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硝子農家物語 -そもそも と あるある-

そもそも「硝子農家」って何やねん?

我々の業界あるあるですが、「ガラスをやってます」と自己紹介すると「あぁ、ガラス職人ですか」と言われます。

興味のない人には知らんがなランキング上位に入ってくること間違い無しですが、我々の業界「ガラス作家」と言う肩書きで多くの人間がやらせてもらってます。人によっては「ガラス造形家」や「ガラス屋」と少し幅をもたせたりもします。

では、「職人」と「作家」の違いとは?

差別ではなく本当の意味での区別ですが、職人は「他所からのアイデアに対して熟練した技術を専門として駆使し応える人」。作家は「基本的な技術と豊富なアイデアを軸に自分でなんとかしてカタチにしたモノを営業、販売まで行う人」かなと。勿論、両者ともに仕事での話なので、リスペクトと自信が複雑に折り重なった上で成り立っているのは言うまでもありません。

しかし、自分では好きなように言えるのが肩書き。職人と言えども技術の無い人は居ますし、作家と言えどもアイデアの無い人も居ます。アイデアがあるのに職人をやってる人もいれば、アイデアを出すのが苦手だから技術で作家をやっている人も居る。そう云うことです。

現在、僕は仕事の幅を狭めたくない気持ちで「ガラス屋」を名乗っています。

これもあるあるなんですが、「ガラス作家」と名乗ると「ああ、芸術家さん」と言われるのが本当に、本当に嫌でして。。。言ってる方は褒め言葉のつもりだと思うんですが、芸術家ではないんです。作品とも言えるけど気軽に手に取ってもらえる商品でありたい。ただし、作るモノは芸術でなくても活動自体はアートでありたいなと。あくまで町工場のおっさんくらいの立ち位置で居たいなぁと思うのです。我儘ですんません。

来年末に建設予定のガラス工房は、妻の実家の土地で、減反政策など時代の流れで使われなくなった休耕している土地に建てるのですが、その周りには今も(かろうじて今は?)田んぼが広がっています。義実家も専業農家ではないので他に仕事をしながら自分たちが食べるためだけの米を作っています。

妻は兄2人の3兄弟の末っ子です。これも現代あるあるですが、仕事の都合で長男だから男だからと実家を継いで両親の面倒を看ると言うのも容易では無いのは皆さんご理解いただけるでしょう。僕はと云えば2兄弟の末っ子次男。実家は大阪にありますが、兄は仕事の都合っで博多に家を買って生活しています。では僕が大阪の実家の家を継いでガラス制作したらいいじゃ無いかと思われるかもしれませんが、この10年ほどで非常に長く暑い夏が当たり前にな理、何ならまだまだ年々気温も上昇中の大阪で、更に灼熱のガラス工房を経営していくなんて、どMの人にはいいかもしれませんが、どSの僕に取っては拷問以外の何物でもありません。今はまだ夏休みの中学の部活みたいに汗だくの全身ビチョビチョになりながらでも作業できるかもしれませんが、10年後、20年後のことを想像すると1年の1/3くらいはまともに作業できないくらいの気温になっているだろうと。東北辺りでもその頃には大分作業もし辛い気温になっているのではなかろうかと。

たまたま妻が岩手の出身で、今後使われる予定のない土地があり、そこにガラス工房を建てたい人間が居た。そしてそれを喜んで歓迎してくれる人たちが居た。すべてが偶然のようですが、必然のようにも感じます。

勘の良い人にはそろそろ気付いてもらえたと思いますが、「ガラス農家」は造語というほどでもなく、「作家と農家を両立させて活動していきます」と言う気持ちを込めてます。ガラスも農業もまず土地がないとやっていけません。同じ土地で農業もやりつつ、何も無いところに工房を建て、自分の技術や経験を耕していくという部分ではガラスも農業も精神性においては同じようなものだなと。

「ガラス作家」ではなく「ガラス農家」。

工房も「Glass studio」ではなく「Glass Farm」。

では、どんなガラスを作るのか、どんな農作物を作るのか。頭の固い人からするとこれだけ前振りがあってもツッコミどころ満載だと思いますが、皆さんを楽しませる準備はできてます。この先10年分は僕の頭の中に壮大なプランが広がってますので、しばらくそれは内々に。

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