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川口ちゃんの衣装計画#51 弱いふりは難しい

女の子たちの目標、今はモテより「つよかわいい」である。

若者言葉に疎いので念のため書いておくがつよかわいいのことを私は字面そのまま【かわいくて強い(物理or生き様)】と捉えている。

10年以上前だが、モテの代名詞ことエビちゃんが「かわいいだけはやめた。」みたいなキャッチフレーズを言うCMがあった。この言葉から、この時代はかわいさが大前提だったことがわかる。
そのかわいいは、男性にとっての庇護対象という意味を含んでいたと思う。

今は守られようとする時代は終わり、各々が各々のパワーで未来を切り開かんとしている。つよかわいい制服を作る自問自答ガールズの方々もいらっしゃる。本当に素晴らしいことだと思う。

そんな時代に逆行するようだが、私は強さを感じさせない服が着たい。優しそうで柔らかい、そう、まるで杏仁豆腐みたいな…(と思って画像検索したら杏仁豆腐の佇まいは意外とモードだった)。

理由は超シンプルにそういうファッションが好きだからだ。スタッズとかトゲトゲとか赤とか、シャープなラインとか直線とか、そういう強さを感じるモチーフが趣味じゃないのだ。

同行ショッピングでヴァレンティノのバッグを試着させてもらった時も、どんどん試着させてくれる接客や商品自体の華やかさ、パワーには感動したが内心スタッズ多いな!!と思っていた。

鍛えたり柔軟をしたり、肉体的に強くなることには憧れがあるのだが、身につける物に強さや鋭さを入れたくない。心に合わない。ドクロとかピストルとかも昔から無理。弱く、かわいい見た目で生きていきたい!まあ街で知らないおっさんにナメられるかもしれないけどね。ああ、「好きな服じゃないけど、ナメられないように武装してます」という女性がいなくなる世の中にマジでなってほしい。見た目が弱くても馬鹿にされないし見下されないのが本当の平等よ。

とはいえ、やっぱりこだわって選んだファッションには思考が滲み出てしまうのか、どうしても仕上がりが強くなってしまう(ズッコケ)。

年始に近況報告としてあきやさんに最近のコーデの画像を送りつけた際、めちゃくちゃ褒めて頂いたのだが(照)、その言葉の中にも「かっこいい」というワードがあった。

積極的な弱さって、強い。矛盾しているが、意志や自信がある時点で、弱いものを選んでも強い仕上がりになるのだ。むしろ、強くなりたい!と思ってそういうアイテムを身につけている女性こそ、その思惑が見てとれることが隙(=弱さ)だったりして、それはなんかこう…キュンよね(きもい)。

それに、そもそもこの時代の服にはデザイナーさんが込めた強さが散りばめられていて、可憐なデザインを選んだとしても自動的につよかわいくなっちゃうという可能性もある。
やれやれ強い人が弱いふりをするのは難しいぜ。


ところで話は変わるが、この先男尊女卑世代がご臨終し、つよかわいいを良しとする価値観のもとで育っているであろう現代の子どもたちが大人になる頃には、つよかわいい女がモテる時代が来るのだろうか。

私は今まで、「自分が優位に立てるような存在に惹かれる」ことは男性という性の本質であり、個々の人間性とは関係なく、その部分は時代が変わっても変わらないと思っていた。

ゆえに社会の価値観が男尊女卑から男女平等に変わったからといって、恋愛など1対1で本能が剝き出しになる生々しい関係においては、変わらず強いものよりも弱いものが男性を刺激するだろう、つまり、女性たちがモテを目指さなくなっても、モテの条件はこの先も変わらないと考えていた。

しかし、私が男性の本質と思っていたものは、あくまでも日本人的価値観だったことに最近気がついた。井の中の蛙だった。

実際、本当か作り話かはよくわからないけど、SNSで「会った瞬間『今日のネイルかわいい』と気づいて褒めてくれるウチの彼氏マジ有能」みたいな内容の投稿をよく見かけるようになった。

私はこういうエピソードを見ると、反射的に「そういうことに気づける男は計算ができる、つまり何かしらの下心がある可能性が高い、ゆえにいつか相手との交際にメリットがないと判断した時などに、この人はとんでもなくむごい振られ方をするのではないか」と考えてしまう。
ただ、もしこの彼氏が、極々自然に、心から彼女を褒めているとしたら…?

その可能性は全然あり得る。最近の若いインフルエンサー的な子たちを見ても、そういうマインドの子が多いなと思うから。本当に今の若い子は優しい子が多いよね。男性が変わってきたというより、男女ともに心の性差が薄れてきているという表現の方が、私の言いたいことに近いかも。

ステレオタイプの男性を超越した存在たちが育っているんだね。え〜めっちゃ日本の未来明るい…!






信じないことが信条🍤