サッカーから少しだけ離れる決意

春から高校3年生になる。高校の3年間は中学のときよりもあっというまだ。受験生という立場になるのは3年ぶり2度目。大学受験というのは苦しく辛く孤独で地獄のような日々だと聞く。しかしここは自分の人生の分かれ道だとも思う。1年で人生が変わる。もしそうならば1年くらいバカになってひたむきにがむしゃらに自分の趣味を絶って勉強というジャンルに真剣に向き合うべきだ。そして自分は4月1日からはDAZNも解約しJリーグ観戦から離れる決断をした。
たいした決断ではないように社会経験が多い方からは思われるかもしれないが未熟で若い自分にとってJリーグ、サッカー、から距離を置くということはかなり苦しい。本当にそんなことができるのか今でも不安だ。サッカー観戦は自分の生活でも中心にあってなくてはならない絶対的な存在なのだ。それが生き甲斐でもあるしそのために準備をして週末を迎えていた。それでも勉強のためにそこから離れる。勉強とは果たしてそれほど価値が高く必要不可欠なものなのだろうか。

自分の個人的な思いとしては知識を得ることは楽しいし理解することは面白い。知りたいと思うことは勉強していてワクワクするしそこまで苦痛ということはない。しかしこれが興味のないもの、例えば文系の自分からしたら数学や化学などの科目はこんな感情を抱かずただつまらなそうに勉強をせざるを得ない状況のなかで教科書を開く。
みなが自分みたいに好奇心で勉強をしているわけではない。テストのため、合格のための勉強をする人が大多数である。残念ながら受験勉強はまさにこれだ。哲学者のカントはこのことを仮言命法と呼び好奇心が引き起こす勉強を定言命法といった。しかしこの仮言命法が悪いとは思わない。人はある程度強制力がないと動かない。つまりやらされた勉強というものが少しずつ好奇心を引き出し知りたい感情を生み勉強したいというマインドで勉強ができるようになるのだと自分は信じている。

勉強論

これは方法の話だが勉強はまず理解をしないことには始まらない。その理解のためには知識が前提として必要であるが自分は知識に向かって勉強したいと思っていた。しかしそれではテストで全く効果を発揮しない。理解することはまず流れを掴むこと。歴史だったらなぜ起こってなにがあってどうなったのかという全体像がわかりそこから深堀りをしていくほうが出来事が理解できる。それが今につながることもある。そこが歴史の面白さでもある。一方で歴史はかなり複雑でセンシティブな内容のため各方面への配慮が必要になってしまう。だったら事実を淡々と述べそれを聞くのが正しい勉強ではあるがそれでは深く学ぶことはできず表面でしか理解できない。個人的に赤シートで単語を隠して1問1答は嫌いなのだがその理由は小手先でしか中身をわかっていないからだ。確かにテストでは役に立つだろうけど学びという観点からは物足りない。ほとんどの物事でそうだと思うがなにかをやり切るためには頭を使って考えながら行動しなくてはいけない。サッカーだって感覚でプレーしている選手はいつか限界がくるしプロとしてやっていけない。必ず壁にぶち当たる。俯瞰で物事を捉え今なにが起こっていてそれにどういうルートで対処するべきなのかを思考を巡らせ噛み砕き根幹の部分を発見しなくてはいけない。その訓練に勉強は最適なのだと思う。言われたように勉強をやらされていた僕はこういったことに気付けないまま高校生を迎えてしまった。自分よりもっと賢い人はなぜ勉強するのかということをたぶん中学受験のころには考えていたのだろう。ここで差が生まれてしまっている。受験には金銭的な差が大きくでる。塾はやっぱり教えることに優れているため通っている人とそうでない人はどうしても勉強の力や方法に大きな違いが出る。決して塾にいけば安泰ということではないが深く物事を考えられない人間は誰かに道しるべを示してもらったほうがいい。一方でなかには塾に行かず独力で自ら勉強法を考え戦略を練りテストで高得点を取る人もいる。そういった人は必ず将来優秀な人になるはずだ。思考力や表現力が問われる昨今ではこういった人材は多く必要とされる。言われたことを嫌々やらされる人間はそれまでだ。なぜ、どうしての問を自ら作りそれに自ら納得して答えを導ける人こそがどんな環境でも適応し求められる。そういった人間になるための大きな選別方法が勉強なのだと思うようになった。勉強をするというのはただ大学に合格するという目的のためだけにするわけではないのだ。

意思

受験は残酷だ。テストの点数でクラスが別れ言ってしまえば「できる人」と「できない人」で分けられる。このできるというのは決して人間性というわけではなくあくまで勉強のレベルの話なのだができない側にいる自分は圧倒的な劣等感を抱き自分を悲観し辛くなる。なぜか自分と戦わず他人と比較して苦しむ。自分自身との戦いは続く。志望校に合格するということに焦点を当てて勉強してしまうと落ちた時に自分は絶望を感じてしまうだろう。しかしその後も人生は続いていく。だから勉強に慣れて勉強の仕方を学んで楽しみながらやり切ることがこの1年間を過ごす意味なのではないかと思うようになった。僕の2022シーズンは3月いっぱいで終わり。2020シーズンからは制限があり本来のスタジアム観戦はできなかったし高校生のうちに高円宮杯を見に行きたかったし地域リーグだってもっとスタジアムに行きたかった。ほんの少しだけ後悔はあるがそれでもいろんなスタジアムに足を運び初めての地を踏んでみて新しい発見もありJリーグの魅力をより知ることができた。
予定では来年の2月から3月ごろまで受験勉強がかかると思うのでW杯も見れないだろうけど僕は歓声の戻ったスタジアムに必ず帰る。
必ず合格して戻ってくる