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まどろみ

「さびしい」という気持ちにはたくさんの種類があって、水のようになめらかかと思えば少し冷たかったり、火のように明るいと思えばじりじり胸を焦がしたりする。

きっとその感情の些細なちがいは夕やけ空のようにグラデーションになっているから、たくさんの種類を集めていけばさびしさの色見本帳が完成するかもしれない。

それはそれでたいそううつくしいだろうけれど、でもやっぱりよろこびの感情でその色見本帳を作りたいと思うのは、私がさびしいという感情を涙の味とか、胸がきゅっとなる痛みとしてとらえているからなのかな。

ここ最近、海を渡って吹いてくる風や、空を流れていく雲なんかが秋のそれになっていくのを感じている。

その気配を五感で受け取り、季節が少しずつ秋、そして冬へ向かっていることをぼんやりと憂いてしまう。決して秋や冬が憎いというわけではないのだけれども。恋人があと数日で東京へ戻ってしまうので、そのことも相まっているかもしれない。彼の夏休みは星のまばたきのように短い。

このお盆の間の3日は、いろいろあって私の実家に彼が泊まっていたのでとても愉快だった。数年ぶりにお祭りに繰り出したり(なんと彼は私の浴衣の写真を撮ってくれた!うれしそうに)、手持ち花火をしたり、妹たちと4人で買いものに出かけたり。

私は暇さえあれば野球を見ている彼の膝の上に頭を乗せて、何度もまどろんだ。好きなひとといると眠たくなってすぐ目を閉じてしまう。彼はテレビを見ながら私の髪に指をからめ、私は目を閉じてそれを思う、そのあまりに日常的なワンシーンに私はうっとりして、ただ彼の体温と匂いを感じていた。

夜もお酒を飲んでお布団の上で大笑いしながらじゃれていたら、いつの間にかふたりとも眠ってしまった。

私たちは実家ではともに眠ることを許可されていないので、自分の部屋に帰らなきゃ…という一心で懸命に目を覚まし、隣で眠っている彼に気付いたときのその満たされた心もちといったらたまらない。

寝ぼけて私の名前をむにゃむにゃ呼びながら、とてつもない力で身体を抱きしめにくる恋人の腕の中で、ああ、こういう時間のために私は普段、あのさびしさを胸のうちに飼って生きているのだなあ、と思ったりした。

そんなこんなで夏を楽しんでいるので軽くくたびれが出ているけれど、お昼寝でうまく逃しているおかげで夏風邪もひかず、片頭痛にもならずに過ごせている。

今日は夕方から雨が降り出して、今も雨粒が屋根を強くたたいている。

私は雨夜がすき、特に雨音を聴きながら眠るのは本当に豊かな時間だ。お布団にもぐりこんで耳をすませていると、雨の音は雨風吹き荒れる嵐の大洋で揺られている船に乗っているようなほどよいわくわく感と、ほんのちょっぴりの孤独を私にくれる。

眠りにつくまでどうか雨がやみませんようにとひたすら祈る。まどろみの波が私を夢にさらうまで、私がいるのは嵐の難破船の中なのだ。

そんな夜、さびしいとかかなしいとか、そういった感情は私にやさしく寄り添ってくれる。それらは私を傷つけるためではなく、守るためにあるのだと。そういう風に少しだけ信じることができる。

だから本のページを繰るようにそっと季節が移ろっても、それをおそれないでいようと思う。私の愛する世界は、私の愛する人々を連れて昼と夜を行き来する。冬はやがて春を連れて戻ってくるのだ。だからひとまず色彩の華やかな秋へゆっくり向かいましょう。

だけど夏よ、どうかもう少しだけそばにいてね。



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