PCRはなにをわれわれにもたらしてくれるのだろうか?

 新型コロナウイルス感染症(以下COVID-19と略記)は現在なお全世界で猖獗を極めており、一部の国や地域を除いてなお収束する様子を見せていない。残念なことに、本邦でも。その一日も早い終息を祈るのは言うまでもないことだが、本稿ではCOVID-19をめぐるひとつの奇妙な争点について現在思うことを書いておこうと思う。
 PCRについてである。
 現在、新型コロナウイルスを検出する有力な手段として全世界で行われている手法だが、なぜか本邦では「過剰なPCRをすべきではない」という論が根強く語られている。各国事情を網羅しているわけでもないが、このような論調がドミナントである国は、少なくともいわゆる先進国の中では珍しいのではないかと思う。しかも奇妙なことに、まだ国内的にはCOVID-19の流行が顕著でもなかった2月上旬ごろにはすでにこのような論が語られはじめ、今に至るまでその傾向は続いている。
 筆者個人としては、これはどうにも奇妙な意見であるように感じられる。いくつか認めるべき理由があるとは言え、そのことで取り逃す事態や情報があまりにも甚大ではないかと考えているからである。もちろん医療資源は有限であることは百も承知の上で、この未曾有の事態を解明するための情報として不可欠であることを信じていればこそ、その拡充には最大限の努力を払うべきではないかと思っている。本稿ではその理由をまとめておきたい。
 なお本稿は、PCR検査の現状に対する批判を目的とするものではない。あくまでもPCRという検査はどのようなものか、それを行う・行わないことによるメリットとデメリットを論じるものである。そのため、「どのぐらい・どのように」の議論もしない。この論法はしばしば不可能性の言い訳に持ち出されるが、それは本来きちんとした数字の裏付けなくしては意味のないものだからであり、単なる論難のための論難に終始するからである。


1. PCRは検査であって検査でしかない。あくまでも診断の補助として用いられる、しかしながら有力な情報である。

 そもそも筆者が感じる違和感はこの点にある。これはあらゆる検査について言えることなのだが、検査とは真実を保証するものではなく、事実の一断片を取り出して可視化したものに過ぎない。良くも悪くもその限界性を、検査を利用する側は認識しておく必要がある。詳細は後に述べるが、その点で新型コロナウイルスに対するPCRとは「鼻腔にウイルスのRNAが存在しているかどうか」を判断するものに過ぎず、例えばこの時点で感染が成立しているか(≒ウイルスが人の免疫機構を突破して細胞に侵入し、さらに排除されずに病態を引き起こしているか)、そのウイルスがまだアクティブで感染能を有しているか、などといったことは判断されない。
 では、PCRは無駄なのか? そうではない。
 現状でPCRは新型コロナウイルスの存在を確認する数少ない手法のひとつであり、人為的ミスを極力抑制すればその感度は高い。必要なのは、PCRを過信することではなく、必要以上に軽視することもなく、その限界性を正しく認識したうえで用いることである。これはPCRに限らず、あらゆる検査手法について言えることだが。
 新型コロナウイルスに対するPCRについて言えば大雑把に以下のようなプロセスを経るが、それぞれのステップに判定ミスとなる可能性が潜んでいる。また、この全ステップにおいて、単純なサンプルの取り違えにより誤判定となる可能性がある。かいつまんでみる。

・鼻腔から検体を採取する。【採取に失敗すれば偽陰性となる】
・適切なバッファと混ぜてチューブに保存し、ラボに送付する。【保存方法が不適切だと偽陰性】
・サンプルをPCRに適したチューブに移し替える。【操作ミスで偽陰性】
・ウイルスのRNAをcDNAという二本鎖ヌクレオチドに転写する。【操作ミスで偽陰性】
・cDNAに対してPCRを行う。【操作ミスで偽陰性】
・得られた増幅産物を電気泳動や定量PCRの蛍光反応などにより検出する。

