【テキスト版】巻2(2)一行【スキマ平家】

山を下りた比叡山の大衆たちは日吉神社で、また相談を始める。

「何よりも、粟津まで行って明雲座主を奪いかえそうではないか」
「しかし、検非違使たちがついているので、簡単にはいかぬぞ」
「日吉山王大師のお力におすがりするほかなかろう」

「ここでこそ我らにその霊験をお見せください」
と、老僧たちが一心に祈りはじめると、ある僧についてきていた18歳になる童が急に苦しみはじめ、汗びっしょりになって何かに乗り移られたような状態になり、
「いかに末代といえども、どうして我が比叡山の座主をよその国へ移してよいものか。そのようなことになるなら、われがこの日吉山にいても意味がないではないか」
と袖を顔に押し当ててさめざめと泣き始めた。

大衆たちはそれを怪しんでいるので、老僧が、
「本当に日吉山王権現のお告げならば、我らがお渡しする数珠をひとつひとつ持ち主にお返しください」
と、四、五百人ばかりの持っている数珠を集め、日吉神社の境内の床に放り投げる。すると、この童が走り回ってそれを拾い集め、一つも間違えることなく持ち主に返したのだった。大衆たちはみな合掌し、涙を流して喜ぶのだった。

「日吉権現がそう言われるのなら、明雲座主を奪い返しに行こうではないか!」
と言うや否や、みんな一斉に飛びだして行くのだった。浜を歩き続ける者、船を押し出だす者、そのあまりの勢いに、あれほど厳重そうだった検非違使たちはみんな逃げ出してしまった。

明雲座主は驚いて、
「法皇さまの命によって追放される者には日や月の光さえも当たらないと聞く。ましてや、法皇さまはことのほかお怒りなのだから、のんびりしている場合ではない。お前たちもすぐに山に戻りなさい」
と言う。しかし、奪還の意志の固い大衆を前に
「わたしには、やましいところは少しもない。無実の罪によって流罪という罰を受けてはいるが、わたしは、この世界も、人も、神も仏も恨むことはしない。こんなところまで来てくれたみなの心には、どう感謝していいかわからないほどだ」
と涙を流すのだった。

大衆も涙を流しながら、輿をそばに寄せ
「急いでお乗りください」
と言えば、明雲座主は、
「昔は三千衆徒の座主であったが、今はこのような流罪の身。どうして担がれて行くことができようか。みなと同じように歩いて行きます」
と輿に乗ろうとしない。

大衆の中に、祐慶という荒法師がいた。身長は2メートルを超えるような大男。白柄の長刀を杖にして明雲座主の前に出てくると、かっと目を見開いて座主をしばらく睨みつけ、
「そのような御心だから、このような目にお遭いになるのです。さあ、早くお乗りください」
と言うのだった。明雲座主も恐ろしく思って、急いで輿に乗ったのである。

大衆は、座主を奪還できた嬉しさに、みんなで輿を交代しながら担いだが、祐慶だけはずっと輿の前を担ぎ、険しい坂も平地を行くように歩いて行くのだった。

延暦寺東塔の大講堂まで戻ってくると、大衆たちはまた話し合いを始めた。cut
「さて、我らはこうして明雲座主を奪還したが、職を解かれ流罪となった方を再び座主とするのは、何かおとがめがあるだろうか」

祐慶が進み出でて
「そもそもこの比叡山はわが国無双の霊地。鎮護国家の道場でもある。明雲座主はこの比叡山の師である。無実の罪を着せられたことは、比叡山だけでなく京の人々も憤慨するところであり、奈良興福寺などに笑われることでもある。この祐慶、首謀者と名指しされ、投獄され、流罪にされ、首を刎ねられようと、それは今生の面目、冥途の土産。とがめなど恐るるに足りませぬ」
と涙をほろほろと流すのだった。それを見た数千の大衆も声を揃えて賛同した。

昔、唐の国の一行禅師という僧は、玄宗皇帝のお付きの僧侶だったが、后の楊貴妃との仲を疑われ、トカラ国へ流されたという。その時に通らされた道は、七日七夜の間、日の光、月の明かりのない道だった。真っ暗で人もおらず、森は鬱蒼として山は深い。ただ谷間に時折鳥の声がするだけの道である。無実の罪によってこのような酷い目にあった一行禅師をお天道さまが憐れみ、九曜の星の形を現わして守られたという。一行禅師は、それを有難く思い、右の指を食いちぎり、その血で左の袂に九曜の形を書き写した。これが真言宗の本尊、九曜曼荼羅である。

【次回予告】

鹿谷での平家打倒の陰謀を、多田行綱が清盛に密告してしまいます。



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