【テキスト版】巻3(17)行隆沙汰【スキマ平家】

前回のあらすじ
清盛は、かねてから計画していたとおり、公卿たち40人余りを左遷・更迭し、自分の身近な人間を政治の中枢に置いてゆきます

流罪となった前の関白藤原基房に仕えていた中に大江遠成という者がいた。この者も、平家によく思われておらず、捕まってしまうのも時間の問題だと見られていたので、息子を連れて南の方に落ち延びようとした。

京のはずれ、稲荷山まで来た時、父と子は馬から下り話し合う。
「ここから東国を目指し、源頼朝どのを頼ろうと思ったが、頼朝殿も謹慎の身で自分のことで精一杯だろう。この日本中、どこに行っても平家の土地なのだから、やはり引き返そう。清盛どのから呼び出しがあれば、その時は邸を焼き払い、腹を搔き切って死のう」

邸に戻ると、思ったとおり平家の大群が押し寄せてきた。そして邸に火を放ったので、大江遠成父子は腹を搔き切って、炎の中で焼け死ぬのだった。

そもそもは、流罪となった前の関白藤原基房どのの子、藤原師家どのと、今の関白藤原基通どのとの中納言の地位争いが発端。ならば基房どのおひとりだけがひどい目に遭われれば済む話が、40人余りもの人々が巻き添えを食らったのだから道理に合わない。

もっとも、清盛入道の心に天魔が入り込んで、何事につけても腹に据えかねておられるのだという噂も流れ、これだけでは済まないのではないかと京じゅうが騒ぎになるのだった。

その頃、亡くなった藤原顕時中納言の長男で行隆卿という人がいた。かつては太政官にもなった立派な人だが、二条天皇が亡くなった時に職を解かれて以来ここ十数年は職もなく、衣替えも出来ないし朝夕の食事にも困るほどの生活になっていた。すっかり世間からも忘れ去られていた時に、清盛がこの行隆卿に使いを送り「必ずお立ちよりください。お話があります」という。行隆卿は「この十数年は政治にも関わっていないのだから、これはきっと誰かがあらぬことを清盛殿に告げ口し、私を殺そうとしているのだ」とひどく恐れ、うろたえるのだった。北の方をはじめ、女房たちも嘆き悲しむのだった。

清盛からは何度も使者が来る。行隆卿は「とにかく出向かなければどうにもならぬ」と清盛の邸に向かう。すると、清盛はすぐに出てきて「そなたの父藤原顕時どのとわたしはいろんなことを語り合った間柄。そんな縁のあるあなたが長年職にもつけずにおられることを気の毒に思っておりました。どうかもう一度朝廷にお戻りください」と言うのだった。

そして、その後すぐに荘園の権利書や出仕に必要な家来や牛車に至るまですべてを整えて与えられた。当座の生活に必要な絹や米や金までもおくられたので、行隆は「これは夢ではないのか」と驚くしかない。今年51歳になる行隆だったが、見違えるように若返ったのだった。

【次回予告】
ついに清盛は後白河法皇を鳥羽に監禁してしまいます。





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