努力は報われることを教えてくれた新体操2

前回の続きです。中3の話しになります。

中3になりました。自分達がトップの代ですね。自分達がトップということで、練習も頑張った。

チームの選考でBチームになった。去年とは違いレギュラーだった。

正直ホッとした。Aチームの練習を見てて自分は耐えられないと思ったし、去年Bチームの空気を知ってるからやりやすいと思った。

正直タンブリングに関しては特に何も言われなかった。2年の時点で目標の技は出来てたし、十分な難度は取れていたから。

ただ演技に関してはめちゃくちゃ怒られた。Bの監督が別の仕事で来れない時は他のチームのコーチが教えて下さるのだが、怒られまくってた。

自分では出来てるつもりでもほんの少し振りのずれがあり何回も怒られてた。県大会も本番前の練習で怒られまくってトイレで泣いたこともあった。

ただB、Cチームは基本的に東北大会で敗退して終わるので引退は9月くらいというのはわかってた。

去年の3年生もAチームは全国大会がある10月中旬まではメインで練習して、3年が最後に出るイベントがあるのが12月のクリスマス前にあって、それが終わって完全に引退なのだ。
 
他の部活は7月あたりで引退なのに対し、うちらの部活は12月下旬まであるのだ。

ただ自分は全国まで行けるなんて思ってなかったし、高校受験も控えてたので9月で引退した方が好都合だと思った。

東北大会の1か月くらい前、ある噂が入った。「今年は全国に行ける枠一つ増えるらしいよ」

嘘だろ!?と思った。基本的に東北から全国に行ける枠は4枠だが、5枠に増えるというのだ。

顧問やコーチはなんとしても今年はA、Bの2チーム全国に行かそう!という空気が出来始めた。

特にBは当落線上という感じだったので練習がすごく厳しくなった。監督だけでなく、他のチームの監督も全員で指導をしてきた。

特に自分が注意されるので辛い他なかった。東北大会が近くなると時間帯でチームごとに集中練習みたいなことがあったのだが、Aチームは午前、Bは夕方、Cは夜、というような振り分けになるのだが、Bチームだけ他のチームよりも2時間多かったのだ。絶望でしかない。

しかも6人でやっても、6人全員がノーミスということが無かった。通し練習でも基本的に2人くらいは目立つようなミスをしていた。

全国なんて行けるわけないじゃんこんなの。と思ったが、それでいいと思った。

しかも東北大会の本番4日前くらいにレギュラーの1人がノロウイルスにかかったのだ。割と戦力の子だったので抜けた穴は大きかった。

代わりに補欠が入った6人でやるのだが、高い難度の技は出来ない。全国なんて無理じゃないかと思った。

そして迎えた本番、順番はあまり点数の伸びないトップバッターだった。最後の舞台だと思って堂々とやった。他の5人はわからないけど、自分はノーミスだった。

よし!やり切った!悔いなく引退できる!と思ったが、監督の顔が妙に明るい。「今までで1番良かったぞ!」と言ってくれた。みんなノーミスだったらしい。

後で映像を見たら、めちゃくちゃ良かった。倒立も誰かは失敗するのだが、全員がピタッと動かず揃っていた。

点数が出た。12点だった。20点満点のうちの12点は割と高い。

前の年は5位だったチームは9.6くらいだったのを覚えているから、もしかしたらあるかもと思った。

そして全てのチームが終わり最終順位は4位だった。
Aチームは1位で優勝し、数年ぶりの2チーム全国大会出場が決まった。

引退したいと思ってたけど素直に嬉しかった。最後の5枠目で行ったというのではなく、例年の大会でも全国に行ける順位だったというのも嬉しかった。

みんなで喜んだ。あの瞬間が1番みんなで一つになったと思う。

全国大会までの練習1か月が始まり、相変わらず厳しかったが、そんなことよりも怪我しないようにとか、朝から晩までの練習で受験のことに対する心配の方が勝っていた。
あの頃は朝から夜まで半日練習して、その後定期テストに向けての勉強して、人生で1番忙しかったかもしれない。

そして、迎えた全国大会本番、先にAチームが本番だったのでそれを見る。みんな凄い緊張してたし、いつもより気迫が凄かった。数時間後にはあの舞台に自分も立ってるなんて想像できなかった。

最後の練習が始まる。いつもと同じ感じ、体も軽い、調子がいい。安心した。

後輩と交差でする技を練習し、成功してハイタッチをする。いつもしていたことだが、これも最後なのかと思い寂しくなった。

いよいよ自分達の番が迫ってくる。控え室で色々思い出してた。自分にはこれといったものが無く、何やっても中途半端だったのに、この部活に入って全国大会まで出るとは想像してなかった。初めて心から自分のことを凄いと思った。

そして自分達の番がやってきた。不思議と緊張はしてなかった。演技が始まる。無我夢中だった。リラックスしてできたし、ノーミスだった。全ての技が終わり、最後の振りのところだけは覚えてる、いつもより力をいれて演技したところだけは。

ノーミスだったので気分は良かった。周りを見ると悔しそうな人もいた。東北大会とは違い、割とミスが目立ってたらしい。順位も下の方だった。それでも清々しい気持ちでいっぱいだった。

そこからクリスマス前の最後のイベントに出演して引退をした。顧問から推薦の話しも来ていたが断った。高校は新しい繋がりを作りたかったため、あまり知り合いのいない高校に行きたかったからだ。

あの3年間ほどきつかったことも無いし、今もどんなに大変でもあれよりは良いと思えている。

未だに同期何人かとも連絡はとってるし、後輩も喋る人は喋ってる。やっぱり長い時間過ごしただけあって絆が深い。

一緒のチームでやってた後輩が高校で日本一になったというのが地元で取り上げられてた。元々上手かったけど凄まじいなと思った。成人式で久しぶりにみんなで会ったけど全然変わってなかった。容姿は変われど性格は全然変わってない。驚くほどに。

芸人を初めてからアクロバットでフューチャーされることも増えたし、バク転の人で覚えられることも多かった。自分に強いイメージを付けてくれた新体操に感謝したい。まだ男子の新体操はあまり知名度も高くないため、自分が売れて少しでも恩返しができるようになりたいと強く思っている。






























この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?