とてつもない人

師匠は見事におばあさんになっておられました。背中が曲がって、足がよぼよぼして、手も震えてて。

10年前までは数キロの早朝ウォーキングを欠かさない人だったんだけど、こけて骨折してからは外出しなくなって、今ではほとんど外に出ることもないという。

「あちゃ~」と思ったし、なんなら久闊を叙して早々においとましようかとも一瞬思ったんだけど、「10年ぶりに歌を詠みました」と原稿を見せると、10年の年月が吹っ飛んだ。

曲がった背中は、椅子に座ってテーブルの上の本を読んだり原稿を書いたりするために曲がった姿勢。なので、何の不自然もなく原稿に目をとおす。

小さい声で読み上げて「うーん、ここの『や』が要らないわね。問いかけてちゃダメよ。自信を持って言い切らないと」とにっこりと私の目を見る。

私は10年もそれ以上も前のひよっこに戻って「あ、はい…でも自信というほどのものがまだなくて…」と言い訳をする。師匠は笑って「うたが気持ちを作ってくれるのよ。うたと作者がなあなあになって慰め合ってちゃダメ。自信がないなあと思っても、自信があるように言い切ってしまうの。そうすればうたに引っ張られて自信が出てくるんだから」と。

そうだった。成長してないなあ、私。

たくさん添削していただいた。私と、一緒に行った夫さんの短歌と計10首あまり。3時間の真剣勝負。91歳になろうとする、足がよぼよぼのおばあさんが、3時間ぶっ通しで短歌と向き合って、「この助詞は…」とか「この表現は…」とか一語一語丁寧に拾い上げては、鮮やかに料理してくださってる。

(具体的な添削や話の中身は短歌アカの方に)

3時間があっという間に過ぎ、彼女はひとこと「あーたのしかった」と。

何なんだろう。私はとてつもない人と出会うことができたんだなあと再認識した。

このとてつもない人は、自分の夫さんが亡くなる直前、神様に祈ったんだそう。「神様、私のすべてを捧げますから、この人をもうしばらく生かしてください」と。そして、その祈りを心で唱えた直後に「あ、神様、ちょっと待ってください!すべてと言いましたが、短歌だけは残しておいてください!短歌以外のすべてを捧げます!」と唱えなおしたんだそう。

ケラケラ笑いながら「バカでしょ。神様に『ちょっと待ってください!』なんてねえ」とそんな話を昔してくださったことがある。神様は彼女に短歌を残してくれたんだなあと思う。

ついでに亡くなった夫さんもすごい人で、ほんとうに今わの際に、酸素マスクを外してもらって彼女に告げた最期の言葉が、

「あのね、芸術はね、飛翔だよ」

ってもうね。なんて素敵な夫婦なんだろうと思ってしまう。そして、なんて稀有な夫婦なのかとも思ってしまう。

こんなとてつもない人に出会えたのだから、言葉にも短歌にも真剣に向き合っていかなきゃいけないなと、つくづく思ったのでした。


いやあ、脳みそ疲れたw素晴らしい時間だった。



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