 このように、総じて偽陰性となる可能性は随所に潜むが、偽陽性となる可能性はあまり高くない*。一定の可能性があるとすればチップや実験器具の汚染なのだが、いずれにせよこういうミスは、必ず陽性・陰性になるはずのサンプルを一緒に反応させる(ポジコン・ネガコンなどと俗称する。これが想定通りの結果を出さなければ実験に何らかの問題があることになる)、同一サンプルで2回検査を行い結果が一致することを確認するなどといった方法で、かなりの割合で防ぐことが可能である。
 また、そもそもPCRは、あくまでも患者の診療プロセスに組み込まれたものであるということを忘れてはならない。なんらかの病態……発熱や呼吸器症状、味覚嗅覚の異常など……を訴える人に行うことがほとんどだろうから、PCR以外の情報として、身体症状・病歴・理学所見・血球像や血清学的検査・インフルエンザやマイコプラズマなどそのほかの呼吸器感染症の抗原抗体反応・コロナウイルスの抗体価・胸部レントゲンやCTなどの画像所見といったさまざまな情報を組み合わせて診断とは為されるものである。これらはそれぞれいずれも万能ではなく、しかし相互に補完しあう**。COVID-19罹患患者と濃厚な接触歴があるうえに当人にも明らかな肺炎の症状がある患者を、仮にPCRが陰性だったからと言ってCOVID-19の疑い無しとしてはならないだろうし、逆についても同じことが言える。
 つまるところPCRとは情報のひとつに過ぎず、そしてなかなか有力である。その欠点は他の情報で大いに補い得る。PCRをあたかもなにか特別な検査であるかのように考え、そのほかの検査や情報とわけて排除してしまう姿勢というのは、どうにも不自然な考え方だ。なにより、人類がまだ十分に把握していない病態に立ち向かう際に、敢えて最有力な情報のひとつを選択肢から削ってしまうことは妥当な判断と言えるだろうか?

*PCR検査の偽陰性率が30%であるという数字が一人歩きしているが、これはどうも根拠に乏しいようである。これはCOVID-19の流行初期に中国から出た論文に基づくようだが、こちらの論文 [West CP et al. eCOVID-19 Testing: The Threat of False-Negative Results. Preprint]ではその感度が良くなかったためではないかと指摘している。
https://els-jbs-prod-cdn.jbs.elsevierhealth.com/pb/assets/raw/Health%20Advance/journals/jmcp/jmcp_ft95_4_4-1586454163083.pdf
 また、こちらの論文 [Wikramaratna P et al. Estimating false-negative detection rate of SARS-CoV-2 by RT-PCR. Preprint]では従前のPCR検査結果のメタ解析を行っており、鼻腔・咽頭採取サンプルのいずれにおいても感染初期であるほど陽性率は高い(症状発来後数日であれば90%前後)ことを示唆している(この結果は、日本が従来取ってきた発熱後4日以上という検査基準に反するものでもある)。
https://www.medrxiv.org/content/10.1101/2020.04.05.20053355v2

 なお、上記の論文はいずれもプレプリント版であって、査読などを通過したものではない点は付言しておく。のちの検索に耐えるように論文タイトルを丸ごとコピーしたのはそのため。
**抗体検査や胸部CTがPCRを代替するかのような言説も時おり目にするが、正しくない。それぞれに見ているものが違うからである。例えばCOVID-19に特異的なIgM抗体価の上昇は最近感染したことの証拠にはなるが、当人が現時点で新型コロナウイルスを保有しているかどうかの判断はできない。胸部CTは肺炎像を検出するには有意だが、COVID-19に特異的な病像であるかどうかの判断はできない。


2. PCRは必ずしも困難な手法ではない。またその数を増やすことも可能である。

 PCRの有効性に対するカウンターとして出てくる意見のひとつに、「PCRは困難な手法であり人的資金的資源を浪費するものであるから、いたずらに数を増やすものではない・増やすことはできない」といったものがある。これも筆者は奇妙だと感じている。PCRについては相当数をこなしてきた経験を背景に言うが、決して特殊な技法ではないどころか分子生物学の基礎中の基礎と言っていいものである。以下のリンクは国立感染研の示すプロトコルだが、多少の分子生物学の心得のある人ならば(そもそもその時点でPCRの困難性を言い立てはしないと思うのだが)、さほど複雑な技法でないことが見て取れるはずである。
https://www.niid.go.jp/niid/images/lab-manual/2019-nCoV20200217.pdf

