努力は報われることを教えてくれた新体操

自己紹介の次は自分の中学時代のことでも書こうと思います。

自分のイメージは?と周りに聞くとまず最初に出てくるのはカッコいいと言われることが多い。まぁ、それは自分が思ってないのでそれは除くとします。

それ以外で自分のイメージは?と聞くとバク転の人と言われることが多々あります。

僕は中学時代新体操部に所属していて、アクロバットが出来ることが特技であり売りなんです。

僕を今までキャラ付けしてくれたアクロバット、高校時代から養成所時代までアクロバットに何回救われたことか、

今日はそのアクロバットが出来るきっかけとなった新体操部時代のことを書こうと思います。

元々アクロバットに興味があり、ジャニーズが好きで、現Hey!Say!JUMPの薮宏太君、八乙女光君がJr.時代に所属していたYa-Ya-yahというユニットにいた山下翔央君がすごい好きで、翔央君の華麗なアクロバットに憧れてました。

自分もいつかこうなりたいなぁという憧れがあったものの、出来る訳もなく、元々は小学校時代から仲の良かった友達とテニス部に入る約束をしていたのです。

そんなこんなで入学して4月になり、部紹介があって、色んな部活が1年生の前で何かしら披露してました。自分が入ろうしてたテニス部の部紹介が終わり、途中退出しようとしていた時に新体操部の部紹介が始まった。

「新体操部です!お願いします!」

マットを敷いてバク転、バク宙、ひねり技など色々な技をやっていた。
最後には顧問の先生が1番凄い技をやっていた。



目が釘付けになった。
この人たちは本当に一つや二つしか年が離れてないのか?人間なのか?そう思ってたら、キャプテンの先輩が
「ここにいるほとんどが中学校から始めてます!みなさんもこうなれます!入部お願いします!」

感動してしまった。そこから友達を裏切り新体操部に入ることを決意した。

親には反対された。強豪校というのは知っていたからあんな練習耐えられないよと言われたが、もう自分には新体操部以外入ることは考えられなかった。

しかも同じクラスの人で自分と一緒の状況に陥った人が5人もいたので、クラスに6人一緒の部活の人もいれば大丈夫だろうと考えてた。

そして入部をし、最初の練習は一年生はトランポリンをやった。めちゃくちゃ楽しかった。バク転も先輩の補助のお陰で出来るようになった。擬似的だがバク転が出来るようになったのが嬉しかった。

夏頃には1人でバク転できるようになり、冬頃にバク宙が出来るようになっていった。タンブリングを取得する速さは順調だった。 

中学2年生になり、本格的にチームのメンバーとしてやっていく時になった時に思った、顧問の目が明らかに違う、うちの部活では、1年生には怒らないという謎の暗黙の了解があった、どんなに下手でも顧問は1年生に注意もしないし、怒られもしなかった。だから自分が下手だという自覚も無かった。

自分は柔軟が極端に固く、3年の終わり頃までつかなかった。コーチに怒られ、上に乗られたこともあったりした。

部活は実力順にA、B、Cチームと分けられる、所謂一軍二軍三軍というやつだ。

自分はBチームになった。半分以上の2年生がCにいる中だったので嬉しかったのを覚えてる。

そして自分はBチームが絶対にできなければいけない技、ロンダーバックスワンという技が既に出来ていた。これは3年生の先輩もできてない人がいる中で出来ていたため、レギュラー入りは確実だと思ってた。

だが実際にはBチームの補欠だった。補欠の仕事は6人のレギュラーが演技する時に曲をかけたりするというのが補欠の仕事。今でこそ大事な仕事だとわかるが、当時は雑用だとしか思ってなかった。

補欠のまま地区、県大会と過ぎていった。

悔しくて横で一緒に演技したりしてた。チームごとにそれぞれ監督がいて、Bチームの監督にはやるきを褒められてた

ただ、別チームの監督には何かが気に食わなかったらしく、
「お前は演技出来てないからいつだって外せるんだぞ、張り切っても無駄」

唖然とした。悔しすぎて泣きそうになった。それでも練習をしていたら、
「レギュラーの邪魔になるから練習するな」
と言われる。

練習することすら禁じられてしまった。その瞬間なにか解けた感じがして、そこからは曲をかけるだけした。練習なんて一切しなかった。

タンブリングは好きだったので色々技をやったりさてたのだが、演技や柔軟は一切しなかった。

自分よりタンブリングが出来てないのにレギュラーにいる人たちを見て嫉妬していた。俺の方が出来るのにってずっと思ってた。

東北大会まであと2週間。完全に不貞腐れながらやっていた。

ある日Aチームの監督、所謂顧問の先生が曲かけやってる僕の横に来て、「練習しなくていいのか?」と言ってきた。

余計なお世話だよと思いつつも、「僕は曲かけという仕事をしてるので出来ません」と言うと、

「馬鹿だなぁ、明日レギュラー交代って言われることもあるんだぞ、お前は6人分の立ち位置と演技を覚えなきゃ行けないんだぞ」

と言われたが、「そんなこと絶対ないですよ、レギュラーはどうせあれで確定ですから」

もうぶん殴られてもいいと思った。帰らされてもいいと思った。だけど顧問の先生は微笑んで
「そうか」とだけ言った。

拍子抜けした。怒鳴られると思ってたのに。
次の日Bチームに集合がかけられ、Bの監督から一言

「〇〇と大希をチェンジ」

まじか、こんなことあるのか、大会まであと1週間だと言うのに、

レギュラーに入りたいと思ってたのに、いざそこに入ると務まらない気しかしなかった。

それでも必死に食らいついた。せっかく貰ったチャンス、無駄にはしたくなかった。怪我だけは気をつけた。

そして東北大会本番。緊張で寝れなかった。Bチームは基本的に東北大会で終わるので、Bの3年生にとっては最後の大会だった。

先輩達の最後の舞台で足を引っ張るわけにはいかないという気持ちでいっぱいだった。

そして迎えた本番、正直やってる時の記憶はほとんど無い。
だけどノーミスで終われたのは覚えてる。

順位は6位と低い方だったが、1週間で自分のするべきことは果たせたなと思い、初めてチームの一員として喜べた。


思ってた以上に長くなってしまったので3年生の時は話は次回で







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