お粥生活

私は先輩っ子だ。中高の5年間、1つ上の部活の先輩らといるのが楽しかった。先輩方が高3になっても、朝の空き時間や昼休みは先輩とつるんでいることも多かった気がする。そんな先輩も1年先に卒業してしまう。
当時の恋人も1つ上だった。彼女と離れることは何ヶ月もかけて受け入れさせてきたつもりだ。しかし甘かった。彼女と距離が離れるダメージ?それもあっただろう。しかし、それよりも今まで頼ってきた先輩が誰一人として学校からいなくなるのだ。
心が参っていた時、散々甘えた私が言えるセリフでは無いのだが、後輩に甘えるというのは難しく、後輩にとっても負担であろう。甘えられる存在というのが極端に減った。
最初の異変は先輩らの卒業式の1週間前。一日中吐き気のようなものに襲われる。拒食気味な私は気持ち悪いんだしと食事を減らした。そして卒業式から数日後、吐いてしまった。これはまずいと思い、受診。ストレス性の逆流性食道炎と診断された。とりあえず1週間は気持ち悪さが続いたのもあり、お粥やうどんという別メニュー。これにする事で、食べないとバレるというのが加わり3食食べた。

ある程度落ち着いたGW。かかりつけ医の元で血液検査と胃カメラだった。まず採血で低血圧と貧血がたたり点滴という情けなさ。ピロリ菌がいることがわかる。胃カメラを飲むと、最初の診断通り逆流性食道炎とさらに十二指腸潰瘍がわかった。
ちなみにこの時ひと月で10キロ近く体重が減ったと思う。元々防医大目指していたから少しずつ筋力は着いていた。それが全部無くなったみたいなものだ。165センチで50キロをくだるのはヤバすぎる。
薬を飲んだりしながら、そしてカウンセリングを続けたり、昼休みに保健室で先生方とお話したりしてどうにか乗り切ったと思う。ただ、これで自衛隊制服組の超エリートコースは絶望的となる。
いい機会だと思い、やりたいことがないかと探し、親と激突し、終いには夢とは全く関係ない苦手な学部に浪人が嫌という理由のみで進む訳だがそれはまた別の話。
大学合格後は1度再発の気があったものの、どうにか持ち直し今は正常だ。

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