 PCRをかけるための機械(PCRサイクラー等と称する)は必ずしも高価ではなく、100万円程度のオーダーであり、そもそも既に備えている研究施設は大学・研究機関・民間の検査会社などに無数に存在する。それらと連携して担当スタッフに1~2週間程度の訓練機関があれば、技術を平準化することは十分に可能なのではないかと思う。上記プロトコルの方法を遵守したとしても、一台あたり一日100検体弱(うまく回せば200検体弱)の処理ができる。そもそもPCRはスケールメリットの大きい実験系であり、処理時間はサンプル数に正比例しない。数サンプルを毎日処理するのと100サンプルを一日で処理するのであれば後者のほうが圧倒的に楽だしロスも少ない。つまり適切なシステム構築さえすれば最低でも1ラボ・1日あたり100~200サンプルの処理をすることが可能であったはずで、ここに協力の得られるラボ数をかければ処理数の上限が定まる。それはCOVID-19の流行が始まってから今に至るまでの時間を考えれば捻出できた時間だったのではないか。

 また、検査が増えれば医療機関を圧迫するという見解も奇妙なものだと感じられる。インフルエンザの迅速診断のように病院内で完結する検査であれば確かに人的資源を浪費するのだが、PCRであれば、臨床現場での負担は検体採取に留まる。これは例えば咽頭培養の手間とほとんど変わらない(その点では韓国のドライブスルー検査のやり方はうまいものだと感じられた。被験者同士の接触を最小限に留め、検体採取を一括化できるのだから)。なお、感染性のあるサンプルを扱う点の問題については、最初のcDNA転写までのプロセスをウイルスの扱いに適した施設(P2レベルでよかろうからこれまた全国に無数に存在する****)で一括して行えば解決する。この処理を行ってしまえばサンプルは凍結にも耐えるため、PCR機器の空きを待って順次処理をしてゆけばよく、時間のロスも最低限度に抑えられる。また、しばしば持ち出される誤解としてPCRの施行は臨床検査技師でなければならないというものがあるが、誤りである。むしろ臨床検査技師でPCRの経験のある人材は少数ではなかろうか。
 更に強力な、ハイスループットのPCR技法も存在してはいるが、そのように高価なシステムを使わずとも、ある程度はシステム構築と人的資源の活用によってPCRの数は増やせるのではないかと筆者は思っている。もちろん金銭的・人的余裕があれば、そのようなシステム導入は大いに歓迎されるべきだろうけれど。

追記:この項を書いた直後に慈恵医大の取り組みを知ったが、筆者の見立てをほぼ裏付けるものであると思う。

>本院感染対策部から打診があったのは2月上旬のことでした。行政検査の体制作りが遅れること、また行政検査の結果を待つ時間が掛かることは当時から予想され、それならば本学基礎系感染症研究者の技術の粋を集め、in-houseで独自にPCR検査を実施しよう、というアイデアでした。
>現在の基礎医学研究において、遺伝子レベルの解析は日常茶飯事であり、携わる研究者は普段からその取扱に長けています。一方で、感染症研究者は日頃から病原体に接することに慣れており、バイオセーフティレベルやPPEについての経験と知識が豊富です。
https://jikei-tropmed2.wixsite.com/covid-19
****新型コロナウイルスの取り扱いはBSL3であるとの指摘を受けましたので訂正します。これだと取り扱いできる施設はもうすこし少なくなる。

