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ママだけじゃない|性教育はだれがするもの?その担い手問題について深夜2時に考える


こんにちは!みほです。

性教育を手探りで進める中で、ふと考えることがあります。
性教育は、だれが担い手になるのがいいのでしょうか?

一昔前であれば、「性教育は学校がするもの」とお考えになる方がほとんどだったのではないかと思います。
しかし今は、以前のように情報の入手経路が限られ、一方的に与えられる情報を鵜呑みにする時代ではありません。現在日本の小学校・中学校で行われている性教育について検証してみる必要があります。
そして、その実態はというと、性交すら教え「られ」ない「はどめ規定」の採用、一方、性交には触れぬままコンドームを教える矛盾などなど、もはや世界のスタンダードからは大きく外れているのが現状。
これでは果たして学校任せにしていて良いものなのか疑問を感じる方も多いのではないでしょうか。

その一方、アダルトビデオを含むゆがんだ性産業の世界観が街中の、インターネット上のそこら中でおいでおいでと手をこまねいている日本。つまり正しい性の情報にはアクセスが困難なのに、ピンク業界の情報がごく当たり前の顔をしてそばにいるという、とても危険な環境です。

そんな中、学校が行う性教育に期待ができないのであれば、本来伝えたい性教育を行うためには、家庭、ひいては親が実践するほかはありません。
そんな考えが広まり始めた、つまりわたしたち親の責務のひとつに「性教育」が加わったのは、言ってしまえば最近のこと。誰しもが性教育をどのように進めればいいかということに関しても手探りであるといえます。

ではいざ、家庭で性教育を進めると考えた時、それはママひとりが担うべきものなのでしょうか? それとも配偶者含め、周囲を巻き込んで進めるほうがいいもの?

これには絶対的な回答はないというのが、まず最初に間違えなく言えることです。各家庭、各親子の在り様があたりまえに多様化している時代。シングルのご家庭、ステップファミリー、同性パートナーのご家庭、二世帯住居である、あるいはパートナーが単身赴任中だというケースもあると思います。
それぞれの家庭のメンバーが我が子を守るためにできることを、と考えた時に、必要な要素のひとつが性教育。であれば、その時できる人ができることを、となるのはごく自然です。

ただ、私自身が配偶者との会話の中で、ふと感じたことがありました。それは女性の体で育ってきた私と、男性の体で育ってきた配偶者とでは、見えている世界がちがうということ。そして危険を感じるシーンや頻度ももおのずと異なるということ。
たとえば私はアラフォーのいまでも、夜道を一人で歩くときは「怖い」と感じますし、イヤホンをつけて歩くなどもってのほか、と考えています。対する配偶者は、夜道で怖さを感じることもないので、深夜のランニングもできるし、夜道だからイヤホンを外すなど考えもつかない、といったところ。それは悲しいかな、これまでどれだけ「怖い目にあってきたのか」「身を守るために意識を払わなければいけなかったか」ということの現れなのではないでしょうか。
でもだからこそ、「わが身を脅かされ、身を守ることを常としてきた」立場だからこそ、伝えられることがあります。夜道で気を付けるべきことはなにか、満員電車でとるべき行動はどうで、お酒を飲む場で注意を払うべきことはなんなのか。被害者側ばかりが努力することへのむなしさも感じますが、こういった、わが身で学び取ったからこそ伝えられること、それは、自分がどんな位置にいても(母であっても、ステップマザーであっても、叔母であっても・・)は積極的に伝えていく必要があると考えます。

もちろん、性被害者やあらゆる犯罪において、決して「被害者には非はないんだ」ということを添える必要もあるでしょう。
非はないのに、身を守るために一方的に努力をしなくてはならないこと、その矛盾をうまく伝える術は現在わたしもトライ&エラーの真っ最中です。

でもただひとえに、未来の悲しい思いをするこどもたちを減らしていくために、我が子を犯罪の被害者にしないために、性教育はこんな視点でも非常に重要だと考えています。


皆さんはどんなふうにお子さんに伝えていますかか? ぜひお気軽にコメント欄よりお聞かせください!

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