【テキスト版】巻2(11)徳大寺厳島詣【スキマ平家】
前回までのあらすじ
鹿谷で平家討伐の陰謀を企てていた藤原成親はついに流された先で殺されてしまいました。その長男成経や俊寛僧都は鬼界島という遠い島に流罪となりました。
さて、徳大寺実定という人は、清盛の次男宗盛に追い抜かれて大将になられ、しばらくは世の中の動きを見ようと大納言を辞職して籠っておられたが、出家の意思を固めていた。
それを聞いた使用人たちは嘆き悲しみ合っていたが、その中に藤原重兼という男がいた。この男、何をさせても気が利いているのだが、ある月の夜、徳大寺実定が月に詩を口ずさんでいるところにやってきた。「誰じゃ」「重兼でございます」「こんな夜遅くどうした」「今宵は月がうつくしいので、心が澄みわたるような気がしてふらふらと参りました」
実定卿は「それは良い心がけだ。わたしも今夜はすることもなく退屈をしておったのだ」と言う。
しばらくの間とりとめのない話などするうちに、実定卿は「つらつらと平家の栄える様子を見ていると、清盛どのの長男重盛どの、次男宗盛どのが並んで左右の大将の座についている。やがては三男知盛どのや孫の維盛どのも次々と位に就くということになれば、平家以外の人々はいつまでたっても位に就けるとは思えない。ならば出家などいつかはするものなのだから、今出家しようと思うのだ」と言う。
重兼は涙を流して「実定さまがご出家なされば、お仕え申し上げております多くの者たちが路頭に迷うことになります。わたくしどもが一つ思いついたことがございます」と話し始める。
「安芸の厳島を平家の人々は深く信仰しておられます。なので厳島神社にお参りなさいませ。あそこの社には内侍という美しい舞姫たちがたくさんおられるので、はるばる京からお参りになれば珍しがってもてなしてくれるでしょう。そこで『何をお祈りに来られたのですか?』と聞かれたら、今思っておられるそのことをお話しください。そうして七日ばかりお籠りになって、こちらにお戻りになるときに内侍を二人ほど連れてお帰りください。そうすれば彼女たちは必ず清盛さまの邸に挨拶に行きます。清盛さまから『何ごとがあって京に戻ってきたか』と聞かれた内侍たちは、実定さまのことを話すでしょう。清盛さまは感情の豊かな方なので、わざわざ京から厳島までお参りなさったということに、きっと感動なさるでしょう。」
徳大寺実定卿は「それは思いつきもしなかった。それなら、すぐにお参りしよう」と、厳島に向けて出発するのだった。
本当に美しい舞姫たちがたくさんいた。「わが厳島神社には、平家の方々はお参りになりますが、珍しい方がお越しになられました」と内侍たちが十数人集まって、夜昼となくもてなすのだった。そして内侍たちは「何のお祈りにいらしたのですか」と聞く。実定卿は「大将の地位を人に越されてしまったので、私もいつか大将の座に就けるようお祈りに参ったのじゃ」と答える。
七日が過ぎ、内侍たちが用意した船で京に向けて出発することになった時、実定卿は「名残惜しいので一緒に参ろう」と内侍たちを京に連れて戻った。そして自分の邸であれこれともてなし、土産も持たせて帰らせた。
内侍たちは「せっかく京にのぼったのだから、清盛さまにご挨拶を」と清盛の邸に向かう。清盛は「はて、内侍たちは何用があって京に参ったのだ」と訊ねる。内侍たちは「徳大寺実定卿が厳島にお参りになり、名残惜しいのでとここまで連れて戻られました」と言う。清盛が「実定は何の祈願で厳島に参ったのか」と聞くと「大将の地位を人に越されたので、自分もいつか大将の位に就けるようにとお祈りされたそうです」と答える。
清盛は「都には霊験あらたかな神仏がおられるのに、それを差し置いてはるばる厳島まで参詣されたとは殊勝な心掛けだ。それほど懸命に望んでいるのならば」と、長男重盛を左大将から辞任させ、次男宗盛が右大将だったのを飛び越えさせて左大将に昇格させたのだった。
なんと賢い計略だろう。あの藤原成親卿は、このような計略を立てることなく、つまらぬ謀反などたくらんだので、情けなくも子孫もろとも滅んでしまったのだというのに。
【次回予告】
比叡山の中で内乱が起きています。僧侶たちと堂衆と呼ばれる荒法師たちの間で衝突が続くようになりました。