3. PCRをやらないことで見逃される医療上の不利益は確実に存在する。

 次に、PCRをする・しないでどのような臨床上の問題が出てくるかについて考えてみる。
 最大の前提として、PCRはあくまでも医師の判断、医療上の必要性によって行われるべきものだという点は強調しておきたい。疫学的調査などの例外的な事態を除き、1.で述べたようにPCRはあくまでも医療の一環として行われるべきであり、例えば現行の「発熱37.5度以上が4日以上」と言ったような基準が適正であるかどうかはさておき***、それは患者の希望や社会的要請によって行われるべきではない。
 では、医学的に妥当と認められる症例に対してPCRを行わないことによってどのような不利益が生じるだろうか。しばしば見られる意見に「COVID-19には特異的な治療法がないため、検査をしても意味がない」と言ったものがある。これは狭い範囲では正しい意見なのだが、少なくとも三つの点で誤っている。

 一つは感染防御の点である。何らかの感染性疾患に罹患している患者がCOVID-19であるか否か判断することは、患者だけではなく、周囲の人間、特に医療関係者の感染リスクを減らす材料になる。もちろん患者自身の行動の指標ともなろう。これは非常に重要なことだ。また、ここで一定数の存在が見込まれる偽陰性の問題についても、1.で述べたように、複数の情報を組み合わせることで当該患者がどのていどCOVID-19であるかどうかが疑わしいかという判断はできるはずであり、そこから敢えてPCRを除外する理由にはならない。

 もう一つは、未知の病態に対する態度としては不十分であるという点である。COVID-19が従前のウイルス性肺炎とは異なった病像を示すことは、世界中の報告が明らかにしてきた。例えば味覚や嗅覚の消失、急激な呼吸状態の悪化、血管炎様の症状などであるが、COVID-19罹患患者であるとあらかじめわかっていれば、これらの症状の出現を予期して備えることが可能となる。また、重篤化した場合、治験段階ではあれさまざまに試みられている新規治療法を選択肢に入れることも可能となる。
 また、COVID-19の長期予後は誰にもわかっていない。なにしろ、もっとも長い患者でも罹患後せいぜい半年という新規の疾患である。これが数年、数十年といった単位でどのような問題が生じるかは現時点ではわからない。たとえばCOPDのような症状が有意に出現する可能性もあるだろうし、そのときに例えば「かつてCOVID-19による肺炎に罹患し、呼吸器管理を行っていた」などといった情報があれば、患者当人のケアのみならず、その他の患者に対する予防的対応を取る理由にもなるだろう。
 そしてまた、COVID-19の肺炎についての対処法は、今まさに世界中の医療関係者が試行錯誤を繰り返しているところである。これは取り沙汰される一部の新薬に限ったことではない。対症療法と一口に言ったところで選択肢は多様であり、有効であるかどうかの判断もデータなくしてはあり得ないことだ。CPAP, 人工呼吸器、ECMOといった呼吸補助法をどう選択するか、抗ウイルス薬を使うべきかどうか、免疫系の暴走が惹起されるのならばステロイドやインターロイキンやガンマグロブリンなどは有効か、吸入ステロイドなど局所的な炎症抑制は有効か? 等々、COVID-19に対する「正解」はまだこの世界には存在しておらず、たかだか生後半年の病魔と執念深く戦い続けることなくしては得られないものなのだ。これは少なくとも「たかが対症療法」などと侮るべきものではなく、ウイルスそのものに対する画期が為されない以上はいかなる加療をどのように組み合わせるかによって患者の救命率やQOLが大幅に変わってくるはずだ。少なくとも、素晴らしい抗ウイルス薬が現れ出たりワクチンが開発されたりするようなことは、人類の知の営為を信じるといった象徴的な態度としては有効だとしても、そのことに立脚した(あるいは依存した)治療戦略などを立てるべきではない。

 最後の一つは、患者は必ずしもCOVID-19にのみ罹患するものではないという点である。基礎疾患を有している場合もあれば、危急の手術を要する患者がCOVID-19に罹患することだってあり得る。例えばこちらは妊娠30週で早産に至ったCOVID-19罹患妊婦から健康な挙児を得た症例報告であるが、医療者はこのような事態にも立ち向かわなければならないのだ。
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/32119083
 こういった事態の何よりの助けになるのはきちんとした論文や臨床報告であって、ここに、「COVID-19は対症療法しかないのだから云々」という言い訳はなんの役にも立たない。COVID-19に罹患しているかどうかを正しく判断した上で対処に当たり、可能であれば情報を共有するのが医療者としてのあるべき姿だろう。

