【テキスト版】巻3(18)法皇被流【スキマ平家】

前回までのあらすじ
後白河法皇に対して不満を募らせる清盛は、まず朝廷の重臣たちを次々と左遷していきます。反面、自分の気に入った貴族には破格の待遇を与えるという行動を取っています。

11月の末、後白河法皇の御所を兵が包囲した。平治の乱の時、藤原信頼が、当時の法皇の御所だった三条のお邸にしたのと同じように、火を放たれるのではないかと、女房や女童たちは物も持たずに逃げ出す。

清盛の次男で右大将の平宗盛が車を寄せて「お早く、お早く」と後白河法皇を促すと、法皇は驚いた様子で「成親や俊寛のように遙か彼方の島へでも流すつもりか。朕は咎を受けるようなことはしておらぬ。高倉天皇があんな風でいらっしゃるから、仕方なく政治に口出しをしているだけじゃ。それも駄目だというなら、これからはしないようにするから」と言うが、宗盛は「そういうことではございません。ちょっと世間が収まるまで鳥羽の方にお移りになられた方がよかろうと父清盛が申しておりますので」と言う。「それなら宗盛も一緒に鳥羽について参れ」と法皇が言うが、宗盛は清盛の顔色ばかりうかがってお供することもしない。

「ああ、こういうところを見ても、亡くなった長男重盛とは比べものにならないほど劣っている男だなあ。一年前に似たようなことがあった時、重盛は自分の身を盾にしてわたしを守ってくれたのに。重盛がいたからわたしは今まで安心しておられたのだ。もう誰も清盛を諫める者がいなくなったから、こんなひどい振る舞いをするのだ。平家の行く末も長くはない」と後白河法皇は涙を止めることができないのだった。

法皇が車に乗られた時、公卿も殿上人も誰もお供をしなかった。北面の武士がひとり付き添うばかりである。車の後ろには尼御前が一人乗られた。この尼御前というのは。法皇の乳母のことである。

七条大路を西へ、朱雀大路を南へと向かう。「ああ、法皇がお流されになるぞ」と身分の低い者までも皆涙を流す。先日の大地震もきっとこの事件の前触れだったのだろう、と人々は口々に言い合うのだった。

そうして鳥羽のお邸に移った後白河法皇だが、御前には誰もいない。食事を司る男が一人控えていたので、それを呼び「朕は遠からず殺されるような気がする。ところで、行水をしたいのだが、どうすればよいか」と尋ねる。男は今朝からずっと気が動転していたが、声をかけられたありがたさに、狩衣にたすき掛けをして釜に水を汲み、垣根の小枝を折って湯を沸かして奉るのだった。

信西の息子で後白河法皇の近くに仕えていた静憲法印は、清盛の邸に出向き、「昨夜、後白河法皇が鳥羽にお入りになりましたが、御前には誰もいなかったと聞きました。ひどいことだと思っております。わたくしだけでも法皇のもとに参りたいと思いますが差し支えはございますまいな」と言うと、清盛は「そなたは間違いを犯す人ではない。お急ぎなされ」と許可するのだった。

静憲法印はたいへん喜び、急いで鳥羽の邸に参上すると、法皇は読経のさなかだった。その声が格別すさまじく感じられ、見ると法皇の涙がお経の本にはらはらとこぼれている。静憲法印はあまりの悲しさに袖を顔に押し当てておそばに参るのだった。

法皇に付き添っていた尼御前が
「これは静憲さま。法皇さまは昨日の朝食事をされてからは昨夜も今朝も何も召し上がっておらず、夜も休んでおられないご様子。このままではお命にかかわると心配しております」と言う。

静憲法印は涙をこらえつつ「どんなものでも限りはあるもの。平家も世に君臨して二十余年、しかし悪行の度が過ぎて滅びようとしております。そのような折りに、天照大神や正八幡宮がどうして法皇をお見捨てになりましょうか。とりわけ法皇の頼りになさっている日吉山王七社は、必ずや法皇をお守りくださるに違いありません。そうすれば法皇が政治をなさる時代となり、悪いやつらは水の泡のように消え失せるでしょう」と申し上げる。法皇もその言葉に少し安心したようである。

高倉天皇は、関白基房公が流され、臣下も多く滅ぼされてしまったことを嘆いておられたが、今また後白河法皇が鳥羽に行ってしまったことを聞き、まったく食事も取らず、病だと言ってずっと寝所から出てこなくなってしまった。お仕えする女房たちも中宮もどうしてよいかわからなかった。

二条天皇は「天子に父母無し」といつも父である後白河法皇に口答えなさっていたせいか、跡継ぎの皇子もおられなかった。その跡継ぎの六条天皇も13歳でお亡くなりになった。その後に立たれたのが二条天皇の弟であり後白河法皇の息子である高倉天皇である。

【次回予告】
巻3最終章。頼りにしていた父後白河法皇が鳥羽に幽閉され、高倉天皇は嘆き悲しみます。その悲嘆の様子が描かれます。


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