに、「もしいつもこれくらいの頻度で会えるなら、遠距離恋愛なんてちょろいのにね」と私が言うと、彼は「そう?」と聞き返した後で、「確かにちょろいかもしれない」と満面の笑みで言っていた。

人は足りていないところに目が行ってしまいがちないきものだから、きっと1か月に1度会えるようになっても、私は不足なものを見つけては泣きたくなったりするのだろう。それを彼は分かっている。分かっていて微笑んでくれる。私の恋人はそういう人だ。

私は春から秋口までの季節が素晴らしく好きで、さらにこの若葉の季節は特に魅力的なので、彼に会えなくてもそれなりに元気な気持ちで過ごせる(冬ほどしょんぼりしてしまうことはない)。木々が芽吹き、花が咲き誇っている明るい晴れの時期に、かなしくなっているのはもったいない気がしてしまうのだ。

田んぼが新しい水をたたえ、誰かが草を刈っている匂いを風が運んでくる田舎のなんでもない風景が、20年かけて私をここまで成長させたから、その景色を目にするたび、薫風に包まれるたび、私は故郷を愛おしく思う。

そんな晴れた日に、好きな人と、これからしたいことの話をするのはとても楽しい。生きていくことをポジティブなものとして受け取れるし、元気が湧いてくる。夏休みになったら海に行きたいね、去年は行かなかったもんね、新緑の時期にいつかピクニックをしたいな、おにぎりとサンドイッチならどっちがいいかな、そろそろ夏祭りで大きな花火を見たいね、浴衣を着たらすてきだよね、などとふたりで語ること、それが私を明日へ繋いでくれる。

もしかしたら私は明日この世界にいないかもしれない。ひょっとすると彼の方がいなくなってしまうかもしれない。いつ何が起こるかは誰にも分からない。私は今夜眠りについたまま死を迎えるかもしれないし、明日、事故や事件に巻き込まれるかもしれない。病気になるかもしれない。

だからこそ、そういうことを頭の片隅に軽く置いて、今日死んでもいいように生きたいものだな。なかなかそううまくは生きられっこないけれども。忘れてしまうこともあるけれど。それはそれで幸福なことなのかもしれない。

彼は明日の夜に東京へ戻り、私たちは再び離れ離れになる。つかの間のゴールデンウィークだったけれど帰ってきてくれて嬉しかった、ありがとうとにこやかに言って、また次会うときの話をしようと思う。そうすればたぶん、私も彼も大抵のことはがんばれちゃうのだ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?