【テキスト版】巻3(10)飆 (11)医師問答

前回のあらすじ
鬼界島に一人残された俊寛に、古くからの召使・有王が決死で会いに行きます。有王から妻と子どもの死を聞かされた俊寛は食事を絶ちそのまま亡くなるのでした。

俊寛が亡くなった同じ年の五月、京には猛烈なつむじ風が吹き、多くの人家が倒壊した。風は南西の方角へ吹いてゆき、柱や屋根の材木が宙を舞った。檜皮や板葺きの屋根などは、冬の風に木の葉が舞うようだった。鳴り響く風の音は地獄の風すらこれほどではないだろうと思われるほどだった。命を落とす者も多く、牛や馬は数知れぬほど叩きつけられて死んでしまった。

これはただ事ではない、と占わせたところ、「これから百日以内に、大臣に慎むべきことが起き、また、天下の一大事が起き、戦乱が続くだろう」と、神祇官も陰陽師も同じ結果を報告するのだった。

重盛はそのようなことがあったので熊野詣をすることにした。本宮の前で夜通し神に向かって「父清盛の様子を見ると、ともすれば法皇さまや帝をも悩ませることが多く、わたくしは長男として頻りに諫めてもおりますが、至らぬ者ゆえなかなか聞き入れてくれません。その振る舞いを見ておりますと、父一代の栄華すら危うく思っております。そこでわたくしは、不肖ながらこう考えております」と語りはじめる。

「どうか平家一門、子孫までの繁栄が途絶えず、朝廷に仕えていられるよう、父の悪い心を和らげ、天下を安泰にしてください。もし、栄華が父一代のもので、子孫たちが恥を受けることになるのなら、どうかこの重盛の命を縮めてでも来世の苦しみからお救いください。」

そう精魂込めて祈っていると、重盛の体から、灯籠の火のようなものが出て、ふっと消えるように見えなくなった。たくさんの人々がそれを見ていたが、誰も恐れて、何も言うことはなかった。

重盛が熊野から戻る途中、重盛の長男維盛と公達が川で水遊びをしていた。その時、熊野詣のための衣が濡れて下の衣が透けて、まるで喪服のように見えるのだった。それを見ていた家臣の一人が「とても不吉な気がするので、着替えていただこう」というと、重盛は「ああ、私の願いがもう聞き届けられたのだな。着替えさせてはならぬ」と言うのだった。そして、不思議なことに、この公達は、ほどなくして本当の喪服を着ることになるのである。

重盛は熊野から戻って何日も経たないうちに病を得て寝付いてしまった。しかし、「熊野権現が願いをお聞き届けくださったのだ」と治療も祈祷もしないのだった。

心配した清盛は、ちょうど宋の国から名医が来ていたので、使いの者を重盛のところにやり、治療を受けることを勧めた。重盛は使いの者に言う。

「父上には『謹んで承りました』と伝えよ。しかし、お前もよく聞いてくれ。醍醐天皇はあれほどの名君であられたが、異国の人相占い師を京に入れられたことをずっと悔やんでおられた。まして重盛ふぜいが異国の医師を京に入れるということは国の恥ではないか。

漢の高祖は武力に長けていて天下を治めたが、流れ矢にあたって負傷した。高祖は『わが守護神が強かった時は、合戦で負傷しても痛みすら感じなかった。これは運が尽きたのだ。天の定めだ』と治療をしなかったという。わたしは分不相応にも大臣の地位をいただいたが、その運命は天が司っている。天の心を察することもせず治療など受けてよいものか。この病が前世の報いなら、治療しても無意味だし、前世の業でなければ治療せずとも助かるだろう。

釈尊が入滅された時にも、弟子の名医がそばについていた。前世の報いが医療によって治るのなら、なぜ釈尊は入滅したのか。

そしてまた、万が一にでもその宋国の医者の腕で延命できたとしたら、我が国の医術はないに等しいという証明になってしまう。延命できないとすれば、会っても無駄だ。とりわけ、我が国の大臣であるわたしが、異国からたまたまやってきた者に会うなど、国の恥であるし、政治の道の衰退にも繋がる。たとえそれで死んだとしても、国の恥を思う気持ちは父上にはわかってほしい、と伝えよ」

使者からこのことを聞いた清盛は、「国の恥を思う大臣など、今まで聞いたこともない。後世にも現れることはないだろう。そんな、日本にふさわしからぬ大臣なのだから、死んでしまうに違いない」と急いで福原から重盛の住む京へと上るのだった。

8月の初め、重盛はついに亡くなった。43歳だった。人生の盛りだったのに哀れなことである。清盛がどれほど横暴にふるまっても、重盛があれこれと宥められたが故に、今まで世の中は平穏だったのだ。「明日から世の中はどうなってしまうのか」と人々は嘆き合うのだった。弟宗盛の側近の者たちは「これから宗盛殿の時代がやってくる」と喜びあっている。

愚かな子でも先立たれるのは悲しいものなのに、まして重盛は平家の棟梁であり、当代きっての賢人でもあったので、清盛の悲しみははかりしれなかった。重盛には品格があり、忠孝の心があり、才能・技芸に優れ、その言葉は常に徳を備えていた。

【次回予告】
重盛という人の周りで起きてきた不思議な話や徳の高かった行いなどが次々と語られます。


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