 つまり、これまで述べてきたような問題は、COVID-19に罹患しているかどうかが明らかでない限りは一つも解決できない。「治療法がないから検査をしても無駄」という意見ははなはだ狭いものだと言わざるを得ない。それは医療者としての臨床的直感にも反するものではないだろうか。

***本稿を書いた直後に、この基準を見直すという報道があってあっけにとられた。なぜ37.5℃以上4日以上という基準が設けられたのか、その基準を明らかに超えた検査が大量に断られていたのか、なぜその基準が見直されたのか、まったく理解できない。三ヶ月ものあいだこの不思議な基準が掲げられ、これを墨守したがために治療が遅れて亡くなられたかたも少なからずいたという事実をいったいどう理解すればいいのだろうか。はっきり言えば筆者は腹を立てている。

「37度5分以上が4日以上」見直しへ PCR検査相談目安
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200506/k10012418711000.html


4. PCRをやらないことで見逃される研究上の不利益もまた確かに存在する。

 これは前項の問題とも重なることなのだが、人類がまだ経験したことのない病態を理解し、解明し、治療法や対処法を開発するためには研究が不可欠であり、それには症例一つ一つの情報がかけがえなく大切なものとなる。COVID-19の感染経路から病態から転帰に至るまで、確実と言える情報をまだ人類は持っていない。
 この点で驚かされたのは、最初に流行が起こった中国から速報と言えるような論文がものすごい勢いで出てきたことである。日常業務をこなすだけでも大変な事態であっただろうし、先の見えない精神的な不安にも相当なものがあっただろう。そんな状況下に敢えて学術論文を書いて発表するという言わば「知の共有」に挑んだ医療関係者・研究者が大量に居たことには心からの敬意を感じるし、そのエネルギーには圧倒された。内容じたいも管見の限りではきちんと整理された良い仕事が揃っていると思われたし、事態の速報性も重んじられたであろうにせよNEJMのような一流誌に掲載された論文も少なくない。さて、同じ事態で同じような仕事ができる日本人がどれぐらい居るだろう? と考えると心許なくなるのも事実なのだが……。
 筆者は感染症も呼吸器疾患もいずれも専門としない、一介の研究医に過ぎない。そうであっても、世界各地から出てくるCOVID-19関連の論文には大いに驚かされたし、興奮することもあった。未知なる疾患とはこれほどの新しい知見を生むものなのだ。

 例えば、新型コロナウイルスが肺細胞に感染するにはACE2レセプターを介するといった報告があった。これはレニンアンギオテンシン系 (RAAS)に拮抗的に働くので、感染によるRAAS系の活性化が肺損傷の一因であり、重症患者の肺損傷にRAAS系阻害が効くかもといったレビューである。
https://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMsr2005760
 それは興味深いななどと思っていると、ACE2が発現する臓器の一つである血管内皮細胞に新型コロナウイルスは感染し、血管を障害するという論文が出た。つまりCOVID-19は直接的に血管炎を引き起こし得るということになる。
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/32325026
 そうこうしていると、COVID-19に罹患した児童が川崎病様の症状を引き起こすといった報告が出てきた。確たる論文はまだ無いようなのでニュースの引用に留めるが、川崎病もまた一種の血管炎であること、原因は不明であるにせよ感染症がトリガーになっていると考えられていること、従来なぜか欧米人には少なく東アジアで多かったにもかかわらず欧米からの報告が相次いでいることなど、興味深い点が多い。つまりこういったことを考え合わせると、急性期あるいは重症化したCOVID-19肺炎の加療には血管炎に対する治療が有効なのでは? などという想像も働く(※筆者のまったくの個人的な見解であって根拠がない点留意されたい)
https://edition.cnn.com/2020/04/28/health/kawasaki-disease-explainer-covid-19-intl-scli/index.html
 これらの報告が本当なのか、あるいは今後の研究や調査で覆されてしまうのかはわからないが、いずれも未知の病態を理解し克服する重要な手がかりになることは間違いがないだろう。そして、再三の繰り返しになるが、こういった研究に必須なのはPCRを含めて積極的にデータを蓄積していくという姿勢にほかならない。

