【テキスト版】巻3(5)大塔建立(6)頼豪

前回のあらすじ
中宮徳子は無事に男の子を出産した。清盛は声を上げて泣いて喜ぶのだった。


懸命の祈祷により願いが叶ったとのことで、各寺院に褒美が下された。
やがて日が過ぎたので、中宮徳子は六波羅から内裏に戻った。わが娘が后となり、皇子を産んだので、即位すれば外祖父である。清盛はずっとそれを厳島神社に祈ってきた。

平家が安芸の厳島をこれほどまでに厚く信仰するようになったいきさつは、まだ清盛が安芸守だった頃のことである。安芸国からの収入で高野山の大塔を修理することにしたのだった。

六年後、修理が終わった高野山に清盛は参り、大塔を拝んだのち奥の院に進むと、髪も眉も白く、額にしわのある老僧が、どこからともなく現れた。その老僧が「この高野山は昔から真言密教を伝えて途切れたことがありません。天下無双の山です。大塔の修理も終わり、何も言うことはありません。そこでですが、越前の気比宮と安芸の厳島はそれぞれ金剛界・胎蔵界の化身にもかかわらず、気比宮は栄える一方、厳島は荒れ果てております。ぜひとも帝にお願いして修理を始めてください。そうすれば、あなたは天下に並ぶ人のないほど昇進なさるでしょう」と言って去って行った。


この老僧の立っていたところには何とも言えないよい香りが残っていたので、後を追わせたが、かき消すように姿が見えなくなったのだという。

「普通の人間ではない。弘法大師さまだったのだ」とありがたく思い、高野山の金堂に曼荼羅を描いたのだが、その時何を思ったのか清盛は自分の頭を切り、流れた血で宝冠を描いたという。

その後京に戻って鳥羽上皇にこの話をすると、感動されたという。そこで任期を延ばして厳島を修理したのだった。鳥居を建て替え、いくつもの社殿を造りかえ、百八十間の回廊も造った。

修理が終わって清盛が厳島に参った時、夢に天人が現れ、「そなたはこの剣で天皇家を警護せよ」と銀の小長刀を渡すのだった。清盛は目が覚めてあたりを見回してみると、枕元に銀の小長刀が立てかけてあった。そして「ただし、悪行があったときには、繁栄は子孫までは及ぶことはないぞ」というお告げもあったのだった。ありがたいことである。

昔、白河上皇の時代、藤原師実の娘が后になられたことがあった。白河上皇は三井寺の頼豪という僧に、皇子が生まれることを祈願させた。「もしこの願いが成就すれば望むとおりの褒美をやろう」と。頼豪は三井寺に戻って百日間精魂を振り絞って祈った。すると中宮はまもなく懐妊し、安産で皇子が誕生したのだった。

白河上皇は大変喜んで、頼豪を内裏に呼んで、その願いを聞く。頼豪は「三井寺に授戒の場を建立したく存じます」と願い出る。白河上皇はおどろいて、「位を飛び越して僧正になりたいとでも申すのかと思っておったが、それは思いがけない望みである。しかし、今、そちの望みを叶えれば、延暦寺が怒って世の中が乱れてしまう。すまぬがその願いは聞けぬ」と答える。

頼豪は「ああ悔しい!」と三井寺に走り戻って、断食し、餓死しようとするのだった。

白河上皇は驚いて使いを送り、なだめようとするが、頼豪は恐ろしげな声で「帝は戯れにはものを言わぬもの。この程度の望みも叶わないのなら、どうせ私が祈って誕生させた皇子だ、私が奪って魔道へお連れする」と言ったきり、ついに餓死してしまった。

そのうちに皇子が病の床についてしまう。さまざまな祈祷をおこなったが、まったく回復しない。皇子の枕元に白髪の老僧が錫杖をついて佇んでいるのを何人もの人が見たという。おそろしいなどというどころではない。

結局皇子は4歳で亡くなってしまった。

白河上皇はひどく嘆いて、延暦寺の僧を呼び相談する。延暦寺の僧は「このようなことは延暦寺にお任せください。たやすいことでございます」と延暦寺に戻り、百日間祈ると、中宮は懐妊、安産で皇子が生まれたのだった。この皇子が堀河天皇である。

怨霊というのは昔からこのようにおそろしいものだった。今回、あれほどめでたいお産にあたって、俊寛僧都ひとりが恩赦を受けられなかったのは本当にひどいことだった。

【次回予告】
いよいよ赦免された藤原成経と平康頼が京に戻ってきます。














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