 なお、筆者自身の専門とする遺伝学的分野の観点から驚かされたのはこちらである。アイスランドのCOVID-19関連の統計を集めたページで、現在 (20/5/7)なんと51,663件ものサンプルを集めている。全人口が30万人の国と考えると驚くほかない数字である。
https://www.covid.is/data
 ここで筆者はCOVID-19の検査もdeCODEが実施していることを知って非常に驚いた。deCODEとはアイスランド人のゲノム解析を一手に引き受けている企業で、この20年をかけて10万人規模のゲノムデータを蓄積している。
https://wired.jp/2015/04/28/iceland-greatest-genetic-lab/
 つまり、このゲノムデータと今回得られた5万人規模のCOVID-19の情報をマッチングすることにより、遺伝的背景が明らかな集団にどのように感染が伝播するか、どのような臨床経過を辿るかなどといったことを解析できるわけで、COVID-19に対する感受性や臨床経過の差異などを決定するゲノム多型がわかるかもしれない。これは人類がこれまでに経験したことのない感染症との戦い方になるなんじゃないか。アイスランドが20年かけて構築してきた国家の大計がCOVID-19という奇禍を経て大輪の花を開かせるのではないかという気すらしている。
 そしてまた、こういったゲノムの観点からCOVID-19の病態を知るということは、このウイルスの奇妙な特性、たとえば医療事情の差だけでは説明できそうにない地域的な致死性の偏り(アジア人に対して明らかに欧米人の致死率が高い)とか、同一地域であるにも拘わらず死者数に明らかな差がある(イラン-イラクやハイチ-ドミニカ共和国など)とかいった事情を説明できるかも知れないのだ。

 データを集めることの凄みとはまさにここにあるのだと筆者は思う。PCRで医療崩壊だの重症患者だけ検査するだのといった言い逃れを考えている限りは、及びもつかぬ境地だろう。このことなくしては、日本はいつまで経ってもアメリカや欧州や韓国や中国の集めたデータに後乗りしてその成果だけをつまみ食いする態度に終わるだろう。実務的にはそれでいいだろうといわれればまったくその通りなのだが、医療と科学の隅っこで禄を食む人間としては、これはちょっと耐えられないような恥辱であると感じる。


5. では、どうすればいいのか? 十分な情報を!

 結局のところ筆者の思うところは、「未知なるものに対峙するには過剰なぐらいの情報を集めよ」という点に尽きる。よくわかっていないものを処するのに、「必要最小限」は存在しない。そもそもその「必要」のラインとは結局従前の経験に立脚したものに過ぎないからである。本邦は「想定外でした」と呟いておいおい泣いておけばなんとなく免罪されるような文化的特性を持つが、少なくともそれは科学者や医療者の態度としては恥ずべきものだろう。

 これは3.でも述べたことだが、このCOVID-19に「魔法の弾丸」を期待してはいけないとも思っている。ウイルス学と来てはまったくの専門外なのでなにかを述べる立場になどないにせよ、HIVの出現から40年、SARSから20年弱が経っていまだに有効なワクチンが開発されていない事実を見れば、これがたやすい方法ではないことぐらいの想像はつく。COVID-19に効果があるかもしれない薬剤の名前が囁かれ、ワクチン開発にも期待が寄せられることは承知の上で、それはいずれも「うまくいったら儲けもの」であるに過ぎない。
 結局のところは人類はいま手にしている武器で戦っていくしかない。それは3.で述べたような、地道な情報の集積と試行錯誤、詰まるところは不断の努力とでも言うしかないものによって辛うじて維持されるものだろうと筆者は考えている。

2020/5/7

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